第37話  ロリータ

 ———柔道とJUDOは違う


 そのことを若菜はこの前のヨーロッパ遠征で身をもって知った。

 

 組んで投げるのが柔道と教えられて育ってきた若菜にとって、JUDOはさながらポイント制の演技種目だ。

 正面から組み合わず力任せに片手組して、かけ逃げっぽい技を連発して相手に指導を引き出そうとする。

 

 防御的な試合運びで、こちらが攻め疲れるのを狙ってカウンターを入れてくるし、一端ポイントでリードしたら寝技に逃げ込んで時間を浪費させてくる。

 

 ヨーロッパ遠征ではJUDOに対応できず、ふがいない成績に終わってしまった。この自国開催のグランスラム東京大会で、結果を残さないと強化指定選手から外されてしまいかねない。


 まともに組まない相手の対策方法はこの1か月みっちりと積んできた。

 若菜は相手の左袖を掴むと、相手に引手を切られる前にすぐさま技を仕掛けていく。

 

 まずは小外掛けで相手の体制を崩し、すかさず引手をグイっと力強く引いて、相手の脚を天高く跳ね上げた。


 そのまま引き手を離すことなく覆いかぶさるようにして、相手の背中を畳に叩きつけた。

 一瞬の静寂の後大観衆から歓声が響き渡り、そのあと審判の「IPPON」の声が聞こえた。


 オリンピック銅メダリストのフランス人選手を下しての決勝進出。ようやく結果が残せたことに安堵しながら若菜は畳を降りた。


 スタンドを見上げると、両親ととも手を振っている遥兄ぃの姿が見えた。優勝すれば、ご褒美にまたデートしてもらえる。

 あと一勝。

 デートプランもこの1か月しっかりと練りこんできた。いますぐに決勝戦をはじめたいぐらい待ちきれない。


 決勝の相手は、ブラジルの黒人選手。同じ階級ながら引手は力強く、足技のスピードもけた違いに速い。


 相手に引手を取られて切ろうとした瞬間、ナイフのような切れ味の良い小内掛けが飛んできた。

 なんとか体を半回転させ腹ばいで逃げることができポイントにはならなかったが、攻めあぐねている若菜に2回目の指導が入った。


 息を切らしてはだけた柔道着を正しながら、観客スタンドにチラリと視線を向ける。遥兄ぃが両手を合わせて祈っているのがみえた。


 若菜は顔を両手で2回たたき気合を入れ直した。


 審判の「はじめ」のコールと共に相手選手にとびかかった。虚を突かれたのか一瞬反応が遅れ、若菜は襟を取ると同時に背負い投げを仕掛けた。


 足が畳から離れると、相手の体が急に軽くなった。その後すぐに大きな音ともに相手の体を畳へと叩きつけた。


◇ ◇ ◇


 お店に入った瞬間、遥兄ぃの顔が歪んだ。

 お店にはフリルやリボン、レースを多用した華やかなドレスが所狭しと並べられている。

 その可愛らしさに若菜は思わずほおを緩めた。


 去年の秋に行ったヨーロッパ遠征、結果はさんざんたるもので、落ち込んでいる若菜をチームメイトが気分転換にと観光へと連れ出した。


 500年以上前に建てられたというゴシック様式の宮殿の美しい造形やカラフルなステンドグラスを見て回っているうちに、沈んでいた気分も少しずつ晴れてきた。


 展示品のなかにあった中世貴族が着ていたドレスの前で、若菜は立ち止り食い入るように見入ってしまった。

 床に届くほど長いスカートに、豪華な生地や刺繍が施された優雅なデザイン、時代を経ても美しく感じるドレスに心が奪われた。


 柔道というむさくるしい世界で生きていた若菜にとって、対照的な世界だった。

 帰りの飛行機の中で、いろいろと調べていくうちに現代にもその高貴な美しさを引き継いだロリータ服にたどり着いた。


 レンタルしてくれるお店もあるみたいだし、自分も着てみたい。

 そう思ったが、一人で着るには抵抗がある。

 そこで思いついたのが、遥兄ぃとのデートで一緒に着ることだった。


 若菜は目についたドレスを取り出し、遥兄ぃの体に当ててみた。


「ほら、このピンクなんか遥兄ぃ似合いそうだよ」


 女装での生活に慣れてきたとはいえ、ロリータ服は恥ずかしいようでお店に入ってからの遥兄ぃはソワソワして落ち着かない様子だ。


「ほら、いいから試着してみて」


 遥兄ぃの背中を押して無理やり試着室へと押し込むと、若菜もフロントの大きなリボンと繊細なレースが可愛らしいドレスを持って試着室へと入った。


  試着室から出ると、スタッフからお決まりの「とってもお似合いですよ」との声がかかった。


 ふんだんに使われているフリルとボリュームのあるスカートのおかげで、筋肉質の体形はカバーできており、レースがあしらわれた大きなリボンのヘッドドレスが目が引くので顔の印象は少ない。

 服の印象が強すぎて似合わない人はいなさそう。


 遥兄ぃは恥ずかし気に下を向いてモジモジとしている。

 一方、憧れのドレスを着ることができた若菜はウキウキとしながら、遥斗の手を引いてお店の外へと出て行った。


 街の人々が、ふと私を見ては目をそらす。目が合うか合わないか、その一瞬の視線に少しの驚きや興味が混ざっているのを感じる。

 視線がすぐにそらされても、その一瞬の反応に自分が特別な存在であるかのような錯覚を覚える。


 腫れ物に触るように素知らぬ顔をする大人と違い、無邪気な少女が「あのお姉ちゃん、お人形さんみたいでかわいいー!」と大きな声をあげると、若菜は思わず笑顔になった。


 隣を歩く遥兄ぃは相変わらず恥ずかしそうにしている。

 いまでこそ女装に慣れてしまったが、女装し始めたころはこんな風に恥ずかしそうにスカートを履いていたのを思い出した。


「ほら、遥兄ぃ恥ずかしがらずに、楽しみなよ」

「えっ、でも……」

「この服着ていたら誰が誰だか分からないんだから、いつもと違う自分を楽しもうよ」


 目立つロリータ服は逆に着ている人が誰なのかは気にする人は少ない。そのおかげで、いつもの自分から解放される。

 柔道で鍛えられたゴツイ肩幅や太い脚を気にすることなく、可愛いお人形さんのような華やかで美しい自分になれる。

 今日は楽しいデートになりそうだ。若菜は遥兄ぃの手をそっと握ると、大きく手を振った。

 

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