第25話 再会

 4か月ぶりに元の家の最寄り駅に降り立つと、駅前のパン屋が無くなって24時間のスポーツジムに変わっていた。


 地面からの反射熱はあるものの日傘で頭上からの日差しは遮ることができ、それだけでもだいぶん暑さが違う。

 ブラジャーは蒸れるがスカートは涼しく、夏は女の子の方が快適に過ごせる。


 信号待ちの交差点、反対側にはノースリーブのトップスを着た女性が立っている。

 肩幅が目立つのでノースリーブを着こなす自信がない遥斗は、羨望のまなざしで信号待ちの間ずっとその女性を見つめていた。


 以前は周囲の人がどんな服を着ているなんて気にしたことなかったが、最近は待ちゆく人の服装をついつい見てしまう。

 この街を出て4カ月、変わったのは駅前のパン屋だけではないようだ。


 久しぶりの実家に戻ると冷房の効いたリビングで、Tシャツと短パン姿の礼司がビールを飲みながら野球観戦をしていた。


「ただいま。あれ、美和さんは?」

「ああ、お店のスタッフが子供の発熱で急に休んだから、代わりに出勤してる」

「日曜なのに大変だね」


 社長と言えば立派な椅子でふんぞり返っているイメージがあったが、食事中でも旅行中でもひっきりなしに電話がかかってくる美和さんをみて、遥斗の社長に対するイメージはガラリと変わった。


 頬を赤らめた礼司が、遥斗の急な訪問の理由を尋ねた。


「今日はどうした?」

「いや、急に昔読んだ本をもう一度読みたくなってね」


 父親に返事をしながら自室のドアを開けた。

 部屋の右側の本棚に近づき、並べてある本を順番に指でなぞりながら本を探す。

 上から2段目に目的の「アルジャーノンに花束を」を見つけ取り出した。


 昨晩、葉月と話しているとこの本の話題になり、もう一度読みたくなってしまった。持っているのにもう一度買うのはもったいなく感じ、1時間以上かけて礼司の住む元の家まで戻ってきていた。


「それじゃ、帰るね」

「もう帰るのか?もうちょっと、ゆっくりしていけよ」


 冷蔵庫からビールのお代わりをとろうとしている礼司に視線を移すと、シンクも一緒に視界に入ってきた。


「何、コレ!」


 遥斗は思わず叫んでしまった。掃除はしているようで、けして汚いわけではない。しかし、シンクはくすんでおりところどころ白い水垢が浮かんでいる。

 もしやと思いお風呂場をのぞくと、ゴムパッキンにカビの黒い斑点がところどころに浮かんでいた。

 換気扇は油まみれだし、窓のサッシには埃がたまっている。


 本を取ったらすぐに戻るつもりだったが、汚れがあると分かって帰る訳にはいかない。

 カビ取り剤を手に風呂場に行くと、漂白剤をしみこませたキッチンペーパーをカビの生えたゴムパッキンに貼り付けた。

 これで30分ほど置けば、黒い斑点はとれるはず。


 その間に換気扇の油汚れをとるための、セスキ炭酸ソーダを買いに行くことにした。


◇ ◇ ◇


 ドラックストアは薬はもちろんシャンプー・石鹸などに加え食料品も置いてあり、ちょっとした買い物ならここだけでも全部そろってしまう。

 値段もスーパーよりも安く、遥斗のお気に入りのお店の一つだった。


 目的のセスキ炭酸ソーダ以外にも、メラミンスポンジや酵素系漂白剤など掃除に必要なものを入れた買い物カゴを持ちレジ待ちの行列に並んでいた。


 前に並ぶ女性のコーデが気になり、遥斗は失礼にならない程度に観察を続けた。

 白のノースリーブのトップスに、黒のマーメイドラインのロングスカート。

 トップスには袖口に大きなフリルが付いており、あれだと肩幅を気にすることなく着れそう。

 マーメイドラインのスカートはまだ持っていないが、大人っぽくて素敵だ。


 レジの列が進んでその女性の会計となり横顔が見えると、遥斗は慌てて視線を逸らした。

 凛々しい眉毛に切れ長の目、そしてふっくらとした唇、間違いなく木原和香(のどか)だった。


 和香とは中学、高校と同級生で、四年間一緒に学校生活を送っている間に遥斗は同級生以上の感情を和香に抱くようになっていた。

 思いを伝える前に転校してしまい、遥斗の淡い初恋は儚く散ってしまった。


 そんな和香との偶然の再会に、遥斗の心臓は高鳴り初恋のときのように顔が紅潮した。


 本来なら嬉しくて自分から声をかけたいところだったが、今着ているのはミントグリーンのギャザースカートがその思いを遮った。


 視線を逸らして身を縮こませて和香に気付かれないようにレジを済ませ、サッカー台に買い物かごを載せ周囲を見渡すと和香の姿はもうなかった。先にお店を出て行ったようだ。


 気づかれなかったことに安堵しながら、エコバックに買ってきたものを詰めて遥斗もお店を出ようとした。


 お店の自動ドアが開いた瞬間、レジ袋を提げて立っている和香と視線があった。


「川島君?」


 真正面から話しかけられたこの場面、気づかぬふりで過ぎ去るのは難しい。遥斗は他人の空似で逃げ切りをはかろうとした。


「あ、いえ、違います」

「あ~その声やっぱり、川島君だ」


 そんな嘘、四年間一緒に過ごしていた和香には通用せずに、一秒と経たずにバレてしまった。

 顔を真っ赤にしている遥斗に、和香は言葉をつづけた。


「さっき、掃除道具コーナーで見かけたとき似てるなと思ってたのよ。まさか川島君がスカート履いているなんて思わないし、他人の空似かなと思ってたけど、レジで並んでいるときに妙にコソコソ隠れて不自然だったから、ひょっとしてと思ったんだ」

「ごめん、こっちも気づいていたけど、恥ずかしくて声かけられなかった」


 恥ずかしさで直視できずに下を向く遥斗の肩を、和香はやさしく叩いた。


「こっちこそ、ごめん。川島君の本当の気持ちに気付いてあげられなくてごめん。女の子になりたいって相談してくれてたら、協力したのに。突然、転校していったのもそれが原因だったんでしょ」

「あ、いや、それは……」


 遥斗は「違う」という言葉を飲み込んだ。再婚相手の連れ子と一緒に暮らすために女装を始めて生活するうちに、女の子の方が楽しくなったなんて、きっと理解してもらえない。

 まだ和香が勘違いしている、心と体の性の不一致で悩んで、誰も知らない土地で女の子として生活し始めたストーリーの方がしっくりとくる。


 黙っている遥斗を和香はじっと見つめた。


「脚はきれいだし、肌も透明感があってきれい」


 それは美和さんの脱毛エステと毎日のスキンケアのおかげだ。心を寄せていた女子から「きれい」と言われても、喜んでいいのやら、悲しんだ方がいいのやら、内心は複雑だ。


「今どこに住んでるの?」


 遥斗は今住んでいる住所を告げた。和香はスマホで検索すると、遥斗の目をじっと見つめた。


「そこだと、ここから1時間ぐらいだね。夏休みだし、今度遊びに行くね。連絡先教えて」

「……ああ、いいよ」


 遥斗はスマホを取り出し、和香と連絡先を交換した。

 ちょっと前までは欲しくてたまらなかった和香の連絡先を手に入れた遥斗は、ひきつった笑顔を浮かべていた。

 



 

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