カードゲームで負かされたい。③
土曜のお昼前の秋葉原駅は人でごった返していた。やはり多いのはアニメグッズを身に着けた若者。そしてそれを自店へと誘おうとするメイド仮装の喫茶店店員たちの姿が散見された。
そんな中、オフショルダーのトップスにタイトなジーンズを合わせたやや強めな見た目の理子は異色と言えば異色だった。渋谷や原宿なら背景に溶け込むのだろうが、ここ秋葉原では少し目立つ。勿論それは理子の容姿の良さも相まっての話ではあるのだが。
そんな理子が抱えている小さなバッグは、決してブランド品というわけではないのだが、理子が持つと様になっているため、不思議と高級な雰囲気を醸し出している。
誰もこの中にデッキケースが入っているとは想像できないだろう。
JR秋葉原駅を電気街口に抜け、ゲーマーズやアニメイト、ドン・キホーテを超え、神田消防署の角を横に曲がって突き当りまでいったところにあるビルの二階に理子の目的はあった。
――アキバはやっぱ落ち着くなぁ……。
決して原宿や渋谷が嫌いなわけではない。友人と遊びに行って、クレープを食べ、可愛いものを見て、友人の恋愛の話を聞いて、笑って解散する。それもとても大事な時間だと理子は思っているし、そういう友人がいることも非常に幸運なことだと感じている。
しかし、街を歩いているとすぐにナンパ目的の輩に声をかけられるのは鬱陶しい。
それに同年代の女子と話をしていると興味の移り変わりが早すぎて、たまについていけないときがある。
そうした変化の仕方が秋葉原は比較的ゆっくりな気がしていた。未だに昔流行ったアニメの看板を掲げている店も多い。それにナンパ目的の人間なんて少なくとも理子は見たことがない。
そうした意味で理子は秋葉原が好きだった。
目的のビルに着き、エレベーターで二階へ上がる。暗く狭いエレベータは古いビル特有のものだ。階段で上がれればいいのだが、安全のため、閉鎖されている。何があったかは知らない。
エレベータを降りると、すぐに看板が見えた。
――ゲームスペース娯楽屋――
白い狐のキャラクターが書かれた看板が掲げられたドアをくぐると、カランコロンと子気味のいい音が店内に鳴り響いた。それと同時に理子に声がかかる。
「いらっしゃーい! お、りこちんじゃん!」
「てんちょー」と書かれた名札の付いたエプロンを身に着け、長い髪を後ろで結び、その上にバンダナを巻いている男性が理子を店内に案内する。ゲームスペース娯楽屋の店長だ。通称てんちょー。
「てんちょー、こんにちはーっす! 武者修行しようと思って」
「これ以上、りこちん強くなってどうするのよ。で、今日はともちんは?」
ともちんとは智樹のことだ。スリーピースカードゲームを始めた頃に智樹と二人でこの店の存在を知り、それから学校の使えない休みの日は定期的に利用している。
店内には大き目のテーブルが六卓程あり、壁面には国内外のボードゲームがずらりと並んでいる。
娯楽屋の基本的なコンセプトは「秋葉原のみんなで作る隠れ家的ゲームスペース」であり、カードゲームのショップバトルなども定期的に開催されているが、それだけというわけではなく、ボードゲームだけを目当てに来るお客さんも多い。
だが、関東のカードゲーマーの中では「行けば強くなる」とか、「魔境」とか、「あそこで勝てて一人前」だとかの噂がまことしやかに囁かれている。出所はわからないのだが、おそらく秋葉原界隈の中でも隠れ家的であり、強いデッキが生まれてもその情報が漏れにくかったり、てんちょー自身が凄腕のカードゲームプレイヤーであることが原因である。
そんな魔境での武者修行が理子のプレイスキルを飛躍的に高めていっていた。勿論それは智樹も同じ経験をしているので、条件は同じなのだが。
「青森とは今日は約束してないですよ。てか別にいつも一緒なわけじゃないし」
そういって卓につき、カードを並べる。恥ずかしさを隠すため、少しぶっきらぼうな言い方になってしまった。理子は来る途中に買ったビタミンウォーターで喉を潤
す。
「あれ、付き合ってるんじゃないの?」
「ぶっ!!!!! げほげほ……」
意識の外からの急な質問にむせてしまう。飲み物をテーブルにこぼしていないことを確認し、理子は安堵した。
「なんでそうなんの!」
「えーだって、りこちんさー。絶対ともちんのこと好きじゃん」
「シー!!」
そう淡々とてんちょーが言い放った言葉に理子は咄嗟に口の前で勢いよく人差指を立てた。
「今の女子高生もそれやるんだ。なんか安心するわ」
店舗には幸いまだ誰もいない。この話が他人に聞かれることはないことを理子は確認した。
「……やっぱわかります……?」
蚊の鳴くような声で理子が訊ねる。顔が熱くなるのを感じる。周囲にバレバレならもしかしたら本人に伝わっているのではないだろうかと心配になった。
「わかるよー。あ、でもきっとともちんは気づいてないんじゃないかな。そういうの鈍感そうだし。それに童貞だよ。あの子」
「てんちょー、セクハラ。それにプライバシー」
「ごめんごめん」
これまでに智樹とそういう話はしたことがない。そのため女性遍歴などは一切知らなかったが、童貞という情報はほんの少し嬉しかった。でもセクシュアルな話を気軽にすることが常態化してはいけないと思ったため、毅然とした態度でてんちょーに理子は注意する。それにプライベートなことでもある。理子自身、男性経験はないが、それを自分の知らないところで言われていたらいい気はしない。
「でも、じゃぁ告ったらいいじゃん。絶対上手くいくよ」
「はぁ。出来たら苦労しないですよ」
「?」
無責任に言い放つてんちょーに理子はため息をつきながら、これまでのことを話した。
「えぇ! ともちんそんなに負けてるの? 普段ここでやってるときそんなに弱く感じないけどなぁ」
「相性とかですかね。なんか青森の行動って読めちゃって」
「いや、愛だね」
「茶化さないでくださいよ」
智樹もこの娯楽屋には休みの度に来ることが多い。そのため、強者と戦う機会は多く、その中でも決して弱い方ではない。だが、なぜか理子との勝率は著しく悪かった。
「わざと負けたらいいじゃん」
「それは絶対いやです」
智樹がスリーピースカードゲームに向き合う姿勢は本物だ。その好きなものを好きと言える姿勢を好きになった理子にとって、その勝負に手を抜くなんてことは智樹への侮辱だと考えており、絶対にありえないことだった。
◇
店内が段々と賑わってきた。
土曜日の昼間はピークタイムということもあり、いつの間にか全卓満席の状態だ。てんちょーが接客をしている間は常連の人との対戦をして、今日もスリーピースカードゲームを楽しんでいる。その中には他のカードゲームではあるが全国大会常連という猛者もおり、理子よりも格上の相手もしばしばいる。そういった恵まれた環境や常に学びの意識を忘れない姿勢。これが理子の強さを支えている要因だった。
時刻は三時を回った。新規の入店客の接客も一息ついたころ、てんちょーが声をかけてきた。
「ともちん今からくるって」
「そうですか」
人前である以上、冷静さを保ちながら返事をする。しかし内心は大喜びだ。
――やった! 今日も会える!!
「りこちんさー、スリーピースカードじゃなくていいんじゃない?」
「どういうこと?」
にやけそうになる顔を抑えながら、理子は返事をした。
「いや、その賭け」
「?」
「いや、他のゲームでも。帰り道にゲーセンで勝負するとかでいいんじゃない? いや、てかもはやそれも俺からしたらまどろっこしいんだけどね。早く告れよって感じ」
理子は思った。目から鱗が落ちるとはこのことである。
――その手があったか!!
この三カ月、スリーピースカードゲームばかりに興じていてすっかり意識から抜けていたが、賭けをするのであれば競技は確かになんでもいい。素直になれない気持ちを隠しているだけなのだから。
幸いここは秋葉原。帰り道にゲームセンターも無数にある。それならば、一つぐらい智樹が得意なゲームもあるはずだ。
「てんちょーって天才?」
「うん。天才。でも今日スリーピースで、ともちんがりこちんを負かす可能性もあるからね」
「……それならいいけどねー……!」
「お、噂をすれば」
カランコロン
盛大に音を鳴り響かせ、智樹が店内に入ってきた。なんだか顔を見るのが恥ずかしくて、理子は一瞬気づかないふりをした。
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