第28話 修羅場

 ソファにうつ伏せになった遥斗の背中を、若菜がギューッと力強く押した。

 心地よい痛みととともに、凝り固まっていた肩の筋肉がほぐれていく。


「次は腰ね」

「おねがい。いつも悪いね」

「いつも美味しいご飯作ってもらっているから、そのお礼だよ」


 先日遥斗が何気なく「肩が凝った」とつぶやいたら、それ以来若菜がお風呂上りにマッサージしてくれるようになった。

 柔道の試合前後に選手同士マッサージしあっているらしくて、若菜のマッサージは上手だ。


 若菜が楽しそうにマッサージをしてくれるのが嬉しい。もしかしたら、ただ単純に体を触りたいだけかもしれないけれどその優しさに心が温まる。

 あまりの気持ちよさにウトウトし始めたとき、玲奈の声で目が覚めた。


「遥斗、明日何か予定ある?」

「ごめん、友達と会うことになってる」


 玲奈の言葉に、遥斗は心臓がドキリと跳ねた。もしかして、玲奈は自分の変化に気づいているのだろうか?それとも、単なる気のせいか?複雑な思いがよぎる。


 和香との関係はまだ友達の域を超えていないはずなのに、心臓がドキドキしてしまう。うつ伏せで顔を見られなくてよかった。


「そうなの。秋物の服を買いに行こうと思ってたけど、残念」

「来週でもいい?」

「わかった、来週ね。でも最近、遥斗よく友達と遊びに行くようになったね」

「う、うん。仲の良い友達ができてね」

 

 これ以上追及されたら嘘をつきとおせる自信はなかったが、意外にも玲奈はあっさりと話を若菜の方へと振った。


「友達出来てよかったね。それじゃ、若菜と行こうかな?」

「うん、行きたい!」


 背中の上から若菜の元気な声が聞こえた。


◇ ◇ ◇


 男子と遊ぶというと、映画やカラオケに行ったり、誰かの家に行ってゲームしたりと一緒に何かをすることを遊ぶというが、女子の遊びは違うことに気付いた。


 街を歩きながら気になったお店に入ったり、カフェでコーヒー飲みながらおしゃべりしたりと、目的もなくただ一緒の時間を過ごしていることを遊ぶと呼ぶみたいだ。


 今日も和香と遊ぶ約束はしたが、具体的な予定は何もない。

 駅前で待ち合わせした後は、駅ビルの中をブラブラと歩きながら、出回り始めた秋物の服をみたり、文具や化粧品を見て回っている。


「ハル、このお店入ってもいい?」


 遥斗のことを「川島さん」ではなく「ハル」と呼ぶようになった和香が、遥斗の手を引いてお店の中に入っていく。

 女の子同士なら普通だが、一応は男の自覚がある遥斗は手を握られただけでドキドキしてしまう。


 和香に手を引かれ入ったお店は、ヨーロッパ雑貨のお店だった。

 洗練されたデザインのフランスの食器やシンプルでナチュラルな素材感のある北欧の雑貨などを眺めているだけも楽しい。


 でもヨーロッパといえば、もうすぐヨーロッパ遠征に旅立つ若菜のことを思い出し胸がチクリと痛む。

 浮かない表情の遥斗を和香が心配してくれた。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない。このマグネットかわいいね」


 遥斗は誤魔化すために、近くにあったエッフェル塔の形をしたマグネットを手に取った。


 ヨーロッパ雑貨のお店を出たところで、和香が歩き疲れたから休もうといいだした。

 休憩できそうなカフェやファーストフード店を探して歩いていると、聞きなれた声が聞こえてきた。


「玲奈姉ちゃん、どっちがいいかな?」

「う~ん、黒の方が良いかな?」


 遥斗が視線を向けた先には、若菜と玲奈がいた。

 若菜は2着のワンピースを手に持ち、玲奈にどちらが良いか聞いているようだ。


 遥斗の視線に気づいた玲奈が声をかけてきた。


「あら、遥斗。偶然ね」

「遥兄ぃ、ちょうどよかった。どっちが黒と茶色のワンピース似合うと思う?」

「茶色の方が好きかな。偶然だね。ア、ハハ……」

「それじゃ、茶色にするね」


 昨日、玲奈と若菜が買い物に行くという話をしていたのを思い出した。遥斗の視線は、玲奈と和香の間を何度も行き来たりする。

 

「遥斗?」


 名前を呼ばれて振り返ると、葉月の姿があった。


「三人そろって買い物なんだね」

「そうだよ。それで、お隣さんは?」


 葉月がニッコリ微笑みながら、遥斗の隣にいる和香に視線を送った。

 遥斗は慌てた口調で再婚相手の連れ後で同居している三姉妹と簡単に和香に説明した。

 動揺した感じが隠せていないのは自分でもわかる。


「ああ、前の学校の同級生の……」

「木原和香です」

「初めまして、山尾葉月です」


 和香のことを葉月たちに紹介しようとした遥斗の言葉を遮った和香は、名前を言い終えると玲奈の方に視線を向けた。


「ひょっとして、モデルのREINAさんですか?」

「ああ、そうよ」

「私、ファンなんです」

「ありがとう。どう?このあと、一緒にコーヒーでも飲み行かない?」

「ええーーー!!!いいんですか?」


 遊園地に連れて行ってもらえる幼稚園児のように嬉しそうにはしゃぐ和香を、遥斗は作り笑顔を浮かべながら見守るしかなかった。


「遥兄ぃが言った茶色の方、買ってきたよ」


 会計を終えた若菜が、遥斗の腕に抱きついてきた。

 若菜と遥斗がじゃれ合う様子を見て、若菜は怪訝な表情を浮かべた。


「若菜は、柔道やってて距離感が近いんだよ。いつものことだから」

「山尾若菜って、ひょっとして『令和のヤワラちゃん』?」

「アタシのこと、知ってるの?嬉しい!」


 柔道というオリンピックでしか注目を浴びない競技。日本チャンピオンと言っても、金メダルを取らない限り世間的には無名に近い。

 知ってもらえていたことを喜んだ若菜は、今度は和香に抱きついた。


 玲奈に連れられて入ったカフェは、外の喧騒とは違う落ち着いた空間が広がっていた。

 玲奈はお店のスタッフに5人で来たことを伝えると、お店の奥の席に案内された。

 カバンを置いて、玲奈はソファ席に座った。


「ここ、落ち着くでしょ」

「うん、そうだね」


 6人掛けのテーブルの両側には3人掛けのソファが置かれており、テーブルの前に置かれた観葉植物が他の客からの視線を遮る。玲奈の言う通り、外界とは遮断された空間でくつろげそうだ。


 これが嵐の前の静けさだとは、まだこの時は露にも思わなかった。


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