第41話 地下迷宮

 フェラドゥの地下迷宮に入る準備でもっとも大切なことは、食料と飲料である。当たり前のことだが、どれだけモンスターと戦っても負けない無敵の人間がいたとしても、飲み水が無ければ数日で絶命する。これは人間という生物であれば当然のことであり、どんな無敵の力を持っている人間でも水が無ければ生きていくことはできない。勿論、魔法が使えれば魔力を元手に水をいくらでも生み出すことはできるが……それにだって限りがある。ただでさえ常にどこから襲われるのか予測もできない迷宮の中で、水を飲みことに魔力を消費していたら身体の方が持たない。

 1度地下迷宮に入ると、必ずしも任意のタイミングで地下迷宮から脱出できる訳ではない。たとえばイレギュラーが発生して地下迷宮の入り口付近に強力なモンスターが出現したり、あるいはモンスターと探索者の戦いで迷宮が崩落して入り口が塞がったり……地下迷宮内ではなにが起きてもおかしくないと考えろとは、探索者になった時に講習で最初に教えられることだが、本当に迷宮内ではなにが起きるのかは誰にも予測できない。


「今回は比較的浅い場所にしか行かないから大丈夫だと思うけど、仮になにかがあった時は仲間を助ける選択よりも、自らが生きることを優先する。これが地下迷宮の中でもっとも大切なことだ」

「……仲間を助けに行った先で、二次被害を生み出す可能性が高いからですね」

「そういうこと。地下迷宮の中で、他人を助けることは基本的に推奨される行為だけど、大前提として最も大切なのは自らの命。無理だと判断した時は……仲間を置き去りにして自分が助かろうとするのが探索者の基本だ」


 故に、迷宮内でなにが起きても基本的には自己責任。身体の一部が欠損しようが、たとえ命を散らしてしまおうが……最終的には全てが自己責任で終わる場所。それくらい危険な場所だし、それでもなお潜る人間が後を絶たないぐらいには金の匂いがする場所でもある。


「俺とシェリー、特にシェリーなんて潜り慣れてるから大丈夫だと思うけど、メレーナとセレス姫は初めてのことだと思うから、まずは自分の身を守ることを最優先に考えてくれればいい。それ以外のことは、まぁ……なんとかなる」

「質問いいですか?」

「どうぞ」

「地下迷宮の地図などは存在しないのですか? 迷宮と言うぐらいだから入り組んだ構造になっているのだろうとは思いますが……それについてなにか攻略法を残したりする人間はいないと?」

「あー……」


 セレス姫の疑問が当然だな。地下迷宮がどういうものか知らない人からすれば、潜り慣れている人間が地下迷宮の地図を作ればそれで比較的安全に進むことができるじゃないかと考えるのが普通だろう。しかし、地下迷宮はそもそも普通ではないということを認識するところから始めなければならない。


「それは不可能です。何故ならば、あの地下迷宮は構造が勝手に組み変わるからです」

「組み変わる……それは、一定周期で内容が変化する、と?」

「いえ……変化する時期は常に不明。3ヵ月そのままの時もあれば、翌日には組み変わってしまうこともあります。迷宮内にいる時に迷宮が組み変わった、なんて経験も何度もあります」

「その度に迷宮の中は様子を変え、なんなら見たこともないモンスターが急に出てきたりもする。敵も、環境も、景色も、全てが変化する……誰にも予測することは不可能だ」


 組み変わる条件は未だに不明。手練れの探索者ほど、地下迷宮が変化した後はどんな浅い場所でもかなり慎重に進む。それだけ危険な場所なのだ。


「常に変わる環境、殆どが初対面のモンスター、入り組んだ構造、全てが探索者の命を奪いに来る。俺たちは依頼だからきちんとその報酬に見合った働きをするし、セレス姫の命を守る為になんだってするだろうが……本来ならば探索者として充分以上の実力を持っていない人を連れて行くことなんてない」


 彼女がその身に宿す呪いを自在に操ることができるのを知りながら、俺はあえて突き放すような言葉を選ぶ。それだけ、迷宮は危険な場所……それを知ってもらいたかったから。見たことのないモンスターの生態研究、大いに結構だが迷宮はモンスターだけが危険な場所ではないのだ。


「よくわかりましたわ。そんなに脅されてしまっては、貴方の背に隠れ続けてしまうかもしれませんね」

「私が守ってあげますね」


 にっこりと微笑みながらシェリーが俺とセレス姫の間に入り込んだ。

 シェリーとしては聞き捨てならない言葉として割り込んできたんだろうが……俺としてはそれ以上にセレス姫の瞳に浮かぶ狂気の色に少し気圧されてしまった。彼女は……モンスターについて研究できるのならば自らの命など知ったことではない、という狂気を持っている。その狂気はきっと日常生活では異端としか思われないものだろうが、迷宮を探索する人間にとっては羨ましいものかもしれない。なにせ彼女は、恐怖を自らの内に渦巻く狂気で圧倒しているのだから。


「よし、じゃあ行こうか」


 1日の準備期間で大体の事前準備は終わっている。勿論、まだまだ不安は拭いきれないが……迷宮というものを過剰に恐れているのは俺の方だ。過去のトラウマを乗り越えることは簡単ではないが、シェリーたちと共に探索者として名前を上げていくにはどうしても迷宮に挑む必要がある。その第一歩としては……きっと最適な依頼だろう。



 ギルドハウスを出て、迷宮への入口を管理する協会の建物に入る。探索者協会が取り仕切っているが……基本的に探索者であれば入場が断られることはない。なにせ、国も自己責任であると言いきっている場所だからな。


「あ、シェリーさん……お久しぶりです」

「はい」


 流石にシェリーぐらいになると入口で受付をやっている人にも顔が知られているので、小さく挨拶をしていた。シェリーとしては今の自分はただの探索者なのだから特別扱いして欲しくない、ぐらいに思っているだろうが……まぁ、普通に考えてそんな扱いして貰える訳がないよな、と俺は思う。

 本来ならば探索者の資格を持っていないセレス姫は迷宮に入ることができないのだが、今回は特別許可証を出して貰っている。これは、探索者に対して依頼をした、みたいな特別な場合に迷宮内に入ることができる許可証だ。基本的に依頼した人間が迷宮に入りたがることなんてないので、探索者協会の中でも存在しているだけで誰も利用しない制度みたいなものなんだが……今回はそれを使ってセレス姫を迷宮に入れることになった。


「っ!」

「まだ入口だぞ」


 こちらを招き入れるような、あるいはこちらの命を吸い取ろうとしているのではないかと錯覚するような暗闇の穴を見つめて、セレス姫の足が止まったのを見た。誰だって最初はそうなるのだろうな、と思いながらも俺はセレス姫の手を取って先を歩き始める。

 久方ぶりの迷宮だが……果たして今はどんな形をしているやら。

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