第90話 深淵

「先に進むしかないだろ」

「そ、それはそうなんですけど……」

『冥府だぞ? 恐ろしくないのか? 先に進んだらもう帰ってこれないかもしれないんだぞ? 普通に考えたら、生きてる人間が最も近寄りたくない場所だろう』

「そんなこと言ったって、ここで黙っててもなにも始まらないぞ? そもそも、来た道を戻ってきても現世に帰ることができる保証だってないし……俺たちは女神の肉体を探しに来たんだぞ?」


 俺だって困惑している。王墓に忍び込んだと思ったら、そのまま死後の世界に繋がっている場所に出たんだからな。生きている人間が最も近寄りたくない場所って言われたらその通りだと思うが、俺たちがこのままここでぼーっとしていれば、魔の者が復活することで現世も似たような地獄になるのだからこんなところで立ち止まっている訳にはいかないだろう。

 まぁ……俺はそもそも1度死んでからこの世界に来ているってのも関係しているかもしれないけど。死ぬことは恐ろしいことだ……自分が死んだ瞬間なんてぼんやりとして覚えていないが、それでも死という概念を俺は他の人間よりも正確に理解している。理解しているからこそ恐ろしいものだってあるのだが……それでもここで立ち止まっている訳にはいかない。


「俺は行くぞ!」

『お、おい! 思い切りが良すぎるぞ!』


 女神の外套はしっかりと機能している……このまま円形の穴へと突っ込んでいけばそのまま下層まで行けそうだ。

 ちらりとシェリーとデザスターへと視線を向けてから……俺は勢いをつけて穴の中へと飛び込んだ。


 風を切りながら下へと落ちていくが、その途中に螺旋階段でフワフワとなにかが浮いているのが見える。人魂とでも言えばいいのだろうか……やはりここは死後の世界なのだろうか。それにしたって、王墓と思わしき建物からそのまま冥府に通じているなんて理解の範疇を超えている。そこら辺も含めてしっかりと解明しなければならない。


「止まれ!」

「うぉっ!?」


 全く底が見えない深淵へとそのまま加速して突っ込んでいこうかと思ったら、いきなり横から何かがすっ飛んできて俺は動きを止めた。女神の外套によって空中を自在に移動することができる訳だが、当然ながら限界は存在する。

 紙一重で避けたそれは手投げ槍だったらしく、俺の頬を掠めてそのまま壁に突き刺さっていた。槍が飛んできた方向へと視線を向けると……そこにいたのは俺に襲い掛かってきていた骸骨だった。


「貴様っ!」

「な、なんだよ!?」

「穴に飛び込んで順番を抜かすとは何事か! 死してなお、ルールを破るとはなんたる極悪人! しっかりと最後尾に戻り、厳正な審判によって裁かれろ!」

「いや、そもそも死んでないから!」


 誰が極悪人だ! てか、なんでそんなイベント会場みたいな最後尾とかあるんだよ!


「極悪人が死んだ時は大抵そうやって自分は死んでいないと言うものだ……お前もしっかりと裁かれろ!」

「だから、死んでねぇって言ってんだろ!」


 空中を浮遊して突っ込んできた骸骨の顔面をぶん殴る。手で殴られたことに驚いているのか、ゆっくりと骨の手を顔に持って行ってから、おそるおそるとこちらに顔を向けた。骸骨で表情がないからこいつが驚いているのかどうかわからないんだけど……多分、仕草から信じられないって感じの顔をしていると思う。


「本当に、肉体がある?」

「だから言ってるだろ? 俺は死んでない」


 ここで「いや、やはりお前は死んでいるぞ」って言われたら本当にどうしようかと思ったが、やはり肉体があって死神が殴れるのは異常なことらしい。


「だが、何故生きた人間が冥府に──」

『……ト……オ…………セ』

「──はっ! おい人間、さっさと最下層まで行け」

「えぇ……」


 今、確かに地底から響くような声で「通せ」って聞こえてきたんだが……それが聞こえた瞬間に骸骨は態度を変えていきなり下まで行けって言いだした。仕事をしている死神としては、上司からの命令に従ってさっきまでの言葉を翻すのは有能なのかもしれないけど、いきなり目の前で掌返されると困惑するんだが。

 それにしても……冥府にも管理人がいるとは思っていたが、もしかして神のような存在なのだろうか。秩序の女神以外の神って名前を聞いたことがないからいるのかどうかもわからないんだけども……冥府を支配している存在なんて神以外にないだろ。


 言われたとおりに加速しながら底に向かって降りていき……数秒もすると深淵の中へと突っ込んだ。不思議と水の中にいるような感覚がするのだが……息はできている。


「生あるものが冥府に足を踏み入れるとはな。それで、貴様はここに何をしにきた」


 真っ暗で何も見えない深淵の中をひたすらにうろうろとしていたら、いきなり背後から声をかけられたので驚きながら振り返ったら……そこには巨大な頭蓋骨があった。明らかに、声はそこから響いている……つまり、目の前にある巨大な頭蓋骨がこの冥府を取り仕切っている存在なのだ。


「女神の肉体を、取り戻しに来た」

「女神の肉体だと? ふむ……なるほどな。お前の目的は理解した……が、駄目だな」

「は?」

「生者が冥府に来ること、そのものが間違っている。貴様のような生者に冥府に存在しているものを一つでも持ち帰らせることはできん……それは世界の道理に反することだ」

「なら、このまま諦めて帰れと?」


 最悪、このままこの骸骨と戦って殺す必要があるかもしれない。冥府の管理者である骸骨に死の概念があるのかどうか知らないが、戦う準備はある。


「まぁ、待て……あくまでも通常の生者に関しては、だ。貴様は女神の力を持っているな?」

「え? あ、あぁ……」

「なら貴様は完全な生者とは言えん。神に生死の概念は存在しないからな」


 なにその屁理屈みたいな。


「女神の身体はこの深淵の奥にある。だが……女神というのは深淵に飲み込まれた存在が近寄るものだ……気を付けていけ」

「深淵に飲み込まれた存在?」

「貴様、道中で敵に襲われただろう? 光を嫌い、特殊な力を欲する連中だ」


 道中の、骸骨のことを言っているのか?


「あれらは深淵に飲み込まれた存在……生きている訳でも、死んでいる訳でもない。闇の中を彷徨うことしかできなくなった魂の成れの果てだ。冥府を管理している私ですら手を出すことができない存在」


 死者とは、また別なのか。


「そら、さっさと行け……あぁ、それと一つだけ頼みごとをしておこう」

「それを聞いて俺にメリットはあるのか?」

「ある。私の頼み事を聞くことが、女神の魂を取り戻すことに繋がるはずだ」


 魂に?


「内容は?」

「貴様が生きている国の王を殺せ」

「フェラドゥの、国王を?」


 いきなり国家転覆をしてこいなんて言われてもどう反応していいのかわからないんだけども。

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