第4話

 ディアナの母が幽閉された塔は館の北端にあって、入り口はヘディテ夫人の魔術によって封印されていた。

 身の回りの世話をする者の出入りがあることは知っている。扉は錆びついてなどいなかったし、足もとにはうっすらと火が灯されている。古い建物ゆえの黴臭さはあったが、鼠が走り回るようなことはなく、清掃は行き届いていた。

 とは言え窓は明かり取り程度のものしかなく、幽閉を目的に作られた塔のように思う。伯爵家の過去にあった出来事をつぶさに知っているわけではないが、必要に応じて作られた場ではあるのだろう。

 少なくとも一年半前までは、母はユレンベック伯オーリーが暮らす本宅にいた。贅沢は好まず、しかし品のある調度に囲まれた部屋で穏やかな日々を送っていたはずだ。王都魔防隊への随伴を命じられた直後、帰宅してその生活ぶりを見ているのだから確信がある。

 それゆえ、任を解かれて戻った生家で母の迎えを受けられなかった時は驚愕した。

 本宅の使用人の中には気さくに話せる相手もあったから、母が別宅にいることまではすぐに分かった。しかし別宅での母の生活については誰一人知る者はなく、母に会う方法を模索する中、夫人から呼び出しを受け、別宅の出入りを許された。そのくせ母に会わせるわけにはいかないと言う夫人に頼み込み、自身にできることならなんでもすると申し出た結果が今の関係というわけだ。

「……おはよう、母様。会いに来たよ」

 母の居室に入ると同時に声をかける。母からの返事はなかった。

 いつものことだ。目を覚ましてはいるもののベッドから身を起こすことはなく、空虚な瞳で虚空を見つめている。

 ディアナは女中が用意した朝食入りの籠をベッド脇の小机に置き、背と肩を支えて母を起き上がらせると、背もたれ代わりに手近の寝具を積み上げた。姿勢の安定を確認してから籠のふたを開け、陶器製のポットを両手で包んで中身を温める。

 実戦に役立つほどの魔術の才能には恵まれなかったが、これくらいの能力ならばディアナには備わっていた。異母弟妹と比べれば誰よりも弱い力だ。それでも、母に温かい飲み物を届けられることはうれしく思う。

 紅茶を含ませ、柔らかくしたパンを匙で口もとに運ぶ。母は遠い目をしたままではあったが、拒絶することはなく唇を開き、咀嚼して飲み下す。

 ここに至るまでにいったい何があったのか、食事をすることすらも忘れてしまった母との、悲しくも穏やかなひと時だった。

 食事の締めにはすり下ろしの果汁を丁寧にひと匙ずつ口に含ませ、持ち込んだ食器類はすべて籠に戻す。

 そのあとには最近気に入りの詩集を取り出し、うちの何編かを読んで聞かせた。なんの反応もなかったが、母の所在さえ分からなかった時に比べれば、こうしてそばにいられるだけでもましだと感じていた。

 本当なら毎日だって会いに来たい、ずっとそばにいたいと思う。そのたびに夫人の夜の相手をしなくてはならないと思うと身が持たないような気はするし、何より父の許しを得ることができないのだが。

 少なくとも十五年間は本宅に住んでいたはずの母が、今はなぜ夫人の管理下にあるのか──。

 それに関しては父も上級の使用人たちも、また夫人も何も語らない。

 パチ、パチチ、と中空に火の弾ける音を聞いて、ディアナははっと顔を上げた。小指の先よりも小さな火花が母を取り囲むように弾けている。母の血色の悪い肌にはいつしか蛇の鱗のような紋様が浮かび上がっていた。

 周囲の火花を目視でとらえ、指先から放った小さな水球でひとつひとつ消していく。

「──母様」

 呼びかけると、頬にまで浮かび上がった紋様の先の瞳が動いてディアナをとらえた。

「あら……ダナ。来ていたの」

 母のそばにいると、時折こういうことがある。この紋様が浮かび上がった時だけ母は正気に返るようだった。

「……うん。今日は天気がいいから野駆けをしようと思って、その前に立ち寄ったんだ」

「あら、いいのね。それで男の子みたいな恰好で。……ふふ、よく似合ってる」

 そうして穏やかに笑んだかと思えば、母は顔をしかめ、鋭い痛みをこらえるように背を丸めて苦悶の声を上げる。

 ディアナは唇を噛みしめ、近くの壁に垂らされた紐を強く引いた。小さな窓の外側や暗い入り口につながる通路にいくつもの鐘の音が響く。

 ベッドまで戻り、ディアナは母を抱きしめる。苦痛に震える体を抱きとめることはできても、その肌の上でうごめく蛇の紋様を止める力は、ディアナにはなかった。

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