ちょっとウチの家族とかが意味わかんない件について~異世界ってなんか思ってたのと違うんだけど~

卯月二一

第一章 失われゆく日常

第1話 帰り道

 どこにでもある地方の小さな町。かつて大きな合戦があったことで知られる歴史的にも有名な場所であるが、その一点を除けばただの田舎町である。


 小雨の降るなかセーラー服の少女が透明なビニール傘をさして歩いている。肩まで伸びた黒髪にスラっと伸びた手足。まだ中学生になって二ヶ月ほどしか経っていないが同世代の男子の目を惹くほどには愛らしい顔立ちをしている。まったく本人には自覚はなく同世代の女子たちと同様にどちらかといえばコンプレックスのほうが強い。


 肩から彼女の通う中学校指定の白いカバンを提げているがその中に教科書やノートなんかは入ってはいない。数本の筆記用具と消しゴム、それと小学生のころから使っているプラスチック定規。そんなものが収まったお気に入りのピンクのペンケースがカバンの底で揺れている。それに寄り添って電源を切られたスマホが一台いっしょに揺れている。上空は彼女の新品のカバンをあと何ヶ月か使い込んだらそうなるだろうという色をしていた。ところどころ灰色がかってはいるがおおむね白く、隅から隅まで本来青いはずの空を覆い隠していた。


 ときおり彼女の横を乗用車や軽トラックが通り過ぎていく。車は朝からの雨によってできた大きな水たまりを避けて減速しながら進んでくれる。彼女はそんな車を見やりながら山側の道を歩いている。


「はあ……。少ないけど車も通るし、これ必要ないよね」


 スカートのポケットに入れていた『熊よけ』の鈴を取り出してそう呟く。こっちの学校に転校してから母に持たされたものだ。振ってみるとチリーンと澄んだ音色で綺麗に響いてくれた。


――もう、クマが出るってどんだけ田舎なのよ!


 そう思いながらもその真鍮製のベルを繰り返し鳴らし、その音色を楽しみながら歩く。


――さすが、高級品だけのことはあるわね。たぶん……。まあ、知らないけど。


 彼女は中学入学と同時に母親の実家があるこの町に引っ越してきた。祖父母と母との四人で暮らしている。父は一緒ではない。母と離婚したのだ。普通ならとても悲しいことのはずなのだが、役所に書類を提出し離婚が正式に決まってからもしばらくはいつも通りの穏やかな生活がつづいた。そのせいなのか不思議なことに彼女は特にショックのようなものは感じていない。


 父も母もどうみても仲が良く見えたし、理由を聞いても『それは大人の事情ってやつだね』という父。そして母も『あなたが大きくなって理解できるかは分からないけども、これがベストの選択だって場合もあるの。つまり大人の事情ね』と同様の答えになっていない返事を繰り返すだけだった。父は落ち着いたら会いに来てくれると彼女に約束してくれたし、これまで父が約束を守らないことなんてなかったので、彼女にはそれがちょっと出張で会えないのと同じくらいにしか考えていなかった。

 

 入学当初は東京から来たということで珍しがられた。他の生徒たちはみな同じ小学校出身で顔なじみなのである。以前は離れた場所にあるひと学年数人しかいないような分校からひとりふたりやってくる生徒もいたのだがそこも数年前に廃校になったらしい。女子だけでなく男子も彼女に気さくに声をかけてくれるし、担任の先生も若くてきれいなお姉さん先生である。


――みんないい人たちなんだけど。やっぱり私には無理だ……。


 ゴールデンウィークが明けて数日登校したのち、精神的限界が訪れる。そして彼女は今日学校を休むつもりでいた。しかし仮病を母に見抜かれた彼女は、祖父の運転する軽トラックに乗せられ強制的に学校へと連行されることになる。祖父は彼女の気持を察したのか、サボってどこかに遊びにいこうかと提案してくれた。だが彼女は断固これを拒否し、校門をくぐる。


 母に負けた気がするのが嫌だったのだ。そんな彼女の振り絞ったなけなしの覚悟も三時間目の体育のあとにはかけらすら残ってはいなかった。休み時間になると職員室へ直行し、話のわかる担任のお姉さん先生を見つけ相談。そしてなんとか早退することに成功したのである。彼女が小学生時代、とはいっても6年生の一年間なのだが不登校であったことをこの先生が承知していたのが大きかった。


――理解ある大人は好きよ。佐久間先生はちょっとお人好しすぎる気もするけど、可愛いし、あの人はずっとあのままでいて欲しいな。それに比べてウチの鬼軍曹ときたら何なのかしら……。


 彼女はカバンの底で沈黙しているスマホのことを考える。きっと母から何らかのメッセージが届いているはずである。それも何件も。足元の水たまりを避けながら黙々と歩き続けた。


 数十分ぶりかに彼女の横を通過した自動車がUターンして引き返してくるのが、その軽トラ特有のエンジン音で分かった。顔を上げて振り返るとフロントガラス越しに満面の笑顔の祖父を確認できた。立ち止まった彼女の横にゆっくりと軽トラが停車する。


「よお、彩乃あやの。お早いご帰宅じゃのぉ」


「お爺ちゃん!」


「学校から連絡があっての。おまえ、学校で待っておらんといかんじゃろうが。ケータイも繋がらんし、先生さんも慌てとったぞ」


「ははっ……。そうだっけ?」


 彩乃と呼ばれた少女はとりあえずとぼけることにした。先生が家に連絡を入れるということまでは聞いてはいたが、祖父が迎えに来ることまでは頭になかった。一刻も早くあのコンクリートの巨大な監獄から脱出を図りたかったのだった。


「無理せんでええからの」


「……」


 祖父のひとりごとのような言葉に彩乃は何も言えなかった。道路の右側に広がる水田を見つめることしかできなかった。雨が強く降り出してきた。軽トラのワイパーがキュキュッ、ギュギュッと変な音をたてながら頑張っている。


「お爺ちゃん、ちゃんと前見えてる?」


「もちろん。ん? 心配しとるのか? 儂はまだまだ現役じゃ、安全運転数十年の大ベテランじゃぞ」


「だって、前に事故ったって言ってなかった?」


「ああ、あれはシカじゃ。山ん中から飛び出してきよって……。さすがに肝が冷えたのぉ。車のライトが割れたくらいじゃったし、そいつもすぐに逃げてしもうたしな。これはノーカン、まだまだ無事故無違反の優良ドライバーじゃ」


「し、シカ……。そっか、クマもいるんだからシカもいるよね」


「最近、クマが出たと聞いたな。彩乃も気をつけるんじゃぞ」


「う、うん」


――ただ歩いているだけで命の危険があるなんて、ここはどんな秘境なのよ?


 雨のせいでぼんやりとしか見えないが、水田の向こうにうっすらと黒い塊が浮かび上がる。巨大な長方形の建物。


「あれって、工場だっけ?」


「ん? ああ、そうじゃ。よくは知らんが精密機械をつくっとるらしい。去年完成したんじゃったかの。外資系の会社らしくての。胡散臭く見とったが、町の人間もあそこに多く働きに行っとるから問題ないんじゃろうな」


「ふーん」


 自然の広がるこんな田舎町に未来的な建造物。祖父がいろいろと聞いていた知り合いの話や怪しげな噂話をしてくれていたが、彼女はその内容の半分もちゃんと聞いてはいなかった。ただその黒く巨大な塊をぼんやりと眺めていた。

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