第5話
やがてやってきた夫人の手当てを受け、母は静かに眠りについた。その寝顔だけでも見つめていたかったが、帰りなさい、と夫人に冷たくあしらわれて部屋を後にする。
母の体に棲む妖魔は、おそらくは父によって植え付けられたものだった。正体の知れない妖魔を植え付けられたのは夫人も同様で、あの縦長の目と先の割れた舌は生来のものではないと聞く。
沈痛な面持ちでディアナは塔を後にし、そのまま別宅を通り抜けて外に出た。
寝物語に聞いた話が真実であるなら、夫人が妖魔を植え付けられたのは長男を亡くし、別居した後のことだ。愛人を囲って好き勝手に暮らす夫人への罰だったのか、他の意図があったのかは分からない。その後に産んだアリアに死霊術の素養があったのは、その妖魔の影響ではないのかと言う者もある。
母に植え付けられたのが同じ種の妖魔なのか、また植え付けられた時期がいつなのかといったことは分からない。発現したのが最近というだけで、ディアナを身ごもる前に植え付けられていた可能性もある。
──いっそそうだったら、アリアのように魔障を請け負って産まれたかったな。
暗い思いに目を伏せ、瞬き、吹き荒れる春先の風に誘われて視界を巡らせる。
服装を誤魔化すために野駆けをするなどと言ってはみたものの、とてもそんな気分にはなれなかった。かと言って本宅に戻る気にもなれず、厩へ向かう気にもなれず、敷地内の草原をあてもなく歩く。
敷地の一角にある植物園にアリアの姿を見つけて、ディアナはふらりと足を向けた。
いくつにも区画を仕切った植物園では、触れるだけで肌がただれるほどの強い毒草から流行り病、感冒に効果のある薬草まで、さまざまな種類の植物が育てられている。
アリアはその中で植物の手入れか採集をしているのだろうと最初は思ったが、近づくごとに目をこらせば、人の手が入った管理区域ではない場所で目当ての植物を引っこ抜こうとしているようだった。よほど根が頑丈なのか、渾身の力で引っ張っても抜けないようで、手を放して額をぬぐっては再び植物に手をかける。
そのうちにディアナに気づいたらしく、アリアは土に汚れた両手を大きく振った。
ディアナが手を振り返すと、アリアは何か思いついたように小首を傾げ、ディアナに向かって何かを放る。次いでアリアが両手の指で地面を示すので、得心がいったディアナはアリアが放ったらしい何かを中空で受け止めた。
ディアナの目に映ることはない「何か」はおそらく死霊たちから抽出された魔素だ。目には見えないが、なんとなくそこに何かがある気がする、という程度の気配なら分かる。
これらは、ディアナ以外の血族の目には映るのかもしれない。アリアから預かったそれの周囲にかざした手を一周させた後、ディアナは足もとの大地に勢いよく押し込んだ。そのまま両手で地に押さえつける。足首ほどの高さの草葉がそよぐ風に揺れ、やがてディアナの意図した方向に向けてかすかな揺れが大地の中を走りだした。
手を放し、視界を上げてアリアを見る。地中の振動はそれより早く伝わったようで、アリアの周辺に向けて波状に広がった揺れで土くれや小石が躍り、急速に水分を失ってさらさらの砂へと変じていく。
その中央にしゃがみ込んでいたアリアが突然、支えを失ったようにふらつき、そのまま尻餅をついた。
「あっ──ごめん、やりすぎた」
思わず声をかけるも、アリアは手に持っていた目当ての草を砂上に叩きつけ、不貞腐れて何か喚いている。
ディアナは想定上の範囲に広がって柔らかくなった砂を踏みつけ、アリアに近づいた。
ディアナは血族の中で最弱の能力しかないと言われているし、自分でもそう思っている。しかし、アリアの持つ死霊の力を借りると、いつもこう──想定の数倍の効力を発揮してしまって、その制御も効かないのだった。
このことを知っているのはディアナ自身とアリア、そして王都魔防隊のごく一部の上層部だけだ。伯爵家の血族には何も明かしていない。
「もぉぉぉ。ちょっとだけ、この子の根を抜きやすくしてくれるだけでよかったのにい」
砂はアリアに近づくほど深くなる。座り込んだ太ももの大半までが砂に埋もれた状態でアリアは手近の砂を両手で叩いて喚いていた。
「ごめん、ごめんってば。代わりに何か、あー……採取物の整理くらいは手伝うから」
幼児のように両頬をふくらませるアリアに手を貸し、砂の中から立ち上がらせる。
立ち上がったアリアは服についた砂を両手で払い、それからなんの予告もなしにすいっとディアナの身に体を寄せた。ほとんど背丈の変わらないディアナの耳元に唇を寄せ、小声でささやく。
そのささやきにディアナは目を見開き、アリアの唇が離れた耳のそばに手をやった。アリアは今しがた手にしていた草を拾い上げ、肩越しにちらりとディアナを振り返り、その場にディアナを置いて歩き出す。
ディアナは呆然とした表情で脳裏にアリアのささやきを反芻した。
──かわいそうだから、許してあげる。今日か明日、誰かが死ぬよ。
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