第30話 女の子の日

 長かった残暑も終わり10月も半ばを過ぎるとようやく秋めいてきた。

 朝素足のままキッチンに立つと、足元が少しヒンヤリとする。


 遥斗は冷蔵庫から大き目なタッパーを取り出すと、フタを開けて中を覗き込んだ。


「いい具合に浸かってる」


 昨晩から浸しておいたフレンチトーストの仕上がり具合を確認して、思わず独り言が漏れてしまった。


 加熱したフライパンにパンを入れると、ジュージューという音ともに甘い香りが立ち上ってきた。


 リビングの大きな窓からは、明るい日の光が差し込んでいる。気持ちのいい天気にいい日曜日が始まりそうな予感がした。


 若菜は大きく切ったフレンチトーストにフォークをブッ刺して、大きな口を開けると押し込むように口に入れた。


「う~ん。最高!!!」

「ほら、若菜、ソースが口についているよ。って、服で拭かない!」


 口元についたラズベリーソースをジャージの袖で拭き取ろうとした若菜に、遥斗はティッシュを渡してあげた。

 斜め前に座っている玲奈からは非難めいた声があがった。


「ちょっと、甘いのとしょっぱいの2種類出されると、永久運動が止まらないじゃない!」


 玲奈は文句を言いながらも、ハムとチーズがサンドしてあるフレンチトーストを口に運んでいる。


「あれ?葉月、口に合わなかった?」


 美味しそうに食べ勧めている二人とは対照的に、隣に座る葉月はまだ半分も食べていない。暗い表情で、フレンチトーストをフォークで転がしている。


「ごめん、美味しいけど、食欲あまりなくてね」


 葉月はため息交じりに言うと、カフェオレマグカップに口をつけた。


「大丈夫?病気なの?」

「いや、大丈夫。ちょっと執筆で行き詰っているだけだから」


 葉月は、あとで食べるからと言って席を立った。遥斗はフレンチトーストが残っているお皿にラップをかけながら、重い足取りでリビングをでていく葉月を見送った。


 朝食の片付けを終えた遥斗は、シンクの掃除に取り掛かった。重曹でシンクを磨いて水で流し、その後クエン酸でもう一度磨く。

 手間はかかるがキラキラと光輝くシンクをみると、心まで晴れ晴れとした気持ちになってくる。


 みんなが美味しそうにご飯を食べてくれる料理作りも好きだが、キレイになる成果が目に見える掃除も好きだ。


 キッチン掃除に続いてリビングに掃除機をかけていると、葉月が姿をみせた。その表情は相変わらず暗く、足を引きづるようにゆっくりとしか歩いていない。

 心配になった遥斗は思わず、声をかけた。


「大丈夫?病院に行く?行くなら日曜日空いている病院調べるけど」

「多分、薬飲めば良くなるから心配しないで」


 葉月はそういうと、水道から出した水で錠剤をのみこんだ。心配しないでと言われても、顔色はまるで冬の朝のように蒼白く心配してしまう。


「本当に大丈夫?」

「病気じゃないから大丈夫だよ。今回のはちょっと重いけど、毎月どうにかなっているから多分大丈夫」

「毎月!?」


 そう言われれば、今回ほどではないにしても葉月が元気なさそうにしている日があったような気がする。

 何のことだろうと不思議がっていると、掃除を終えたリビングでヨガを始めようとした玲奈が会話に加わってきた。


「でも葉月、重たいのが続くなら一度病院で見てもらった方がいいわよ。いい病院知ってるか、モデル仲間に聞いてもいいよ」

「そうね。一度診てもらった方が良いかも」


 遥斗が会話についていけない中、玲奈と葉月が会話を進めていく。

 話がひと段落したところで、ポカンとしている遥斗に玲奈が解説してくれた。


「何のことか分かっていない様子ね。女の子の日の話よ」

「女の子の日?」

「もう、鈍いんだから、生理よ生理。保健体育で習ったでしょ」

「生理って、血が出るアレ?そんなに辛いの?」


 玲奈は呆れ顔で生理について教えてくれた。血がでるだけではなくて、痛みを伴ない気分も落ち込む。ナプキンを付けるけど不快な感じはあるし、漏れの不安がずっと付きまとう。そのため服装や行動が制限されてしまう。しかも一日だけではなく、人によっては一週間ぐらいその状態が続くらしい。


「そうなんだ」


 生理のことを初めて詳しく知った遥斗は、目と口を大きく見開いて唖然とした。


「そうだ!日曜日だし、遥斗も生理を経験してみよ。ナプキンつけて一日過ごせば、女性の苦労が分かるでしょ。そうと決まれば、早速やるわよ」

「えっ、生理の体験?今から?」

「そうよ。生理は急に始まるんだから」


 玲奈が鼻歌交じりに準備を始めた。楽しそうなことが始まりそうと期待した葉月に笑顔が戻った。


 遥斗はテーブルに置かれたナプキンを手に取ると、まじまじと見つめた。少し元気を取り戻した葉月が、使い方をレクチャーしてくれている。


「こうやって開いて、こっちが接着面ね。こっちをショーツに貼り付けるんだよ」

「ショーツに貼り付けるの?直接肌に着けるかと思ってた」


 初めて知るナプキンの使い方に驚く遥斗の横で、玲奈は水溶き片栗粉と赤インクを混ぜていた。


「何それ?」

「疑似経血。片栗粉と水だけでも感触は近いけど、赤インクまぜてリアルさを追求してみた」


 満足いく出来に玲奈は微笑みを浮かべながらナプキンに疑似経血を塗り、遥斗に手渡した。


「ほら、履いてみて」


 赤いインクが服に付かないか心配しながらショーツに足を通した。


「なに、これ。すごく、気持ち悪いんだけど」


 遥斗はその不快感に顔をしかめた。ぬるぬるとした感触に、ショーツと体の間に挟まれた異物感。すぐにでも脱いでしまいたい衝動に駆られる。


「そうよ。すごく気持ち悪いんだから。本当はこれに生理痛やイライラ感も加わるのよ。少しは女の子の大変さ分かった?」


 この不快感に加えて痛みまで。それに毎月耐えている女の子を、無条件で尊敬してしまう。


 その後ナプキンを付けたまま一日を過ごしたが、ナプキンのことが気になってしょうがなかった。


 歩くたびにゴワゴワするし、座れば座ったで漏れてこないか心配になってしまう。

 尿意とは別に2時間おきにトイレに行き、ナプキンを交換するのも煩わしい。


「ふ~、女の子って大変」


 若菜のマッサージを受けながら、遥斗はため息と一緒に独り言が漏れた。


「夜はこっちのナプキン使ってね」


 ソファに寝ている遥斗の視界に入るように、玲奈はローテーブルの上に「夜でも安心」と大きく書かれたナプキンを置いた。


「夜もするの?」

「当たり前よ」


 そう言い残すと、玲奈はお風呂に向かっていった。


◇ ◇ ◇


 教室はお昼休みの活気で満ちあふれ、机を囲んで友達同士が話し込みあちこちから笑い声が飛び交っていた。


 お弁当を食べ終わった遥斗は、佐藤から彼氏と一緒に行った遊園地の写真を見せられていた。


「このお化け屋敷、めっちゃ怖いよ!」

「さっちん、『キャー!』っていいながら、彼氏の腕に抱きつくのが目的でしょ」

「バレた?」


 遥斗のツッコミに佐藤はベロを少し出しておどけた顔をみせると、鈴木が笑い声をあげた。

 美佳がお腹を押さえながら重い足取りで近づいてきて、左右を見渡して小声で佐藤に話しかけた。

 

「ごめん、急に始まっちゃった。さっちん、羽なし派?」

「ごめん、私あり派」

「私も」


 佐藤と鈴木が謝ると、美佳は遥斗の方を見向いた。


「ハルは?って持ってるわけないか」

「持ってるよ。羽ありもなしも」

「え~、なんで持ってるの?って訳は後で聞くから、ひとまず一つ頂戴」


 美佳は遥斗から羽なしナプキンを受け取るとトイレへと消えていった。


 美佳がトイレからもどると、遥斗はこの前のナプキン体験のことを話した。


「それでね、女子の大変さが分かったから、せめてこうやって困ったときに分けられるように持ち歩くようにしたの」

「そうなのね。まあ、こっちは助かるけど」


 興味深そうに聞いていた美佳が、何かを思いついたようで表情を変えた。あの少し唇が上がる感じは、悪だくみに違いない。


「そうだ。これから毎月、ハルも生理体験しよ。毎月月初めに3日間は、女の子の日ってことで」

「いいね」


 美佳の提案に佐藤と鈴木がすぐさま賛同した。遥斗はこの前の体験のことを思い出し、首を横に振った。


「え~嫌だよ」

「ダメ!女の子のいい所取りは許さないよ」


 美佳は笑いながらスケジュール帳にハートマークを書き込んだ。


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