第6話 女装の始まり

 遥斗が部屋に入ったことに気付くと、ソファに座って本を読んでいた葉月は本から視線を外して優しい声で話しかけた。


「こんにちは。疲れたでしょ?」

「いや、大丈夫」

「まずは、その重そうなリュックをおろしましょ」


 豪華な佇まいに圧倒され、背負ったままのリュックサックに初めて気付いた。

 慌ててリュックサックをおろすと、玲奈がそっと背後から抱き締めてきた。


 突然の展開に戸惑う遥斗は、微動だにせず立ちすくんでいると、玲奈が耳元でそっと囁いた。

 

「ちょっと、動かないで」

「はい」


 状況がわからないまま言われた通り動かずにいると、玲奈はすぐに抱き着いていた手を離した。

 


「80cmね」


 いつの間にか胸元にはメジャーが巻かれており、玲奈がそのサイズを読み上げると、葉月がメモ帳に書き留めた。


 何事かと呆気に取られているうちに、玲奈がウエストとヒップのサイズも次々に計りとっていく。


「じゃ、葉月よろしく」

「はい。行ってきます」


 葉月はピンクのスプリングコートを羽織ると、足取りも軽くリビングを出ていった。

 事情が呑み込めず呆然としたままの遥斗に、玲奈が声をかけた。


「狭くて悪いけど、あそこにお母さんが使っていた書斎があるから、遥斗は、その部屋使って。昨日届いた荷物もそこに入れてあるから」

「あっ、はい」


 我に返った遥斗は、玲奈が指さしたリビング左側の茶色のドアを開けた。

 書斎は3畳ほどの広さで、机と本棚が置かれていた。


 机の上には、前もって送っておいた段ボールが一つ置かれてあった。

 早速、段ボールを開けると中に入っていた本を本棚に入れ始めた。


 本を本棚に入れ、勉強道具を机に入れ終わったところで、送っておいたはずの服がないことに気付いた。


 書斎には服を収納する場所がないので、どこか別の場所に置いてあるみたいだ。

 玲奈に尋ねるために書斎をでて、リビングに戻った。


「玲奈さん、一緒に送った服の入った段ボール知らないですか?」

「あ~あ、アレね。中開けたら、いらないものだったから、ちょうど昨日ゴミの日だったし捨てちゃった」

「えっ、どういうこと?」


 服を勝手に捨てられた理由を問いただそうとしたとき、駅前の総合スーパーのロゴの入った袋を両手に持った葉月が帰ってきた。


「どう、葉月、良いのあった?」

「うん。これなんか、どう?」

「いいね。このスカートもかわいい!」

「でしょ。あのスーパーの衣料品売り場、プチプラで可愛い服が多いのよ」


 先ほど出て行った葉月は服を買いに行っていたようだ。

 買ってきた服をみて「かわいい」を連発している玲奈に、恐る恐る聞いてみた。


「あの~、盛り上がっているところ悪いですけど、僕の服は?」

「ああ、ごめん。その話だったね。ちょうど良かった、これに着替えてくれる?」


 玲奈は葉月が持っていた買い物袋を受け取ると、そのまま遥斗に渡した。


「着替えるって?これ、女物の服ですよね?」

「そうよ。このマンション、女性専用だもん。遥斗は女装して女の子として一緒に住むんだよ。お父さんから聞いてなかった?」


 そんな話聞いてない。

 スマホを取り出し、即座に礼司を電話をした。


「親父、どういうことだよ。女装して生活するなんて聞いてないよ」

「ごめん、ごめん。言うの忘れてた」


 そのとぼけた口調から、最初から言えば抵抗されるのが分かっているため、あえて黙っていたことはバレバレだった。


「まあ、こっちは美和さんと楽しくやるから、遥斗もそっちで楽しみな」


 それだけ言うと、礼司は一方的に通話を切った。


「というわけだから、早速着替えてね」


 諦めて玲奈から袋を受け取った服を見てみると、ピンクや水色などの明るい色のショーツやブラジャーといった女性用の下着も入っていた。


「下着も女物?」

「当たり前でしょ。女性専用マンションで、男物の下着が干してあったら、男と住んでるって大家にバレるでしょ」


 当然のように言う玲奈に押され、遥斗はそれ以上の抵抗を諦めて着替えることにした。


 「姉妹なんだから気にせずここで着替えてもいいよ」という玲奈の申し出を丁重に断ると、お風呂場の横の脱衣所に入り着替えを始めた。


 着ている服を脱ぎ、トランクスだけになったところで袋から取り出したショーツをしげしげと眺めてみた。


 男性ものにはないレースがふんだんに使われており、小さくつけられたリボンもかわいい。


 年頃の男子として女性の下着を見たい欲求に駆られたこともあったが、まさか自分自身が履くことになるとは想像していなかった。

 

 覚悟を決めてトランクスを脱ぎ、ショーツに足を通した。その滑りのいい生地の感触は心地よくも感じた。


 本来、前の膨らみを収納する造りになっていないため、股間の前の方が窮屈だが、締め付けられる感触が新鮮だった。


 遥斗はブラジャーを手に取った。

 ショーツとは逆に、本来あるべきものがない体に身に着けられることになるブラジャーに必要性は感じないものの、フリルやレースが多用されたその美しさに魅了され肩ひもに腕を通した。


 後ろのホックに手を伸ばして、留めようとするがうまくいかない。

 手の位置を変えたり、姿勢を変えたりして試してみるが、上手くいかず苦戦していると、脱衣所のドアをノックする音につづいて葉月の声が聞こえてきた。


「遥斗さん、脱いだ服はそこのゴミ箱に捨てておいてくださいね」

「ああ、わかった。ところで、葉月さん、ブラジャーのホックってどうやって留めるの?」


 恥を忍んで、葉月にホックの留め方のコツを尋ねた。

 すると、脱衣所のドアがガチャリと開き葉月が入ってきた。


 慌てて股間の前の部分を押さえながら、葉月に背を向けた。


「もう、姉妹なんだから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいですよ。それに、『葉月さん』って呼ばないで、『葉月』って呼んで」


 ショーツとブラジャーだけという裸同然の遥斗を見ても、葉月は動じることなく話しかけた。

 葉月は優しく遥斗の背中に触れると、ブラジャーのホックを留めた。


「ありがとう」


 お礼を言う遥斗の肩にそっと手を伸ばし、葉月は耳元で囁いた。


「女の子なんだから一人で留められるようにならないとね」

「う、うん」

「背中で留めるのが難しいなら、前で留めてから回す方法もあるよ」


 背中に感じる葉月の柔らかい感触と温もり。

 女性用の下着を身にまとって、かわいい女性に後ろから抱き着かれるという、訳の分からない状況に体温が上がってくるのを感じる。


 洗面台の鏡を横目で見てみると、顔は真っ赤になっている。


「昼間から興奮しちゃって」


 葉月はその胸をわざと遥斗の背中に押し付け、揶揄うような口調で言った。

 

「コラ、葉月。抜け駆けはズルいぞ!」

「だって、成り行きで仕方なかったんだもん」


 玲奈が葉月の腕を掴むと、力づく遥斗の体から離した。

 名残惜しそうな葉月と怒っている玲奈を脱衣所から追い出すと、スカートに足を入れた。


 

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