第3話
夫人が立ち去った後、場は大きな騒ぎにはならなかった。しばらくは誰かの名前を呼んで震えていた女中も、いまや凍りついたほどの無表情で血だまりを清掃している。
母が幽閉されている部屋の鍵は手に入れた。鍵穴と形は合えど、夫人の魔術が──あの何気ない一息がなければなんの役にも立たない鍵だ。母に会うためには都度、夫人の手からこの鍵を受け取る必要がある。
ディアナの母ジュイとヘディテ夫人は同い年の従姉妹で、同郷で生まれ育っていた。母は、夫人との間には期待どおりの子が望めぬと考えたユレンベック伯が妾として強引に引き入れたうちの一人だと聞いている。
母と夫人の間にあったのだろう出来事をディアナは直接には何も知らない。少なくとも寄宿学校時代に母とやりとりした手紙の中に、夫人を貶める言葉はなかった。
変化があったとすれば、手紙のやりとりさえ禁じられた卒業後の一年の間だ。心身の成長と魔素の安定をもって寄宿学校を卒業した後、ほとんどの子弟はおのおのの生家へ戻るが、ディアナとアリアはともに王都魔防隊への随伴を命じられた。出生のわりには能力に恵まれなかった二人に対する研究という名目に基づく王命だった。
望みのものを手に入れたからと言ってすぐに席を立つ気にはなれず、ディアナは忙しなく働く女中たちを見つめていた。彼女たちの大半は買われた身と聞いている。帰る家も逃げるあてもないのだろう。
頃合いを見計らって席を立った時、ディアナは入り口の人影に気が付いた。同じ屋敷に暮らしてはいるものの、夫人の居室付近には滅多に姿を現さないアリアだった。屋内だというのに暗い色のフードを目深にかぶっている。
「うわぁ……。今回も派手に荒れたねえ」
夫人よりいくらかくすんだ滅紫色の瞳で無遠慮に周囲を見回し、内容のわりには呑気な、とぼけたような声でアリアは言った。
遺体はとうに運び出されているし、あらかたの清掃は終わった後だ。切り裂かれたカーテンなどの痕跡はあるとは言え、アリアの目は違うものを見ているのだとディアナは知っていた。
「おはよぉ、ダナ。ご機嫌よう。生きのいい子たちを回収にきたよぉ」
アリアは上機嫌に足を踏み入れ、両手に持った細い棒をくるくると回しながら部屋を一周する。後半には鼻歌まで歌い始める始末で、ディアナはため息をつかずにはいられなかった。
死霊術──。貴族に連なる血筋の者が生来持ち合わせる魔術の中ではもっとも異質で、忌み嫌われる能力だ。死者の肉体や祖霊を操るのではなく、死により解き放たれた魔素を集め、我がものとして使うだけだと本人は言っている。
アリアの不謹慎な言動は今に始まったことではなかったが、何度聞いても慣れるということはなかった。
「あんたね、いくらなんでも言いようってものがあるでしょう。……何も悪いことをしたわけでもないのに、かわいそうに……」
「そーお。いつものことでしょ、たまたまそこに立っていたのが運の尽きってね。いいんじゃない、これ以上は痛くも怖くもないんだから」
同意を得るつもりがあったわけではないが、あまりに噛み合わないアリアからの回答に、ディアナは口をつぐむしかなかった。
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