第39話 お花見

 掃除機をかけるため窓を開けると、心地よい風が部屋に吹き込んだ。

 重く冷たい冬の風とは違い、春の風は軽く温かい。


 天気もいいし、こんな日は掃除するに限る。遥斗は掃除機のスイッチを入れ、リビングに掃除機をかけ始めた。


 テーブルやソファーの下にたまったホコリが吸い取られきれいになると、心まできれいになったような気がする。

 

 天気もいいし、久しぶりに窓も拭くとするか。

 遥斗が雑巾片手にベランダに向かっていると、玲奈がリビングに姿を現した。


 髪はボサボサで、パジャマの袖が片方肩からずり落ち、まだ眠そうな目をこすりながらぼんやり立っている。

 とてもじゃないが、ティーンエイジャーにカリスマ的人気のあるトップモデルとは思えない。


「おはよ。いい天気だね」

「うん。って、せっかく掃除したのにティッシュ床に捨てないで」

「あとで、また掃除すればいいじゃない。それより、今日の花見大丈夫そうね」


 そう言い残すと、また鼻をかんだティッシュを床に投げ捨て、洗面所へと消えていった。

 遥斗は床に落ちたティッシュを拾い上げ、ゴミ箱に入れた。


 今日の夜、遥斗と三姉妹は近くの公園でお花見をする予定だ。

 場所取りは若菜と葉月はしてくれて、遥斗はお弁当を担当する。


 掃除を終えた遥斗は、冷蔵庫の横に掛けてあるエプロンを付けお弁当作りに取り掛かった。

 まずはお握りから。お米を研いで、3合の線まで水をそそぐ。

 いつもならこのまま炊飯器のスイッチを押すところだが、今日はお握り用のご飯なので、塩と昆布も一緒に入れて炊く。

 そうすれば、おにぎりを握るときに塩を振らなくて済むし、塩と昆布の旨味が全体にいきわたり味のムラもなくなる。


 唐揚げに使う鶏肉を冷蔵庫から取り出し、下味のニンニク醤油をもみこんでいく。

 若菜が喜んで食べている姿が目に浮かぶ。それと同時に、遥斗の子供のころの記憶もよみがえってきた。


 今日はいいお花見になりそうだ。


◇ ◇ ◇


 公園の桜は8分咲きと言った感じだが、夜桜を楽しもうとする人たちが所狭しとレジャーシートを広げていた。

 遥斗は葉月たちを探すため、公園内をキョロキョロと見渡した。


 先に遥斗に気付いた葉月と若菜が手を振っていた。

 桜をバックに写真撮影している女子大生グループや、大きなブルーシートの真ん中で一人ビールを飲んでいる場所取りのサラリーマンの横を通り抜け、葉月たちの元へと向かった。


「お待たせ」


 遥斗はお弁当の入った紙袋をシートの上に置くと、カバンからカーディガンを取り出した。


「昼間は温かいけど、日が落ちるとやっぱり寒いね」

「遥斗、カーディガンのピンクってお花見に合わせてきたの?」

「バレた?スカートは緑で、トップスは白だから、題して『桜餅コーデ』。どう?」

「そんな話すると、桜餅食べたくなっちゃう」


 若菜の冗談めかした言い方に、葉月と遥斗は声を漏らして笑った。

 季節や場面に合わせてコーデを考える。女の子になる以前なら考えたこともなかった。

 どれ着て行こうか迷うときもあるが、その考えている時間も楽しい。

 これだから女の子はやめられない。


 辺りが暗くなるとライトアップが始まり、公園内は幻想的な雰囲気となり、あちらこちらでお花見が始まってきた。


 練習帰りでお腹を空かせた若菜が「玲奈姉ちゃん、まだだけど先に食べちゃおうか?」と言い出した時、玲奈が姿を現した。

 玲奈の着ているピンクのレーススカートはまるで桜のようだ。


「お待たせ。撮影の差し入れで桜餅もらったから、デザートで食べよ」


 玲奈は手にしている和菓子店の紙袋を少し上に持ち上げ揺らした。


「玲奈姉ちゃんありがとう。ちょうど桜餅食べたかったんだ。早く、座ってよ。お花見始めよ」


 玲奈が靴を脱いで座り遥斗がお弁当箱を開けると三姉妹が歓声をあげ、お花見が始まった。

 早速、若菜がお握りにかぶりつき、「美味しい」と声を上げた。


 玲奈がビールのプルトップを開けるとプシュ―という音が聞こえた。

 一口ビールを飲んだ玲奈が、そっとつぶやく。


「夜桜って初めてだけど、キレイね」

「わたしも昼間のお花見は友達としたことあるけど、夜桜は初めて」

「アタシも!!」


 遥斗以外は、みんな夜桜は初めてのようだ。唐揚げを取りながら葉月が「遥斗は?」と尋ねた。


「子供の時に一度だけあるよ。小学5年生の時にお母さんがお弁当作ってくれて、こうやってみんなで『桜キレイ』って言いながら食べてた。夜の外出が楽しくて、『また、来年もこようね』って言ったけど、そのあとすぐに癌が見つかって、最初で最後だった」


 思わぬ話の展開に、三姉妹のにこやかな笑顔が消えた。


「あっ、ごめん。しんみりしちゃったね。ほら、お弁当食べよ」

「うん、この唐揚げ美味しい」

「こっちのミートボールも美味しい」


 葉月と若菜が食べ始めると笑顔がもどった。ビールを飲んでいる玲奈だけが、遥斗に優しい視線を送った。


 お花見は玲奈が持ってきてくれた桜餅を食べ終わったところで、お開きとなった。

 シートやお弁当箱を分担して持ちながら、桜並木を歩く。


 見上げると夜空には満月が浮かんでいた。

 夜空に輝く満月とライトアップされた桜が織りなす景色に、遥斗は見惚れた。


 颯爽と先を歩く玲奈の後姿は、この風景と相まって映画のワンシーンのように美しい。

 隣に歩いている葉月は、うっとりと月を見上げている。

 5個入だった桜餅の残り一つを食べた若菜は、お腹をさすっている。


「楽しかったね。また……」


 遥斗は「また、来年もこようね」と言いかけた言葉を飲み込む。口にしてしまったら、二度とこれない気がしてしまう。


 「遥斗、どうしたの?何か言いかけようとしてたけど」


 葉月が遥斗に視線を移して問いかけた。

 

 詳しく話すとまたしんみりさせて、せっかくのお花見気分が台無しだ。遥斗はとっさに誤魔化した。


「あっ、いや、月が綺麗だなと思って」

「えっ!?」


 葉月が足を止めて目を丸くして、遥斗を見つめた。その頬は桜のようにほんのりピンク色だ。

 玲奈も若菜も足を止めて、遥斗に鋭い視線を遥斗に向けた。


「ちょっと待って。今のセリフ、私の方見て言ってたんだから、当然私に向けてよね?」

「わたしと話していたんだから、わたしに向けてよね?」

「アタシが一番近く歩いてたんだから、アタシに向けてよね?」


 3人が一斉に遥斗に問い詰める。3人とも目は真剣だ。

 何か変なこと言ったかな?


 月が綺麗としか言っていないけど。


「あっ!」


 忘れかけていた国語の授業がフラッシュバックした。


「———というわけで、夏目漱石は『I love you』を『私はあなたを愛しています』と直訳すると日本の文化にはそぐわないと思って、『月が綺麗ですね』と訳したわけです。さすが夏目漱石、凡人とちがう感性を持ってますね」


 言葉に詰まる遥斗の目の前を桜の花びらが、ゆらりと舞い降りて行った。

 

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