第18話 約束
先生の話す声だけが響き渡る授業中とは対照的に、昼休みの教室は生徒たちの話声だけが響き渡っている。
美佳たちとの4人グループで昼ご飯のお弁当を食べているとき、遥斗のスマートホンに着信音が鳴った。
今日の朝、試合会場に向けて出発した若菜からのメッセージだった。
「51.8kgで余裕で、計量パスできたよ」
今日の朝家の体重計で若菜の体重を計ると、52.3kgだった。
あれから毎日飽きないように、麻婆春雨やチャプチェといった定番からカレー味、トマト味と変化をつけながら春雨料理を作り続けた効果は出ていた。
それでもあと300gぐらい足りずに不安を覚えていたが、若菜はそれぐらい計量前にひと汗かけば余裕と言って試合会場へと旅立っていった。
何はともあれ、無事に計量をパスできて遥斗はホッとした。
「気を抜いて食べ過ぎて、明日5%ルールに引っかからないように」
「は~い。明日の応援楽しみにしてる」
明日は若菜のたっての願いで、遥斗も試合会場で応援することになっている。
「そんなにニヤけて、どうしたの?」
「あ~、ひょっとして彼氏から?」
「川島さん、彼氏できたの?」
若菜とメッセージのやり取りをしていると、思わず頬が緩んでしまう。
そんな遥斗の表情の変化を、美佳たちは逃すはずはなかった。
佐藤さんの勝手な推測から、話が膨れ上がっている。
火のないところに火をつける、女子の怖さを感じた遥斗は早めに訂正しておくことにした。
「違うよ。妹だよ。義理の妹。明日柔道の全国大会で、今日計量だったの」
「あ~、あの妹さん。私知ってるよ。この前、テレビ出てたでしょ」
「私も観た。モデルのREINAの妹なんでしょ」
若菜は少し前に「未来のオリンピック選手」という特集でテレビ出演していた。その中で、モデルのREINAとは姉妹ということも紹介されていた。
玲奈と若菜とは義理の兄弟関係ということは、この前のカラオケの時に話していた。とはいえ、変な勘繰りをされたくないので、一緒に住んでいることは今も内緒だ。
お弁当を食べ終わった後も美佳たちとのお喋りを楽しんでいると、葉月が教室に入ってきた。
遥斗のもとに駆け寄ると、葉月は顔の前で両手を合わせた。
「遥斗、ごめん。数学の教科書貸して」
「また、忘れたの?」
「うん。昨日ちゃんと準備したつもりだったんだけど」
少し呆れ気味な遥斗はため息を漏らしながらも、自分の席から数学の教科書をとりだした。
「はい、コレ。次からは気を付けてね」
教科書で葉月の頭をポンポンと軽く叩いた。
葉月ははにかんだ笑顔を浮かべて、返事をした。
「は~い」
遥斗はその笑顔が可愛すぎて思わずデコピンをしてしまった。
葉月は一瞬だけ痛そうにして表情を崩した後、舌を少しだけ出して「テヘッ」と言う照れ笑いを浮かべた。
教科書を受け取った葉月が教室から出ていくと、教室には悲鳴と歓声の混ざった声が響き渡る。
「何、今の?美女同士のじゃれあい。これが百合ってやつか?」
「いや、待て。百合ではなく一応男女だ。いずれにしても尊い!」
「私も川島さんに頭ポンポンされたい!」
家でのノリを学校に持ち込んだことを後悔しながら、自分の席へと戻った。
◇ ◇ ◇
体育館は大きな歓声と、畳を叩く音が響き渡り、まるで戦場のような緊張感に包まれていた。
遥斗はスタンド最前列に座っている礼司と美和さんの見つけ駆け寄ると、隣の席に腰かけた。
「おお、遥斗来たか。ちょっと見ない間に見違えたな!」
遥斗の履いているチェック柄のスカートに視線を向けながら、礼司は大げさに驚いた。
「誰のせいでこんな風になったと思ってるだ。早く、みんなで住める家を見つけろよ」
実の息子に鼻を伸ばしている礼司に、心のどこかでは元の自分に戻りたいという気持ちも消えない遥斗はいら立ちをぶつけた。
「あら、遥斗君は男に戻りたいの?玲奈から女の子楽しんでるって聞いてたけど」
美和さんの言葉に、遥斗は複雑な気持ちになった。美和さんの言う通り、女装生活は悪くない。むしろ、新たな自分を見つけられたような気がして、こっちのほうが本当の自分なのかもと思うときもある。
「……まあ、そうだけど」
「良かった。試しに始めた男の娘サロン、意外と好調なの。今度新店舗オープンするから、協力してもらってもいいかな」
「あっ、はい」
三姉妹の美しさの源流ともいえる美和さんの甘い笑顔に、僕は思わず頷いた。
そうこうしているうちに、若菜の試合が始まる時間となった。
場内アナウンスに続いて、柔道着に身を包み、凛々しい表情の若菜が姿を現した。
試合が始まり、若菜の威勢の良い声がスタンドまで届いてきた。
柔道のことはよく分からない遥斗だが、それでも若菜の方が優勢に試合を進めているように感じた。
若菜が果敢に攻めて、相手は防戦一方だ。
試合開始から2分過ぎたところで、指導を2回受けて後がない相手が掛けてきた投げ技をかわし、足技を返した若菜が一本勝ちを決めた。
厳しい表情のまま試合後の礼と握手をしている若菜に、礼司たちと3人拍手を送った。
畳を降りたところでようやく若菜が笑顔をみせ、手を振ってくれた。
試合会場では別階級の試合が続いているなか、試合を終えた若菜が柔道着のままで、遥斗たちがいる観客席に姿をみせた。
「私の一本勝ち、見てくれた?」
「ああ、見たよ。すごかったね」
「なんか体のキレが良いんだよね。相手の動きも良く見えるし、体もスムーズに動ける」
「ああ、それはね、ただ食事を抜くだけの減量だと、脂肪と一緒に筋肉も落ちるけど、そうならないようにカロリーは低めでもタンパク質は摂るようにしたからね」
主菜を春雨料理で糖質を押さえる一方で、たんぱく源として豆腐やささ身といった低脂肪高たんぱくな食材を副菜に使って献立を組み立てた。
そうとは知らず毎日美味しそうにご飯を食べていただけの若菜は、感心した眼差しで遥斗を見つめた。
「すごい!ちゃんと考えてくれたんだね」
「お礼なら、玲奈さんにも言ってね。玲奈さんから、いろいろ教えてもらったから」
大学で栄養学を学んでいる玲奈は、専門的なアドバイスをしてくれた。
ただカロリーを減らすのではなく糖質や脂質などそのバランスが大事で、疲労回復に役立つビタミンBも摂った方が良いことを教えてもらい、献立作りに生かすことができた。
「そうなんだ。ありがとう。試合頑張るね」
「頑張ってね」
「それでね、遥兄ぃ、お願いがあるんだけど」
元気よく話していた若菜が、急に顔を赤らめた。
「優勝できたら、アタシとデートして」
「デート!?」
「だって、このまえ玲奈姉ちゃんと買い物行ったんでしょ。葉月姉ちゃんとは毎日学校一緒に行ってるし、アタシだけだよ。遥兄ぃと二人で出かけたことないの」
「わかったよ。優勝したらね」
「うん、頑張る」
若菜は弾むような足取りで試合会場へと向かっていった。
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