第19話 若菜とのデート
試合会場では48kg以下級の準決勝が行われている。
ゴールデンスコアの延長戦に突入しているこの試合が終われば、次は若菜の試合が始まる。
手元のパンフレットによると対戦相手は、大学4年生でインカレチャンピオンで去年のこの大会で3位に入っている。
若菜が優勝したらデートと約束したが、実力者ぞろいのこの大会で勝ち抜くのは簡単ではなさそうだ。
「ほら、若菜の試合が始まるよ」
美和さんの声に遥斗は顔をあげると、場内アナウンスが響き渡る中ちょうど若菜が入場してくるところだった。
若菜は畳に上がると観客席に視線を向け遥斗と視線がぶつかると、一瞬だけ笑みを浮かべた。
「始め!」
審判の開始の合図とともに激しい組み手争いが始まった。
階級こそ同じだが身長が高く手足の長い相手に、いい形で組ませてもらえず若菜は攻めあぐねている。
開始30秒ほどが経ち、相手の大外刈りを若菜が腹ばいでしのいだところで待てがかかった。
若菜が立ち上がると、息つくもなく「始め」の合図がかかる。
両者が組み合った瞬間だった。
若菜が素早く相手の懐に潜り込むと、そのまま背負い投げを仕掛けた。
次の瞬間、相手の背中が畳に打ち付けられた音が響き、つづいて審判の「一本」の声が響いた。
開始38秒での見事な一本勝ちだった。
これで優勝まであと1勝。
畳から降りた若菜が観客席にいる遥斗に向いて手を振った。
そして迎えた決勝戦。対戦相手は、村田香澄。この階級6連覇中で前回オリンピックでは金メダルを取っており、遥斗もニュースでその名前は聞いたことはあった。
獲物を狙う猛獣のような鋭い眼光の村田に対して、若菜の口元はゆるんで薄ら笑いを浮かべている。
決勝戦という大舞台を楽しんでいるのか、それとも早くも遥斗とのデートを妄想しているのか。
心配する遥斗が見守る中、決勝戦が始まった。
さすがは6連覇中の絶対女王次から次に技が飛び出し、迫力に押された若菜は防戦一方で開始2分早々で2回目の指導をもらってしまった。
3回目の指導で反則負けとなってしまい、もうこれで後がない。
攻めるしかなくなった若菜が強引にかけた投げ技を、待ち構えたかのように村田が足技で返した。
若菜は半身の状態で叩きつけられ、主審からは「技あり」の判定が下された。
倒れた若菜を寝技に持ち込もうと村田が、手を伸ばした瞬間だった。
若菜は左手で背中を右手で帯を掴むと、村田をそのまま反転させ逆に縦四方の抑え込みに入った。
一本勝ちまで20秒。優勝へのカウントダウンが始まった。
新しいヒロインの誕生を願うような「若菜」コールが会場を包む。
10秒が経ち、技ありとなりポイントでは並んだ。
足をバタつかせたり、エビぞりしたりと必死で逃げようとする村田を、懸命に抑え込む若菜。
遥斗は呼吸するのも忘れて見守り、心の中でカウントダウンをつづけた。
あと5秒。4,3,2,1,ゼロ。
ブザーが鳴り主審が「一本」と言った瞬間、暴れていた村田の手足が止まり、若菜はゆっくりと上半身を起こした。
「やったー!優勝よ。若菜が優勝したのよ」
感激のあまり抱きついてきた美和さんの温かく柔らかな体を感じながら、遥斗も優勝の喜びを分かち合った。
減量の手伝いをしただけなのに、自分のことのように嬉しさがこみあげてくる。
「若菜、おめでとう!」
人目も憚らず大きな声で祝福の声援を送った。見た目完全に女の子からでた野太い声に周囲から注目を浴びたが、気にならないぐらいの嬉しさが遥斗の心に満ちていた。
◇ ◇ ◇
日曜日、普段なら午前午後の2部練習だが、今日は先週の試合の疲労を考慮して軽めの午前練だった。
お腹は減っていたが帰り道コンビニで買い食いをすることもなく若菜は、練習が終わると家に直行した。
「ただいま!」
「おかえり」
「あれ、まだ準備してないの?」
「掃除してたからね。今から、準備するよ」
今日は待ちに待った遥斗とデートの日だった。若菜は浮き立つ足取りで、自室へと向かう。
部屋に入ると着ていたジャージを脱ぎ捨て、着替えを始める。丸襟のブラウスに黄色のリボンをつけ、グレーのプリーツスカートを履く。
いつもの中学校の制服だが、着替えが進むにつれワクワク感が高まってくるのを感じる。
着替え終えると、部屋をでてリビングのドアを勢いよく開けた。
「準備できた?」
「ああ」
「やっぱり遥兄ぃ、何着ても似合う。かわいい!」
若菜と同じ制服に身をつつんだ遥斗が、少し恥ずかし気な顔で立っていた。
ブラウスは駅前のスーパーで似たようなものを買い、リボンとスカートは葉月の中学時代のものだ。
制服デートがしたいという若菜の希望を、遥斗は渋りながらも最終的には応じてくれた。
好きな人が自分と同じ服を着ている一体感が、デートの期待を加速させる。
制服デートって最高!
遥斗に女装させて一緒に暮らすという玲奈姉ちゃんのアイデアの良さに、改めて感服してしまう。
「早く行こうよ」
「わかったよ」
まだ残した家事がないか心配そうに部屋の中を見渡す遥斗の腕を引っ張り、若菜は玄関へと向かった。
日曜日の駅前は買い物客や出かける人など多くの人が行き交い、賑わいを見せていた。
とりあえず家を出て駅前に来てみたが、若菜は困っていた。
デートって何するんだっけ?
若菜は家を出たところで、今日のデートプランがないことに気付いた。
憧れの遥斗と二人きりで過ごせる嬉しさで頭がいっぱいで、具体的に何をするなんて考えてもなかった。
「とりあえず、ご飯でも食べる?若菜、練習後でお腹すいてるでしょ」
「うん」
考えがまとまらないまま駅周辺を歩き回る若菜に、遥斗のさりげなく救いの手を差し伸べてくれた。
目についた駅前のファミレスに二人で入った。
日曜のお昼時ということもあり店内は混雑していたが、運よく待たずに席に座ることができた。
「優勝のお祝いで奢るから、好きなものを好きなだけ食べてもいいよ。減量もしばらくしなくていいしね」
「本当?いいの?このハンバーグにエビフライ付けて、食後にパフェとチーズケーキもつけていい?」
「いいよ。この前親父に会った時に、『女の子って、何かとお金かかるんだよね』ってお小遣いせびって、財布の中にあったお札全部もらったから」
遥斗が財布を開いて中身のお札を見せてくれた。本当に支払いを気にせずたくさん食べてよさそうだ。
◇ ◇ ◇
「もう、お腹いっぱい」
向かいの席に座る若菜が、膨れたお腹をさすっている。
お風呂上り下着姿で迫ってくる若菜、試合の時の凛々しい表情の若菜、どちらも好きだが、やっぱり美味しそうにご飯を食べる若菜が一番好きだ。
「次、何しようか?プリクラでも行く?」
「うん、行く」
デートを楽しみにしていた割にノープランの若菜を気遣い、次の予定を決めることにした。
ファミレスを出た後、駅ビルにあるゲームセンターへと向かった。
その途中、若菜が100円ショップの前で足を止めた。
「ねぇ、優勝祝いにプレゼントしてもらってもいい?」
「うん、いいけど。何?」
答えを言わずに若菜は店内へと入ってしまった。遥斗は慌ててそのあとを追った。
「これ。お揃いで買おうよ」
こぼれんばかりの笑顔の若菜が手に持っているのは、茶色のヘアゴムだった。
「いいけど、こんなので良いの?」
「校則でヘアゴムは黒か茶色って決まってるんだ。遥兄ぃも今黒のヘアゴム付けてるでしょ。今度から、茶色でお揃いにしようよ」
遥斗は若菜からヘアゴムを受け取ると、レジへと向かっていった。
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