第36話 遥斗の秘密

 玲奈はタクシーに乗り込み、行き先を告げるとシートにもたれかかりため息を漏らした。

 

 今日は忙しい一日だった。

 大学の授業は1限目からあり3時過ぎに大学を出ると、ドラマの撮影スタジオに直行した。

 2時間待った挙句、出演シーンは一分にも満たない。しかし、その一分が次のオファーへとつながっていくと信じて、全力で教師役を演じた。


 6時に撮影スタジオを出ると、その向かいの喫茶店で待っていた出版社の人と今度出す写真集の打ち合わせが始まった。

 スタイリッシュな路線で攻めたい玲奈と、エロチックな要素も入れたい編集側で意見が食い違い、無駄に時間だけが過ぎて行った。

 途中お腹が空いてきたのでケーキでも頼みたくなってしまったが、家に帰れば遥斗の美味しいご飯が待っていると思いなおし、カフェオレだけで打ち合わせを乗り切った。

 

 下着の写真を切望していた編集者に、ビキニスタイルの水着を着ることで納得してもらった時には8時を過ぎていた。


 寒空の中、ようやく見つけたタクシーに乗り街灯が明るく輝く街並みをタクシーから眺めながら、忙しいけど充実した日々というものを玲奈は実感していた。


 玄関のドアを開けると、靴を脱ぎながら「ただいま」と声をかける。

 いつもなら、遥斗の「おかえり」の返事があるはずのだが、今日は聞こえてこない。


「わかってる。2時に待ち合わせね」


 遥斗はスマホで誰かと話しながら、玲奈と視線が合うと軽く会釈をした。


「それじゃ、切るね」


 遥斗は通話を終えたスマホをテーブルに置くと、ソファから腰を上げた。


「ごめん、すぐにご飯作るね」

「うん……、ありがとう」


 玲奈が帰ってくると慌てて通話を終えて何かを隠すように料理を始める遥斗に、いつもと違う様子を玲奈は不審に思いながらコートを脱いだ。


 テーブルには鮭のホイル焼き、ほうれん草の胡麻和え、トマト納豆、なめこの味噌汁と理想的な一汁三菜が並んでいる。

 やっぱりケーキを我慢して良かったと思いながら、箸をとった。


「う~ん、美味しい。ホイル焼きにすると、何でも美味しいね」


 玲奈の料理の感想に、テーブルの向かいの席に座り家計簿をつけている遥斗は微笑みでかえした。


「遥斗、今度の日曜日買い物行かない?」

「ごめん、その日は友達と遊ぶ約束してるんだ。来週でいい?」


 どこかよそよそしい感じがする先ほどの電話は、友達相手ではないと玲奈の勘が働いた。友達同士で遊びに行く約束ならもう少しはしゃぐ感じがしてもいいが、さっきの電話は素っ気なさすぎる。


 遥斗の様子を不審に思いながら、玲奈は温かいみそ汁の入ったお椀を手に取った。


◇ ◇ ◇


 遥斗の謎が解けないまま迎えた日曜日、遥斗は「夕ご飯までには戻るからね」と言って出かけて行った。


 遥斗が着て行ったアイボリーのニットに、ロング丈の水色とグレーのチェックスカートのコーデは、落ち着いた大人が良く着ているコーデだ。

 少なくともデートではない。

 だったら、何だろう?


 好奇心に勝てなくなった玲奈は、こっそりと遥斗の後を付けることにした。


 日曜日の昼下がり、電車は程よく空いており一両隣の車両からも遥斗の姿は観察できる。

 スマホを見ている遥斗が、こちらに気付く気配はない。


 電車に揺られること15分。遥斗が席を立ち電車から降りるのを見て、玲奈も電車を降りた。


 利用者数の少ない駅は閑散としており、これ以上遥斗に気付かれずに尾行することは難しいと判断した玲奈は、バス停の前に立つ遥斗に声をかけた。


「遥斗、こんなところに何の用があるの?」

「玲奈さん、どうして?ここに?」

「様子が変だったから、悪いと思いながらついてきたの。で、ここからどこに行くの?」

「あっ、ちょうどバスが来た。乗ってから話すよ」


 遥斗が見つめる視線の先には、バスではなくグレーのワゴン車しか見えない。

 数秒後、バス停の前に止まったワゴン車の側面には「立花霊園」と書いてあった。


 遥斗のお母さんのお墓は、市内を一望できる小高い丘の上にあった。

 冬の霊園は静寂の中に冬の風が木々を揺らし、弱い日差しが、墓石に影を落としていた。


 遥斗はお墓に水をかけると花を供え、手を合わせた。


「今日、お母さんの命日なんだ」

「そうなの。だったら言ってくれても良かったのに」

「だって、今のお母さんは美和さんだから、前のお母さんの話するのは悪いと思って」


 寂し気な表情を浮かべている遥斗を、玲奈はしばしの間見つめた。


「おっ、遥斗先にきていたか?それに玲奈さんも」


 声をした方を振り向くと、花束とひしゃくの入った桶を両手に持った礼司の姿があった。

 いつもはチャラい感じの表情しか見せないが、今日は引き締まった顔をしている。真面目な顔の礼司は渋い親父オーラを出しており、母親の美和が惚れたのもうなずける。


 礼司も一人で墓参りにきているところを見ると、前妻のことは今の奥さんには話せなかったようだ。


「それにしても何だな、遥斗もそんな格好をすると小百合にそっくりだな」

「そうでしょ。そうだろうと思って、年末にそっちに行ったときにお母さんのスカート持って帰ってきたんだ」


 遥斗のロング丈のスカートが風に揺れている。

 大人びたを通り越しておばさんっぽいコーデに身を包んでいる理由が、ようやくわかった。


 玲奈はもう一度墓前の前で手を合わせ、心の中で遥斗の母親に「こんなに素敵な息子さんをありがとう」とつぶやいた。

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