第77話 悪い予感は当たる

 神経を削られる迷宮だ。

 フェラドゥの地下迷宮は次々に襲い掛かってくるモンスターや、階層ごとに様変わりする環境、数日前とは全く違う景色など、どちらかと言えば自然の脅威を凝縮したような迷宮で、適応能力が求められる場所だ。

 しかし、この砂漠の迷宮遺跡は違う。張り巡らされた罠、明らかに人間心理の隙を狙っているかのような狡猾な仕掛け、直接的な攻撃を仕掛けてこずに罠を張って待ち伏せするモンスター、人間の感性を狂わせるように設計された通路……どれもが悪意を持って人間を殺しに来ている。


「大丈夫か、シェリー」

「は、はい……少し、待ってください」


 フェラドゥの地下迷宮に何度も潜り、モンスターを何度も倒しているシェリーが肩で息をしながら壁に背を預けて座り込んでいる。聖女として教会の中で育てられた彼女は人の悪意に慣れていない。モンスターや環境変化という自然の脅威には慣れていても、人から向けられる濃密な殺気と悪意には逆に敏感になり過ぎているのだ。

 人の悪意には底がない。地に落ちてきた高貴な人間を容赦なく叩いて追い打ちをかけ、敵わぬ相手には遠巻きに悪意を振り撒いて孤立させようとする。人間が圧倒的な力を持つモンスターたちよりも上回っているのは、この悪意だと俺は思っている。

 人間の悪意と言うのは、慣れることができるようなものではない。ただ、経験があるとその悪意を受け流したり、逆に悪意で返すことができるようになるだけで、人間は他人から向けられる悪意に対して強くなることなどできない。

 シェリーは素直に悪意を受け取り過ぎているから、こんな風に疲れ果てていて、俺は悪意を適当に受け流しているから大して疲れてはない。こういう風な場所なのだと1度慣れてしまえば、後はどうとでもなる。


「うぅ……髪の毛にベタベタがくっついてる……」


 いや、結構余裕ありそうだな。

 シェリーが髪の毛から引き剥がしている黒いベタベタとした粘着質のものは、道中で大型の蜘蛛が張り巡らせていた糸だろう。毒針を持ちながら狡猾に人を待ち伏せしていたモンスターだが、こちらが罠を見破ったことを確認したら速攻で背中を向けて逃げ出していた。ここら辺も普通のモンスターとは違うと感じる所だ。

 通常のモンスターは基本的に人間を相手にして背中を向けることはない。何故ならば、彼らにとって人間とは野生で戦わなければならない相手であり、背中を見せることは即ち死であると思っているから。勿論、捕食を目的として近づいてくる奴らもいるだろうが、基本的には人間は敵であると思って攻撃してくることが大半だ。元々魔の者によって生み出されたとは思えないほどに自然で悪意の薄い存在なのだが、この迷宮に住んでいるモンスターは特に狡猾なものが多い。ま、狡猾に罠を仕掛けているからモンスターに悪意がある訳ではないんだけれども。


「本当に、こんな所に女神の力があるんでしょうか?」

「無かったとしても、ここまで厳重に罠が仕掛けられている先が気になって仕方がない。単純に探索者として中をずっと見ていたいと思うぐらいには、この迷宮には浪漫を感じるんだ」

「お、男心ってやつですか?」

「どうなんだろう……そうなのかな?」


 別に浪漫を追い求めるのは男の特権って訳じゃないんだから、男心とは言わないような気もするし、男は現実を見ないのよねって言われて男心って言われるとそうかもしれないと思うし……まぁ、なんにせよ俺はもう女神の力とか関係なくただ奥が見たくなってきただけである。


「立てる?」

「もう大丈夫です……本当はもうちょっと休憩してたいですけど、このまま休憩してたら私を置いていきそうなので」

「いや、そこまでではないけどさ……まぁ、早く行きたいなーとは思ってた」

「ですよね」


 本当にごめん。



 復活したシェリーと共に再び歩き出した俺は、周囲を警戒しながら歩いているのだが……どうにもやはり誰かの視線を感じてしまう。最初はモンスターの気配だと思ったし、その次は罠が仕掛けられているからその悪意を感じ取っていると思っていたんだが……どちらも関係は無さそうだ。そうなると、もう誰かが俺たちを監視しているとしか思えないのだが……そんなことをする奴がいるのだろうか。

 考えられるのは、やはり魔の者か。


「ギィッ!」

「……骨?」


 脳を動かしながら周囲を警戒していたら、いつの間にか目の前に犬が現れた。しかも、全身が骨でできている……スケルトン系のモンスターらしき犬だ。

 大きさとしてはちょっと大きめの犬ぐらいの大きさなんだが……骨なのに何処から声を出しているのか気になってしまった。いや、くだらないことを気にしているって自覚はあるんだけどね?


「ギィ……グバァッ!」

「おっと」


 カタカタと骨が震えるような音を発しながらこちらを見つめていた骨が、いきなり口を開いて襲い掛かってきたので、反射的に足で顔面を蹴飛ばしてしまった。そのまま壁に叩きつけられた骨の犬はバラバラになり……ゆっくりと集まって再生し始めた。


「……どうする?」

神の御手ホーリーライト

「え」


 再生するなら面倒だなぐらいの気持ちでシェリーに聞いたら、間髪入れずに神の御手ホーリーライトを使用した。

 天から光の杭を落とす基礎的な神聖魔法だが……建物の内部で使うと、ご丁寧に建物の天井に空間の裂け目みたいなものが現れていきなり降ってくる。どういう原理なのかと前に聞いてみたことはあるが、自分も知らないと言われて気にすることはなかった魔法なんだが……こうして見るとやはりシュールだ。

 通路の天井からいきなり生えてきた光の杭が、再生したばかりの骨の犬を砕く。同時に、聖なる光がモンスターという存在そのものを浄化する。じゅわっという音と共に


「は!?」

「え、えぇ!?」


 暴れ狂うように波打つに、俺とシェリーは驚いてまともに反応することもできずに地面を転がされる。神聖魔法は聖なる光を纏っているため、魔の者が生み出したモンスターに対して絶大な威力を発揮する。その光は、魔の者に連なる存在を焼き尽くすのだが……まるで通路が焼かれているかのような反応を見せている現状に、俺は頭が追い付いていなかった。


「これ、もしかして俺たちはモンスターの腹の中にでもいるのか!? いつの間に!?」

「また幻覚ですか!?」

「い、いや……流石に幻覚だったらちょっとは違和感があるはずだから、これは間違いなく現実のはずなんだが……まさか、人がいないのも、女神が作った迷宮なのに悪意に満ち溢れているのも」


 そもそもこの迷宮自体が、モンスターだった?

 人生と言うのは、最悪な予想ってのは結構当たるものである。俺たちはいつの間にか、通路というモンスターの腹の中に入ってしまっていたらしい。

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