第101話 倒すべき敵
冥府とは、死者の魂が行き着く先である。冥土、幽界、黄泉……言い換えるための言葉が沢山存在するが、意味することは全て同じ、死後の世界で概ね間違っていない。
「冥府って人間が思ってよりも凄くて、隣の次元に行ったりできるの」
「どういう理屈で?」
「冥府は存在そのものがあやふやだから、この世界ってかっちりと決まっている訳じゃないの。それを利用することで自らの存在そのものをあやふやにして隣の次元に移動ができる……まぁ、多分君が思っている通り、正しい渡り方ではないよ?」
だろうね。しかし、冥府があやふやな場所ってのはなんとなく理解できる……意図せずに訪れたことがあるからなのか、理屈ではなく感覚として確かに感じられるのだ。
女神にとっても冥府は管轄外のようだが、その意図的に自らの存在をあやふやにして隣の次元に移動すること自体はできるのだろう。正規のしっかりとした手段ではないので、それなりのデメリットも存在はするのだろうが……先手必勝と敵を攻撃にしに行くのに手段なんて選んでいる暇がないので俺たちは早急に動かなければならない。
「で、仮死状態ってはどうすれば──」
「えい」
女神が腕を振るった瞬間に、立ち眩みを感じた。眩い光のようなものが目の前に広がって……意識が後ろに引っ張られているような感覚を味わいながら……俺はぼーっと倒れていく自分の身体を眺めていた。
ん? 倒れていく自分の身体?
「うぉっ!?」
その光景に疑問を持った瞬間に、俺は浮遊感に襲われて慌てて地面に両手を付けたところで……目の前の光景に呆気に取られていた。
「冥府……じゃねぇか」
そう……浮遊感に抗うように膝と両手を地面につけていた俺の視界の先に広がっていたのは、何時ぞや見た光景……闇よりも暗い深淵が広がる大きな穴。少し視線を上げれば、曇天なのに光り輝く奇妙な空……間違いなく、俺は再び冥府に来てしまったのだ。
冥府に来たってことは、俺は女神によって仮死状態にさせられたってことなのか? 最後に聞いた声は「えい」とかいう女子小学生みたいな可愛い声だった気がするんだけど、それで簡単に仮死状態にされたと考えるととんでもないことやらかしてくれてるな、おい。あれが神の力なのだろうか……何をされたのかも理解できず、抵抗することすらできずに仮死状態にされてしまったのだからちょっと神って存在が恐ろしくなってしまった。なにより、そんな力を持っている女神でも滅することができない魔の者と、本当に俺が戦うのかと思ってしまったのだ。
「人生で何度も来るべき場所じゃないと思うんだがな」
「そうは言っても、隣の次元に渡るにはこれぐらいのことをしないと駄目だからね。次元を移動するだけなら他にも手段があるけど、魔の者が潜んでいる隣の次元って正確な場所へと移動するにはこうしないと駄目なの」
「……そうですか」
ふわりと目の前で浮遊している女神の言葉に俺はなんとか返事をしようと思ったが、ちょっと呆れて言葉が出てこなかったのでそのまま黙ることにした。
背後にはいつの間にかシェリーとデザスターの姿もあったのだが、まだぼーっとしているらしい。
「じゃあ行くよ」
「もうちょっと心の準備とかさせてくれない?」
「駄目。一刻を争う事態だからね」
それはわかってるんだけども……と口に出す前に、座り込んでいた階段が崩れて深淵へと真っ逆さまに落ちていくことになってしまった。
『はっ!? 落ちてるのかっ!?』
「え? え?」
浮遊感によって意識がはっきりしたのか、デザスターとシェリーが驚きの声を上げていたが、それに対して俺がなにかを言うよりも早く、俺たちは深淵に落ちていった。
真っ暗で何も存在していない……なのにそこら中から気配を感じる不気味な場所。深淵の中には何かが潜んでいるのだろうということしか理解できず、普通の人間ならば数分間もとどまっていると発狂してしまうのではないかと思うような場所。
深淵の中を見通すことなどできないので、大人しく女神の背中を追いかけているのだが……女神はまるで深淵の中に何があるのかをしっかりと見通しているのかのような動きをするので、ちょっと興味が湧いてきた。
「なぁ、深淵って何が広がってるんだ?」
「きっと見られない方が幸せだと思うわ。少なくとも、人間が見て言いものじゃない」
よし、興味が消えたので見ないことにした。
「ん……そろそろ覚悟してね」
「なんの?」
「意識が飛ばないように気合を入れてねってこと。存在そのものをあやふやにするんだから、ちゃんと気張らないと二度と戻ってこれないから」
「そういうことはもっと早く言ってくれないかな?」
普通にヤバいこと言い出したよ。
「大丈夫……ここまで頑張ってきた貴方たちなら簡単に乗り越えられるよ。ほら行くよ!」
ぐわん、という効果音が付きそうな衝撃が突然俺の頭を襲って来た。意識が飛びそうって感覚ではないが、まるで荒波に揉まれて揺れる船の上にいるような感覚で……とにかく頭が左右に振られるような勢いがある。地に足が付いている感覚もなく、周囲は深淵なので視界だって確保することができず……ただぐらぐらと揺れる視界と、胃から這い上がってくる気持ち悪さを堪えて目を閉じる。
ぐらぐらとしばらく全てが揺れていたのだが……少しずつ揺れが収まり、なんとなく地に足が付いたような感覚ができた瞬間に、俺の本能が危険信号を発し始めたので目を開けながら左に移動した。
「は?」
ただ自分の感覚に従って左に移動しただけなのだが、結果的に敵の初撃を避けることに繋がった。ちらっとさっきまで立っていた方向へと視線を向けたら、女神が驚いたような顔でこちらを見つめていた。
「助けようと思ったら自分で避けちゃんだもん……ちょっと驚いちゃった」
「状況は?」
「その……次元を渡ることには成功したんだけど、既に動きがバレてたみたいで……」
女神がおそるおそると言った様子で指差した方向には、鎖で全身を縛られながらも、偉そうにデカイ椅子に座っている紫色の肌をした魔王がいた。
『ただの人間ではないな。女神に選ばれた……いや、女神が他次元から持ってきた助っ人か。愚かな……そこで無力な人間に頼るのが貴様の弱さだと言っているのだ』
「封印は解かれているのか?」
「まだ……だけど、こんな風に攻撃することも喋ることもできるみたいだから、ちょっとマズいかも」
なるほどね……目の前のこいつが、俺の倒すべき敵って訳だ。
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