第76話 殺意の罠

 女神が作ったと噂されている砂漠の迷宮。最初に入って思ったことは、思ったよりもフェラドゥの地下迷宮と似ていると思ったことだ。フェラドゥの地下迷宮は不定期に中身が変化している摩訶不思議な迷宮だが、こちらは作られてから内部が変化したって話はないらしいが……何処となく雰囲気が似ている。狭苦しい迷宮の中で、そこら中からモンスターに見られているかのような圧迫感と寒気の強さは、それこそ地下迷宮と同じものだ。

 最初は儀式的な意味で作り出されたものを勝手に迷宮って呼んでいるのかとも思っていたんだが……どうやらマジでしっかりとした迷宮らしい。シェリーもそれを感じ取っているからなのか、さっきまでの柔らかい笑顔は消えて迷宮探索者としての真剣な顔に変わっていた。


「この迷宮……かなり深そうですね」

「そうだなぁ……中はひんやりしていて、砂塵もないから探索はしやすいかもしれないけど、モンスターの気配はそこら中から感じるし、厄介なことにならないといいけどな」


 迷宮の中から感じる異形の生物の伊吹は、何処か陰湿な雰囲気を醸し出している。それはこの迷宮の特性なのか、それともこの迷宮に住んでいるモンスターの特性なのかはわからないが……取り敢えず、フェラドゥの地下迷宮のようにモンスターが力でドーンって感じの場所ではないんだろうなってのだけはわかる。


「危ないっ!」

「え」


 歩き出してみないと何も始まらないので数歩だけ前に進んだ瞬間に、石畳が沈んで前から炎の矢が飛んできた。シェリーの声に気を取られて振り返った瞬間に、飛んできたもので、反応することができずに腕に1本刺さってしまったが、それ以外は壁にぶつかって虚空へ消えた。


「いってぇ!?」


 腕に深々と刺さり、同時に炎で血と肉を焼く不快な匂いを漂わせながら燃え盛る矢を、俺は無造作に引き抜く。右腕の肘付近に刺さっていた矢を抜くと、同時に傷跡から大量の血が流れ出る。刺さった深さから考えるとこれでも血の量は少ないと思うが、それは矢が燃えていたから傷跡から溢れる血が少なく済んだのだろう。それでも、血液がびしゃっと地面にばら撒かれるぐらいの量ではあったが。


神の慈悲リカバリー!」

「ありがと……ん?」


 顔面蒼白って感じでシェリーが俺の腕に神の慈悲リカバリーをかけてくれた。傷が塞がっていくと同時に、失った血液が戻ってくるような感覚を味わいながら俺は左手に持っていた引き抜いた矢を見つめたら、すーっと透けていくようにして消えていった。


「魔力で生成された矢、ってことか? 実体はあるけど、発射されてしばらくすると消える……いや、肉体に刺さっていない状態だと消える、みたいな条件付きか?」

「そ、そんな複雑な魔法条件をつけられるものなんですか?」

「さぁ? でも、実際に俺に当たらなかった残りの4本は壁にぶつかった瞬間に消えていたし、俺に刺さったこれだって抜いた瞬間にこうして消えたんだから、多分似たような条件だと思う」


 かなり緻密に条件が設定されていなければ、こんな挙動はしないだろう。

 まず、石畳のスイッチを踏んだ瞬間に炎の矢を生成して5本発射する、という条件が1つ。そしてその矢は絶大な威力と燃えているのに真っ直ぐに飛ぶと言う能力を持ちながら、生物の肉体に刺さらなければそのまま魔力となって消えるという条件がつけられている。

 高度に計算された複数の魔法を緻密に組み合わせることで可能としているトラップだと思うんだが……これは確かに人間が作ったとは思えないほどのトラップだ。女神が作ったと噂されるのもわかる。しかし、同時に俺はある1つの確信を得た。


「この迷宮、作ったのは女神じゃないな」

「やっぱり、ですか?」

「あぁ……正直、あの女神がこんな陰湿なトラップを仕掛けるとは思えない。もし女神が建物を作ったのだとしたら、後からその内部を迷宮に変えた奴がいる」


 女神と会話したことがあるからこそ、俺は確信していた。良くも悪くも裏表がないあの女神が、こんな陰湿な迷宮を作るとは思えない。そもそも作っていないか、作ったものに後から誰かが手を加えたか……それぐらいだろう。


「でも、そうするとやっぱり魔の者、ですか?」

「それ関係しかないだろうな。少なくとも、陰湿だがこれほどまでに緻密にコントロールされた魔法は人間には不可能な領域だ。もし、これを人間が作ったのならば……歴史上に名前が残るような人間ってことになる」


 それほどまでにあり得ない条件に条件を重ねた限定的かつ強力な魔法。まず人間の魔力コントロール能力では不可能だ。

 傷が塞がったのを確認して右腕をぶんぶん回していたら、凄い心配そうな顔でシェリーに見られたのでやめた。自分の神聖魔法の腕前をもう少し信じた方がいいと思うんだけどな……この程度の火傷と矢傷なんて簡単に治るぐらいの力はあるんだから。


「それにしても……こんだけ騒いでもモンスターが寄ってこないってことは、実は嫌な気配は全部罠によるもので、モンスターはそんなにいなかったりして」

「そうでしょうか? まだ入口だからじゃないですか?」

「そうかもしれない」


 そう言われるとあんまり否定できない……こんな傷を受けたけど、まだ入ったばっかりなんだよな。


 罠にかかっていきなり傷は負ったが、こんな所で立ち止まっている訳にもいかないのですぐに立ち上がって前に進み始める。勿論、今度は周囲に気を付けながら、だ。もう一度罠にかかったら恥ずかしいし、反省はしっかりと次に活かさなければ反省とは言えないからな。

 足元と同時に周囲の壁などにも警戒を怠らないようにして歩く。足元ばかり見ていたら別の罠に引っかかった、なんてことになったら目も当てられない。なにより、足元の罠に警戒させてから別の場所から罠を、なんてありがちな話だしな。


「この紐、罠ですかね」

「足元、気をつけてな」

「え?」


 不自然にぶら下がった紐を発見したシェリーが、警戒しながら慎重に進もうとしたのを止めて、その足元にあったスイッチを指差す。それを発見して、唖然とした表情を浮かべるシェリーを見て、俺はより強くこの迷宮を生み出したのが女神ではないと思ってしまった。だってあまりにも人の心理を突きすぎだろう。悪意とかそんなレベルではない……絶対に侵入者を殺してやるって覚悟が伝わってくるからな。

 この迷宮、王家によって管理されている貴重な場所なのにあまり研究が進んでいなのはこういうことなんだろうか。ここに来る発掘者はあまり多くないとは聞いていたけど、俺はてっきり街から遠いからなんだと思っていたんだが……どうやら中が殺意マシマシな罠で溢れていたせいだったらしい。

 はー……これならもっとちゃんと説明を聞いておけばよかったな。

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