第66話 白の災厄

 黒い山羊が動き出す前に、白き獅子が宙をかけた。正確には山羊に向かって飛びかかっただけなのだが、その膂力は森の一部を抉りながら1度の跳躍で山羊の上に移動するほどのものだったので、跳躍ではなく飛行に見えてしまったのだ。


『女神からの使者、その前で情けない姿は見せられないんでな。普段よりも圧倒させてもらうぞ!』


 空を跳躍した獅子はそのまま山羊の身体に牙を突き立て、肉を抉ってから口からビームを放つ。淀みのない動作によって行われた一連の攻撃に対して、山羊は何の反応もできずにそのビームを受けたのだが……消し飛ばされることはなく、黒い雷を纏いながら金切り声のような不快な咆哮を放つ。

 ビリビリと空間そのものが揺れるような山羊の不快で不吉な咆哮を真正面から受けながらも、誇り高き神獣は怯むことなく山羊を見つめていた。不意に、身体を揺らし始めたと思ったら……周囲の気温が一気に高くなっていくのを肌で感じる。


「これ、ここで観察していて大丈夫なんだろうか」

「だ、大丈夫だと思いますよ……それくらいは、配慮してくれると……思います」


 シェリーが少し自信情け気にそう言っている間にも、白き神獣の身体からは凄まじい熱気が放たれ初め……それに対抗するように山羊は黒い雷を身に纏う。しかし、次の瞬間に完成した獅子の魔法によって、黒山羊は抵抗することもできずに半身を消し飛ばされて大地に倒れた。


「太陽、なのか?」


 獅子の背後に現れたのは、白く燃える偉大なる球体。その力を全身に浴びながら放たれた神獣の咆哮は一瞬で黒山羊の半身を消し飛ばしていたのだ。抵抗する間も与えずに放たれた女神の神獣による無慈悲な破壊の咆哮。圧倒的なんて言葉では片付けられないほどの力に、俺は心の底から震えていた。なにより、俺が女神から与えられた瞳は目の前で起こった超常の戦いを、と言うのだ。


『ふぅ……どれ、参考になったかな?』

「やっぱり、俺の目のことを知ってやってたのか」

『勿論、お前が持ってしまったその瞳についてはよーく知っておるし、だからこそお前が女神によって選ばれた存在であることはしっかりと認識できた。それだけ、その力は強力無比……人間には扱いきれないのではないかと私が思うぐらいにはな』


 納得できる話だ。俺の瞳は女神から与えられた力だが、こんなものは人間の身には余る力だと言うのは同意するし、制御できなければ周囲に甚大な被害をもたらす力であることは自覚している。だからこそ、彼は俺のことを気にかけてくれていたのだろうが……魔の者と戦うにはこの力が必要であることはわかっている。だから俺は、この力を自ら手放したりはしない。


『お前はその力でなにをする?』

「勿論、言われた通りのことをする」

『そこに自分の意思は存在していないのか? 勿体ないな』

「そんなことはないさ。ただ……約束、しちゃったからな」


 この世界に転生してくる時に、何も知らずに安請負した結果とは言え一度は約束したことだ。約束したことを安請負しただけだから無理です、なんて投げ出すのは俺の心に後味の良くないものを残すことになるのは確実だ。一度死んでこの世界に転生している俺だからこそわかるが、悔いのない人生を送ることなんて不可能だが、それを可能な限り減らすことはできると思っている。そして、ここで約束を無視して自分だけの幸せを追求すれば、俺はきっと死ぬときに後悔することが増える。だから俺は悔いを残さないように、約束は絶対に守る。たとえ、その相手が女神だったとしてもだ。


『お前は誠実な男……いや、真面目な男なのだな』

「ありがとう」


 誠実って言われたら多分否定していたけど、真面目って言われるとなんだか嬉しくなってくる。約束は守るが、誠実な性格で品行方正に生きてきたつもりはないので。


『協力してやりたいのだが、今は見ての通り手の放せない状態でな。どうにかしてこれを解決してくれたらなんとかなりそうなものだが、お前はこの状況をどうにかしてくれるか?』


 ふむ……どうやら、会話で俺の性格を理解して、その上で俺の実力を確かめたいようだ。まぁ、実際に白き神獣とまで呼ばれた彼が苦戦していることは間違いない。何年間、ここで戦い続けているのか知らないが、彼はここでひたすらに魔の者の手先と戦い続けている訳だから、この問題を解決することが自分ではできないと判断しているのだろう。

 倒しても、倒しても無限に湧いてくる黒い山羊のモンスター。大きさは神獣より一回り小さいぐらいで、人間がまともに相手をすれば軍隊が必要なのではないかと思うぐらいに強力そうなモンスターだが、それを神獣が1人で押し留めている。


「まず、考慮しなければならない問題点として、あの山羊が同一個体かどうかって話なんだが……恐らくは別個体だと思う」

『ほぉ、その根拠は?』

「同一個体だったら、相手の力ぐらい少しずつ覚えていくだろうし、戦い方だって理解していくはずだ。何年戦い続けているか知らないけど、長い年月を戦いながらもあんな風に瞬殺されることがあるってことは、知らない力と戦っていると考えるべきだろう」


 仮に同一個体だった場合は、とんでもなく頭が悪いか、そもそも思考能力が存在していないのか……もしくは時間を巻き戻すようにして再生しているのか。


「とにかく、今は別個体だって考えて考察を重ねて行こう」

『別個体だと、どうなる?』

「魔の者が生み出し続けていると考えるのが自然だけども……問題はどうやってこの場所にピンポイントで送り続けているのかって部分だな」


 この場所に神獣という最大の敵がいることは魔の者も把握しているのだろうが、それならば何故あの山羊以外を送り込んでこないのだろうか。もっと強力なモンスターを生み出して送り込んできてもおかしくないし、数で囲んでしまえば神獣と言えども危ないだろう。なのにそれをしてこないってことは、神獣の力を警戒して持久戦に持ち込もうとしているのか、それとも大量にモンスターを送ってくることができない事情があるのか。

 この問題を解決すれば人類にとって最大の味方が手に入る。ここはなんとかして、魔の者を追い払って神獣を仲間に加えたいところだ。


「まだ」

『ん?』

「まだ、名前を聞いていない」

『んあ? そうだったか? ウハハハハハ! すまんな!』


 豪快に笑う奴だな……だが、気に入った。


『我が名はデザスター……災厄の名前をつけられながらもモンスターの始祖を裏切り、女神についた不義理な男よ』

「本当に不義理な奴は、女神の為に何千年も1人で戦い続けたりしないさ」

『そうか? 確かにそうかもな! ウハハハハ!』


 デザスターか……名は体を表すなんて言うが、こいつは名前の通り魔の者にとって災厄のような存在なのかもしれない。

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