第106話 心の死
身体が消し飛ばされる……焼かれる、切り刻まれる、凍らされて砕かれる、刺し貫かれる、潰される、溶かされる、喰われる、雷に打たれる、風に切断される、水で溺れさせられる、猛毒に侵される……ありとあらゆる死に方を経験した。
時間にして何分ほどこうして戦っているのか、もう理解できないぐらいの時間を戦っている。魔の者はひたすらに俺のことを殺し続け、俺はひたすらに挑み続けている。力の差は膨大で、俺が少しずつ強くなっていても全く届かないと思えるほどに実力差が存在している。人間では神に勝てないと……魔の者が言い切るのもわかってしまうほどに魔の者は強力で、なにより生物として完成されていた。
無尽蔵に湧いてくる魔力、あらゆる状況に対応できる多彩な魔法、圧倒的な肉体強度、驚異的な再生能力、冷静な判断能力による視野の広さ、傲慢も謙遜もない的確な自己分析、どれを取っても人間とは桁違いで、まともに戦うことすら馬鹿らしいような存在だ。そんな相手に何度も殺されていると、流石に心も折れそうになってくる。
「は……あ、ぐ」
『まだ、やるのか? 精神が折れる前に焼き切れるぞ。人間の精神に限界は存在する……お前のような強靭な精神力を持っているものであろうとも、人間が人生で何度も経験することはない死を伴うような痛みと、自らの存在が消えていく死の恐怖を何度も耐えることなどできはしない。諦めて世界の全てに対して妥協を見せるべきだろう……それが生き残る道だ』
「う」
最早、俺の口から出てくる言葉はない。ただ苦痛に濡れた空気が溢れてくるだけで……何かを喋ろうなんて思えないほどに精神は摩耗し、脳が何度も死んだ事実によって麻痺しているのがわかる。
俺の心にあるのは恐怖ばかりだ。次はどうやって殺されるのか、どんな風に抗っても理不尽に殺されるだけではないのか……圧縮された感覚の中で諦めてしまった方がいいと自分自身が語りかけてくる。なのに……俺の足は勝手に前に進んでいた。
『……理解できない。死ぬことが怖くはないのか? 痛みを受け入れているとでも言うのか? いや、人間にそんなことができる訳がない……これは実力なんて話ではなく、生物であるのならば逃れることはできない本能のはず。痛みの感覚がなくなることはあっても、痛みを忘れることなどできない。死ぬことが怖くない人間などいるはずがない……恐怖は生物にとって最も原初的で本能に刻み込まれた避けられない感情だ』
「ご、ち」
震える足に触れながら、思い切り叩きつけて顔を上げる。
「ごちゃごちゃと、うるせぇ」
俺が口にできたのはそれだけだった。力を振り絞って出てきた俺の強がりの言葉を聞いて、魔の者は驚愕に目を見開いていた。
『認めよう、その精神力……それは死を知らない神には存在しないものだ。死という概念が存在することは知っていたとしても、神という存在は本質的に死というもの理解することはない。何故ならば、我らは生きていないからだ。死というのは生があるから存在しているのだ。我のような神にとって死という概念は存在しない……消えたとしても、そのうち復活するからな』
「くそっ……」
やっぱり、神は死なないのか。あの再生能力、そして女神と魔の者の戦いを見ていた思っていたことだった。互いの存在を疎ましく思っていて、何度も戦ったような口ぶりなのに、決着については一度も言及していなかったその歪な感じからして、恐らく常に決着はつかなかったのだろうと予測していた。実力が拮抗しているからではない……どちらかが勝っても、そもそも神を殺すことはできないのだ。だから女神と魔の者は、戦うことはあっても終わりが来ることはない。
死があるからこそ生きている……魔の者はそういったが、俺とは真逆の考えだ。
「人間が、死を恐れるから生きている」
『なに?』
「死が先じゃない……人間は誰しも、死を遠ざけたいと思うから生きている。健康に気を遣うのも、呼吸を止めないのも、食事をするのも睡眠を取るのも、死にたくないと思っているからやることなんだ。人間は、死を恐れている」
『だが今のお前は死を恐れていない』
「いいや、俺は死ぬことを恐れている。お前に何度も殺されて……はっきり言ってもう立ち上がることすら諦めて逃げてしまいたいと思っている」
本当のことだ。俺は今すぐにでも、目の前の圧倒的な存在から逃げたいと思っている。そもそも、人間が神に勝てると思う方が馬鹿なのだ……勝てる訳がない相手と戦うことほど馬鹿なことはない。それでも俺が立ち上がっているのは、きっと俺にとって死を恐れることよりも大切なことだからなんだ。
「ここでお前に背を向けて逃げ出したら……俺という自己が死ぬ。肉体が死ぬか、精神が死ぬか……それだけの違いで俺はここで立ってお前に立ち向かっている」
『精神が、死ぬ?』
「肉体的な死が無いって言うのなら、俺がお前に教えてやる」
自然と力が湧いてくる。俺にとってこの戦いは、世界の命運をかけた戦いではない……自らの誇りをかけた戦いになっている。既に俺の精神は限界も間近……肉体的には絶好調なのに、心が死にかけている。だが、まだ死んでいない。死にかけているだけで、俺はまだ生きているんだ……なら立ち上がるしかない。
「神は、心が死んでも生きていられるかな?」
『……不可能だ。我の精神を殺すことなどできはしない。そもそも、神にそんな感傷的な感覚などありはしない。我の精神を削ることなどお前には──』
「できるさ……お前は俺のことを楽しそうに観察していたよな? だったら……お前にも心はある。それを削り切れば、俺の勝ちだ」
無茶苦茶なことを言っている自覚はある。多分、そんなことをやっていたら俺の方が先に焼き切れて死んでしまうことはわかっているのだ。それでも……ここで立ち止まる訳にはいかなかった。人間として、神に見せてやらなければならないのだ……生きると言うことがどういうことなのか、しっかりとその目に焼き付けてやらなければならない。
『いいだろう。お前の悪足搔きを見せてみろ……そして、しっかりと殺してやる』
「やってみろ」
勝ちの目は無い。
精神を攻撃する方法なんて俺は知らないし、肉体的な死を与えることなんてもっとできない。けど、それでも……勝つために最善の行動をするのが、人間の戦い方だ。
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