第105話 死人と同じ
車のエンジンがゆっくりと温まるように、俺の中に存在している女神の力もまたゆっくりと出力を上げ始めている。
顔面を殴られて何をされたのか理解できないって顔をしていた魔の者は、こちらを睨みつけてきた。取るに足らない小物であり、どうやって動くのかを観察していただけのはずだった相手にぶん殴られれば、流石に頭にくるらしい。しかし……こっちとしてはそんなことはどうでもいい、重要なことじゃない。今、俺にとってもっとも重要なことは……全力を出せば魔の者のバリアを破ることができるってことなんだ。
「
『ちぃっ!?』
疑似再現した魔の者の魔法も威力が上がっている。魔の者が扱うオリジナルと遜色ない程、と言えればよかったのだが、まだそこまでには達していない。ただ……ぼーっと座っているだけでは魔の者でも手傷を負うぐらいの威力にはなってきているのだ。
これだけの規模の魔法を連発していればいくら俺でも魔力が持たなさそうなものだが、女神の力による影響なのかわからないが逆に身体から大量の魔力が溢れてくる。
『観察対象からすっかりと敵に変わってしまったな』
「最初から敵だ」
『我にとっては敵ですらなかったと言うだけのことだ』
逆に言えば、今はもう敵として認識できるぐらいの能力になってきているってことだよな。それはそれで嬉しいんだが……まだ俺の実力では魔の者を殺し切ることができるレベルではない。これからどんどんと強くなっていけばわからないが、今の内から魔の者が俺のことを敵として判断しているのならば、そもそも対抗できるレベルに達する前に消されてしまう可能性が高い。こんな時に共に戦ってくれる仲間がいてくれると頼りになるのだが……デザスターとシェリーはこの次元から放り出されてしまった。
ジャラジャラと鎖を揺らしながら魔の者が動き始めるのに合わせて、俺は敢えて距離を取る。
『安心しろ……殺そうとは思っていない。ただ、二度と我に戦いを挑もうと思えないほどに心に傷をつけてやるだけのことだ』
「それはもう実質的に殺されているようなもんなんだよ」
『どうかな』
魔の者の瞳が怪しく光ると同時に、周囲が暗黒に覆われていき……鎖から解放された五体満足の魔の者が現れた。
『さて、何処まで抵抗できるか試してみろ』
「
言われるまでもなく、魔の者への攻撃をやめるつもりなんてない。しかし……いつの間に封印を解いて左腕を再生させたのだろうか。やはり女神が不意打ちを受けて吹き飛ばされたから、封印が一気に弱まったのだろうか。
俺が放った神秘の光は……魔の者の肌を少し焼いただけの効果しかなかった。
『人間の限界を超えても所詮はこの程度か。悲しいな……生まれつきの種族の差だけでこれほどまで絶望的な実力差が存在しているのだからな』
俺は魔の者の言葉なんて全て無視して接近しながら
『ふ』
「っ!? ぐぁっ!?」
笑いながら少し力を込められた瞬間に足の骨が砕けた。激痛と共に地面に無様に這いつくばることになった俺に対して、魔の者はゆっくりとこちらを覗き込むように顔を近づけてきた……ので、顔面に
『仕方ない』
「あ」
ため息を吐きながら指先に魔力を集中させているのを見た瞬間に、俺は自身の死を予感し……足が砕けているので逃げることもできずに放たれた暗黒の衝撃波に飲み込まれ……意識が途切れることなく俺は両足で立っていた。
「は?」
『どうした? もう絶望したか? 圧倒的な実力差を前に絶望して屈するのは理解できるが、せめてもう少し態度に出したらどうだ?』
足を砕かれ、逃げることもできずに漆黒の魔力を浴びせられたのに……何故俺は当たり前のように生きているのだろうか。
『そら』
「っ!
『ん?』
正面から放たれた衝撃に対して
まただ……身体に走った激痛は俺の頭に記憶されている。足は砕かれたし、魔力の衝撃波受けるだけで全身が砕け散るような痛みと共に命を散らされているはずなのに、何故か俺はこうして立っている。
いや、待てよ……そもそも魔の者は俺のことを殺そうと思っていないと言っていた。だとしたら、今の状況は明らかにおかしいだろう。さっきから魔の者は俺のことを平然と殺そうとして来ている……気が変わったのか? いや、敵である魔の者にこんなことを言っても仕方ないが、あいつはそんな短気な感じではない。じゃあ今の状況は?
「幻、か」
『ほぉ?』
魔の者の封印が急に解けたのも、吹き飛ばされたはずの左腕が普通に再生しているのも……全ては魔の者が見せている幻。そして、俺の目の前にいる魔の者は……封印から解放された時の姿と力をそのまま再現しているのだろう。
この幻の世界は国王が使っていたものと似ているが、明確に違うところがある。それは……俺の存在そのものも幻であるということだ。だから俺はさっきから何度か死んでいるのに、普通に生きている。激痛をそのまま感じているのは、脳がこれを現実だと認識してしまっているからだろう。人間は思い込むだけで何もない所でも火傷をすることができる生き物だ……脳はこれが現実だと思っているから、激痛がそのまま襲ってくるのだ。
『気が付いたところで何ができる? たとえ幻だとしても、我の力が盛られている訳ではないぞ? 封印が解ければ我は同じようなことが当たり前のようにできる。お前の命を一瞬で散らすことだってな……ならばもう戦う意味はないのではないか?』
「黙れ」
ゆっくりと足が存在していることを確かめながら俺は魔の者に近づいていく。
「生きることを諦めたら、それはただの死人だろうが。俺は実力差なんて気にしてない……ただ、お前と戦わないと人間として生きていくことができないから、抗っているだけだ」
『ふむ……失敗だったか』
魔の者は俺の心を折るのが目的だったんだろうが、俺にとってここは死なない世界だ……安心して思い切り戦うことができる。遠慮なく魔の者に挑ませてもらおう。
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