期末テストで負かされたい。④
裕也の教え方はさすがの一言だった。
全くと言っていいほど理解の進んでいなかった理子の頭に数式の論理が叩き込まれていく。羅列された点がどんどん集まって線を形成し、一つの絵が出来上がっていくように、全く理解不能だった記号たちの意味が少しずつではあるが、わかるようになっていく。
「そういうことか! 明石くんすごいね」
「あ、いや……全然、そんなことないよ」
目を輝かせながら素直に裕也をほめちぎる理子に対し、裕也は相変わらずどこか気まずそうな雰囲気を醸し出していた。
「俺、飲み物買ってくるけど、なんかいる? あ、明石には奢るよ。お礼」
智樹が席を立ち、三人に声をかける。
「青森っち、アタシも行く―。優しかろう!」
真面目に机に向かっていた咲良が立ち上がる。
「え、じゃぁアタシも行こっかな……」
理子も続こうとしたが、先に立ち上がった咲良に制止された。
「りこちんはそんな場合じゃないでしょ! 明石先生に失礼!」
「ぐぬぬ……」
いつの間にか発言権がなくなっている。確かに一番成績がピンチなのは自分であり、裕也が
こうして勉強を教えてくれているのは理子のためであるため、何も言い返せなかった。
「……コーラでお願いします」
「オッケー! ほら青森っち! いくよ」
二人はてくてくと歩き出し、図書室を後にした。
二人が図書室から出たことを確認し、理子は裕也に話しかける。
「明石くん、ありがとね」
「え?」
ふいに声をかけられ、素っ頓狂な声を出しながら、裕也が聞き返してくる。
「いや、係の仕事忙しいのにべんきょー教えてくれて。あとさ……」
言うかどうか迷った。しかしはっきりさせておかないのも気持ち悪い。もしも自分が何か嫌な思いをさせたのであれば謝りたいし、そうでないなら避けられている理由ぐらいは知っておきたい。もし自分の勘違いであるのならそれはそれで問題ない。
「勘違いならあれなんだけど、明石くん、アタシのこと苦手なのかなーって思うこともあってさ」
そう理子が告げると、裕也は何か迷った顔を見せ、その後、少し焦りながら口元に手を当て考えこむ素振りを見せた。
何かを言おうとしているが、言えない事情がある。そんな風に理子には見えた。
別に無理に理由や原因を言ってもらおうとも思っていない。これはあくまで自分の中で気持ち悪いだけであり、それを解消するために裕也に確認しているだけだ。そんな自分のエゴに他人を付き合わせるのも申し訳ないとも思っているし、そこまでして人間関係を構築していく必要もない。そう思い、理子が裕也に、無理に答える必要はないと言おうとしたときだ。
「言いたくないなら全然」
「あ、邪魔したくなくて」
ものすごい早い口調で裕也が述べた。普段のおどおどした会話からは想像できない速さだ。まるで音声読み込みソフトを2倍速で再生しているかのような。
「邪魔?」
「あの、世界観の邪魔をしたくなくて」
「世界観?」
言っている意味が全然わからない。裕也は理子のそんな反応はお構いなしといった様子で言葉を続けた。
「あの、青森くんって本当に凄いんだ。同じアニメ、同じ映画、同じ小説を読んでいるのに、視点がまるで違っていて、僕なんかが人生を何週したところでたどり着けない神の視点を持っているんだ。だから青森くんの着眼点の話を聞くだけで、何百話もある大長編ストーリーを読了したときのような満足感を得られるんだ」
「え、何の話⁉」
理子の問いかけを無視し、裕也の話はどんどん加速していく。
「それにその説明もとても上手で、言葉数は少ないはずなのに、一つ一つの言葉が丁寧というか、適格というか、濃密というか、それでいて端的であって。青森くんのそういうカルチャーへの理解度はもはや作り手側の心を読めるといっても過言ではない域まで達しているんだ。だからこそ、クラス内外の青森くんの話を聞きたがるし、青森くんを尊敬している。オタクのかくある姿なんだ」
「はぁ……」
頭の疑問符は一向にどこかへ行ってくれないが、理子はとりあえず相槌を打つ。
「で、そんなオタク代表の青森くんが、いつも仲良くしている女の子がいます。それが西村さん。正直、西村さんは顔面偏差値がすごく高いし、僕は全然直接喋ったことなかったけど、友達が優しくされたことがあるって言ってて、なんというかオタクに優しいギャルだってみんなで言ってたんだ。オタギャルっていうジャンルなんだけど、いや本当に実在するんだ! て思って。で、そんなオタク代表である青森くんとオタクに優しいギャルである西村さんの二人の世界に自分というモブが入り込むなんて恐れ多いというか、邪魔できないなって思って。二人をセットで推しているので、その間に入るのは声優同士がSNSで楽しそうに会話をしているところにいきなり空気を読まずにリプライを飛ばす痛いオタクになっちゃう気がして、それでよそよそしくなっちゃうていうか。こんな自分がそこに介在することで、その場の空気感の価値をぶち壊してしまうのではないかと思って、だから僕は西村さんと会話をしてはいけないというか空気にならざるを得ないというか。ええとつまりそんな感じです」
裕也がここまでの台詞を一息で話し終えた。
理子は裕也の発言について、あまり理解はできなかった。意味はわかるが、理解はできないといった感じだ。まぁ人の感情なんてそんなものかとも思ったが、肝心なことだけは聞いておきたい。
「……えっと、つまり別にアタシのことが嫌いなわけではない?」
「え……嫌いなわけないよ。そんな恐れ多い」
理子は嫌われているわけではないとわかり、安堵する。
「えー、じゃぁみんなで仲良くなろうよ。アタシも青森と明石くんのこと推すよ」
「え、推しに推されるってこと……?」
「いや、よくわかんないけど、二人が楽しそうに話してるの見るの好きだし!」
そう笑顔で言い放つ。裕也は少し困惑した表情を見せた。
「まぁ、でもそういった色々な価値観を認めることも神に近づく一歩か……」
何かを考えこみながら裕也がぶつぶつと呟いていたところに、智樹と咲良が戻ってきた。
「ほい、りこちんコーラ! ……って何? なんだか嬉しそうじゃん。勉強捗った?」
「え、いや別に! ごめんね、明石くん、引き続きお願いします!」
智樹とセットで推されているということを改めて考えると、なんだかにやけてくる。
裕也の話は半分も理解できていないが、つまりは推しのカップルの幸せを祈っているということだと理子は認識した。
勿論付き合ってはいない。しかし、そういう風に自分と智樹をセットとして考えて、幸せを祈ってくれる人がいるというのは嬉しいことだし、それが智樹の友達であるならなおさらだった。理子の脳内では既に結婚式のスピーチを裕也が友人代表として読み上げるところまで妄想を完了していた。そのため、智樹の呼びかけに反応できずにいた。
「西村? 西村?」
「わ!! 何⁉」
いきなり視界に現れた智樹の顔に困惑した声が漏れる。理子は妄想を両手でぶんぶんと瞬時にかき消した。
――は、アタシ……気が早すぎ!
赤らむ顔をごまかすようにして教科書を顔の前に持ってくる。
――今は目の前の問題に集中しないと……! 手は絶対に抜いちゃダメだ! 予選もあるし!
改めて勉強への気合を入れ直す。そして教科書を机に並べ、再び数式と向き合った。
一分後に再び裕也に助けを求めたのは言うまでもない。
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