第72話 白亜の壁

「あれがオアシスだ」


 男に前を歩かせながら広大な砂漠をずーっと歩いていたのだが……どうにも男が道に迷う素振りを全く見せない。やはり地元の人間にしか見えない何かがあるのだろうが……そこら辺を理解しないと永遠に迷いそうだな。地元の人間は迷いなく進むことができ、外からやってきた人間は広大な砂の海に取り残され、流砂に呑まれたり幻覚を見せられて死ぬまで歩かされたり……まさしく幻影の砂漠、ってことだな。

 男が指を差した方向には確かに薄っすらと建物が見える。蜃気楼かなんかじゃねぇのかとも思ったが、そのままずんずんと男が進んでいくのできっと合っているのだろうと思って俺もその背中を追いかけて歩く。


「盗賊さんは街に着いたら突き出すんですか?」

「んー……あんまり興味ないかな」


 この土地の人間に対してそこまでしてやる義理はない、と言えば冷たいと思われうかもしれないが、事前にデザスターからはこの土地に人間には気を付けろと言われているのであんまり信用していないってのもある。実際、砂漠にやってきて最初に出会った人間が盗賊な訳だし。

 普通の盗賊でも悪人でしかないのに、砂漠のド真ん中で旅人から全てを奪おうとする奴なんて完全に殺しに来てるだろ。何も知らない土地で荷物を奪われて道もわからずに延々と歩き回る。そうやって死んでしまった人間がどれだけいるのか……こいつらの手慣れた動きから考えてもあまりいい場所とは言えないだろう。


「そうしてくれると助かる。突き出しても金なんてくれやしねぇぞ? なんなら、余計な仕事を増やしやがってって顔されるのがオチだな」

「うーん、クズ」


 砂漠の治安が悪いのか、そもそもオアシス周りの街がそういう感じなのか……とにかく安心してゆっくりとしていられる街ではないことがわかった。それに、シェリーの格好も危ないかもしれないな。

 シェリーは基本的に露出度の低い白の修道女のような服を着ているのだが、秩序の女神が傍迷惑な神として認識されている街ではその姿を見られただけで厄介な絡み方をされる可能性はある。女神を馬鹿にしながら近づいた瞬間に、多分シェリーはにっこりとした顔で手が出ると思うので色々と考えておかないとな。今は砂塵対策に全身外套だからいいけどさ。


「街の名前は?」

「あ? あー……実はこの砂漠、街があれしかないからあんまり固有名称として使わないんだよな。オアシスってそのまま呼ぶ奴もいるし、街としか言わない奴もいる」

「マジかよ」

「けど、一応は名前もあるんだぜ? 確か……グレイル、だったか?」

「……なるほどね」


 グレイル……意味は「聖杯」だろうか。俺とシェリー、それと大神官の3人で勝手に禁忌にしてしまった最後の神聖魔法神の奇跡ホーリーグレイルと同じ意味だが……もしかして、秩序の女神は遥か昔にその魔法を使ったことがあるのだろうか。

 本当にそうだとしたら正気とは思えない。他者の魂を生贄に別の魂を呼びも戻す魔法なんて、秩序の女神と呼ばれる存在が使っていい魔法ではない。その魔法の名前であるグレイルから街の名前にして、あんまり呼ぶ人がいないとは……誰かが名前すら呼びたくないと思って消してしまった跡なのかもしれない。

 単純に砂漠の中に存在する唯一のオアシスを聖杯に見立てているだけならいいんだけども……どうしても俺の頭にはあの厄災とも呼ぶべき魔法が頭にちらつく。


 遠くに薄っすらと街が見えるようになってから数十分歩き、ようやく辿り着いた街は……何と言うべきか、廃れているように見えた。

 砂が溜まった建物の角や、日陰に座り込んでいる浮浪者らしき人々、出歩く人の圧倒的な少なさを見るに、やはり治安も良くないし経済状況も芳しくないようだ。


「これがここの当り前さ。俺たちは他人から奪うことでしか生きていくことができない蛆虫みたいなもんだ……実際、はそう言うしな」

「……あっち?」

「開き直っても他人から物を奪うのはよくないことですよ」

「恵まれた人間はそうやって言うんだよ」


 恵まれた人間、か。

 確かに、俺は前世も含めて貧困なんて本当に存在しているのだろうかって環境で生きてきた。勿論、知識として貧困は存在して、直面している人々はきっと辛い思いをして生きているんだろうなって理解することはできるんだが、根本的に貧困に直面したことがない人間がその人たちの気持ちに寄り添うことなんてできやしない。国家が根本的な貧困対策をできないのもこういう理由だと俺は思っている。

 貧困に直面したことがないから、俺はきっと恵まれている……なんて、他人から言われたって納得できるものではない。実際に、俺はこの世界に生まれてから辛いことなんて何度もあった。それが全て貧困から来る不幸より軽いものであると扱われると酷く不愉快だ。


「さ、行くぞ」

「ここまで案内してくれれば別にいいんだけどな……次は何処に案内してくれるんだ?」

「は? まだ街には案内してないだろ」

「ここは街、だろ?」

「ここはその外縁だよ。本当の街は向こうだ」


 あー……なるほど?

 俺の予想が合っていると肯定するように、しばらく廃れた街を歩いていると……白くて美しい壁が見えてきた。


「ああいうのを街って言うんだよ。あっちは……ゴミ捨て場みたいなもんだ」


 貧民街……つまりスラムな訳だ。

 オアシスを中心とした富裕層の住まう街が存在し、その外側にああした貧民街が形成されるのはよくある話だ。こういう土地では貧富の格差が拡大しやすくなるから、こうして簡単に酷い街並みができる。


「俺が案内できるのはここまでだ。これから先に近づいたら殺されちまう」

「そんなに酷いのか?」

「なんの病気を持っているかもわからないからってな……礼はいらないぜ? 元々は襲った俺が悪いんだし、金品なんて貰ったらそれこそ囲まれて殺されちまう」


 同情するつもりはあまりない。生きるためとは言え、盗賊をして他人を死に至らしめてきた人間だし、良い奴だなんて最初から思っていないから。しかし……それでも同じ人間であるのならば多少は思う所が生まれてしまう。

 俺は持っていた残り少ない水を投げ渡す。


「だからいらねぇって」

「ちょっとしか残ってないから捨てておいてくれ。恵まれた人間にとってそんなものはいらないからな」

「……わかった。俺が責任もってゴミ捨て場に捨てておく」


 これでいい。俺と彼の関係なんて、物を盗まれそうになった人間と、盗みに失敗した犯罪者でしかないのだから。ゴミを押し付けるぐらいの関係でいいのだ。


「さて、中はどうなってるかな」

「……あまり気乗りはしないですけど、仕方ないですよね」

「まぁな」


 平等を掲げる秩序の女神の信仰者としては、俺よりも思うところがあるのだろうシェリーは、悲し気な目で白亜の壁を見つめていた。

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