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慌てて教室に入り、空いている席を見つけて座る。教授はすでに黒板前の教卓に資料や教材を置いており、今にも講義が始まりそうである。
はぁ~、と一息つき、何の気なしに辺りを見ていると、ある人物と不意に目があった。そしてすぐに視線を逸らす。それは相手も同じようで、視界の端で目を逸らしているのがわかった。
まさか同じ講義を取っていたとは……。自分の目には映っていないが、俺はきっと苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう。
彼とは一年の頃に講義を通じて知り合い、絵が好きで『絵を描く』という共通の趣味嗜好を持っていたことから意気投合した。そこから何かと行動する時は彼とずっと一緒だったと思う。今いるバイトも、弘海さんから紹介を受けた俺が彼を紹介し、よくツーオペで入っていた。――そう、入っていた。
虹輝とは
目線の先に、こちらに背を向けて座る虹輝は、一切こちらを気にせず講義に集中している様子だ。もしくはあの頃と同じように、早々に講義に飽きて絵を描いているのかも知れない。
そもそもこうして疎遠になってしまったのも、『絵』が原因である。そう、あれは確か春休み中のバイトの時――
***
二月二十二日、深夜のコンビニにて。
俺と虹輝が雑談をしながら互いに絵を描いていた時。虹輝はデジタルで、俺は今描いている『ウミカと思しき絵』を描いている時だった。
俺が雑談をしながらも集中して絵を描いている時に、なにやらいつもは見せぬ真剣な顔でこちらを凝視してきた。気になって堪らず声をかける。
「どうかしたか?俺の頭にハエでも止まってるか?」
「ちげえよハゲ」
「なっ……別にハゲてねぇし。デコ広いだけだし、将来的には怪しい、かも……ってなんだよ!ならなんでこっちばっか見てんだよお前」
「……なんかお前のその絵、気持ち悪い」
「……どういう意味だよ、それ」
今にして思えば、なぜそう言ったのかという疑問や、口下手な彼が言い方を間違えただけだろうと冷静に考えられただろうが、ろくに寝ずに夜勤をしていたことや、その言い方や意味が癪に障ったことから、ずいぶん喧嘩腰な言い方になってしまっていた。
その敵意に気づいたのか、何故か虹輝もこちらを睨みつける。
「だからその絵気持ちわりぃって言ってんの。得体の知れない異物感が、そいつにはあんの!……たくっ、描き手なら気づけよ、そんぐらい」
「なんだよっ、その言い方……わからねぇもんは分かんねぇだろ!じゃあなんだ?コッチもお前が描いてるその絵も、トレンドに媚びっこびで中身が無くて、きもっちわリィって言えば満足か?なぁ!?」
「お前っ、そんな風に……あーないわ。そりゃ無いわー、お前。……絵に殺されても知らねぇわ、テメェなんか」
「っ!!」
この時、なにかが弾けた。俺が虹輝に掴みかかって取っ組み合いの喧嘩になり、そこからはよく覚えていない。覚えているのは、バックヤードからもの凄い音がして気になった、納品を届けに来たベンダーさんが仲裁をしてくれたことだけである。
それから虹輝とは疎遠になり、一切の関係を捨てた。
***
今振り返ると、あの時の一番の被害者はベンダーさんじゃねえか。本当に申し訳ないことをした……。
あの時、虹輝は本当は、何を伝えたかったのか。あの場で冷静になって質問出来ていれば……あの時微塵も思ってもいない彼の絵に対する批評をしていなければ……。今となっては『たられば』の話。どうすることも――
……いや、あの話が本当なら。ウミカの言っていた、『過去を変える』という荒唐無稽な話がもし、本当ならば。『たられば』となった過去を、後悔している『親友』との喧嘩別れも。変えられるのか……?
講義が進んでいく中、その内容を蔑ろにして思考を巡らせる。あの場面を変えるには……あの過去を避けるためには……。やはり虹輝の意見をきちんと聞くこと。過去に戻って今ある惨状を回避するには、それしかない。
そう考え、決心するうちに、一つの疑問が湧く。過去を変えても未来は変わるのか?よく聞くじゃないか。『タイムパラドックス』とかいうあの定説。あの説通りなら、流れゆく運命の一点を変えたとしても、さまざまな別の要因が湾曲して、もとの未来と変わらないことになる。ならウミカの言っていた『過去を変える』、という発言も例に漏れず、結局は変わらないんじゃないのか?
そう考えている時に、ウミカの言っていた言葉を思い出した。『正しく通った過去に変える』。ウミカは確かにこんなことを言っていた。この言い方だとまるで、今までの俺が捻じ曲がった過去を通ってきたみたいな言い方で、癪に障る。でも――
「それじゃ、今回の講義はここまで。リアクションペーパー、ここに置いてって」
その声に驚き顔をあげて前を見ると、教授が教卓の荷物を片付けている。……いつの間に講義終わったのか、ってなんも聞いてねぇしリアクションペーパーも書いてねぇ!!
あたふたしながら、板書と手元にある資料とリアクションペーパーを交互に見ながら手を動かし、リアクションペーパーにやっつけの、デタラメなことを書いて席を立つ。虹輝がいた席を見ると、そこには既に誰も居なかった。
教室を出て帰路に着く。なんだか落ち着かない気持ちを抱えながら俺は、気づけば上り坂を前傾姿勢になりながら早歩きをしていた。
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