容疑者の証言
エントランスホールの隅で、容疑者とされる三人の男女が集められていた。
パンツスーツのスタイルの良い女性が舌打ちする。
「まったく、困っちゃうのよね。残業代はでるのかしら」
背の高い金髪の男が手慣れたように女性の肩を叩いた。
「一ノ瀬ちゃん。そんなの出るわけないだろう」
「気安く触るなよ、二川。ああイライラする。喫煙所に行っていいかしら、お巡りさん」
一ノ瀬と呼ばれた女性は、二川の手を乱暴に払い、見張りの警官に向かってづかづかと歩いていく。警官の後ろで松浦が手を挙げた。
「ちょっとだけ待ってください。少しお話があります」
「あれ、佐藤じゃん」二川は俺に向かって、女性に触れた手を振った。「高一のとき一緒だった二川だよ。この間、同窓会やったのにお前来なかったよな」
「同窓会……そんなのあったんだ……」
「あれ、呼んでなかったか」
一ノ瀬が呆れた視線を金髪に向けた。
「デリカシーのないやつね。そんなんだから、顔が良くてもモテないのよ」
「一ノ瀬ちゃん、俺のことかっこいいって思ってるんだ」
「うぜー、ぶっ殺す」
壁際で静かにしていた、海老のように腰の曲がった老人が口を挟む。
「人が殺されとるというのに、不謹慎な奴らじゃの。刑事さん、彼が通報した第一発見者というやつかね」
「そうです。彼の証言によって、犯人はあなたたち三人の中にいる可能性が高まりました。これから、もう一度事件当時の行動を聞かせてもらおうと思いまして……。三嶋さんは」松浦は手帳を開いた。「三十階で、清掃をしていらしたということでしたね」
「そうじゃ。モップで廊下のタイルをピカピカにしておった。わしは清掃員の誇りじゃな。もちろんその間、三十階からは移動していない」
「エレベータの階表示が動いたとのことですが」
「一階から屋上まで、二往復したことまで、きっちり覚えておる。ボケておらんぞ。時計は見ておらんから、正確な時間は分からん」
「こう言っておられますが、一ノ瀬さんと二川さん、どうでした?」
一ノ瀬はアメスピの箱を弄んでいる。
「エレベータの階表示については断言できる。十階の喫煙所からは階床表示灯が見えるの。寂しいと、何気ない数字の変化も、目で追っちゃうのよね」
「エレベータの中から、何か気になる音を聞きませんでしたか?」
「いえ、特には」
一ノ瀬はかぶりを振る。 刑事は質問の標的を二川に変えた。
「二川さんはどうですか?」
二川はスマホを握った右手を、手品師が道具を見せるように掲げた。
「俺は友人と二十階のオフィスで電話中でした。しっかりと見ていたわけではないですが、エレベータが動いていたのは確かです。九時二十分ぐらいに下の方から、何かがぶつかったような音がしたなとは思ったのですが、まさか桜田が殺されていたとは」
刑事は容疑者の表情を順番に眺めた。
「皆さん、被害者とマネキンが落とされた車は、誰の物か分かりますか?」
「あれは社用車ですね。社員なら誰でも鍵を持ち出せます。管理も、正直に言うと雑です」
「二川さん、お答えありがとうございます。なるほど……では被害者に被さっていたマネキン人形に、心当たりはありませんか?」
「心当たりですか……。正直、このビルのマネキンは有り余っています。どの階でも探せば見つかるくらいには」
歯切れの悪い回答だ。気になったことがあって、俺は刑事の袖を軽く突いた。
「あの……刑事さん。そこのショーウインドウのマネキン、やけに間隔が空いていると思うのですが……もしかして」
一ノ瀬はショーウインドウを睨みつけた。
「おかしいわね。今朝は三体あったはずですけど」
「あったはずのマネキンがなくなっている。犯人が被害者の上に落としたのは、ショーウィンドウにあったマネキンである可能性が高い。そういうことですね」
刑事は手帳に何かを書き加えた。
昔から二川は余計なことをするやつだった。
「佐藤もショックだよな。刑事さん、高校の頃こいつ桜田が好きだったんですよ」
よりにもよってこのタイミングで──胸倉を掴んでやるという衝動にかられたが、百八十センチを超える男に妄想でさえ勝てるビジョンが見えなかったので、俺は飛び出しかけた手を渋々引っ込める。
「そうなのですか⁉ 話したこともないと言ってましたが」
刑事の迫真の反応が、俺の動揺を煽る。
高校一年の宿泊学習、就寝時間前に、気になっている女の子は誰かという話題が上がった。一人ずつ順番に明かしてく雰囲気を壊すのも忍びなく、教室で前の席に座っていた彼女の名前を挙げたのだ。それだけの関係だ。やましいことは、なにもない。
「話たことがない、というのは本当ですよ。青春の片想いというやつで」
警部が小さな声で耳打ちする。
「で、どうです? 屋上の人物に心辺りは?」
「……期待に沿えそうにないです」
一ノ瀬は爪を噛みたそうに、歯をカチカチと鳴らしながら指先を眺めていた。
「早く、煙草が吸いたいんだけど」
「皆様はここでもうしばらく待機をお願いします。エレベータを使いたいので……一ノ瀬さん、社員証を貸していただけますか?」
「他人に貸すのは規則違反です」
「先ほどから、煙草の箱をいじっておられますが、エントランスホールは禁煙のようですね」
一ノ瀬が首に下げた社員証を松浦に渡し、外に出て行った。刑事が目配せすると、警官が一人、彼女を追いかける。
「佐藤さん、実際に屋上に行けば、何か気づくかもしれません。行きましょうか」
警部が上矢印を押すと、待つことなくエレベータのドアが開く。警部を追うように俺はエレベータに乗った。警部は右側のボタンに社員証をかざし、屋上を意味するRを押す。
「これが、屋上まで八分のエレベータです」
沈黙に耐えきれず、俺は刑事に尋ねる。
「松浦さん、犯人はエレベータを使ったはずですよね。ボタンに指紋は残っていないんですか?」
「残っていませんでした。犯人が拭いたんでしょうね」
強風が刑事のコートをはためかせた。屋上を囲む鉄製の柵が、ごうごうと音を立てている。屋上に人工の明かりはなく、頼りになるのは月の光だけだった。
「どうです、佐藤さん。何か思い当たることはありませんか?」
俺はかぶりを振った。
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