第6話
受験の日、試験会場である大学から戻ってきた夕梨花は、およそ一年間に及ぶ戦いを終えた充実感と確かな手応えをその表情に浮かべていた。
良い結果になるに違いない。
無事に受験を終えた夕梨花は、地元へ帰ることになる。
「もう少しだけ、こっちにいたかったな。せっかく東京に来たんだし、観たいところとか行きたいところがいっぱいあったんだ」
駅へ向かう道すがら、壊れかけのキャリーケースを引っ張りながら、夕梨花がぽつりと言った。
「受かったら、こっちに住むことになるんだし。その時はどこでも案内するよ」
「それなら、お父さんとお母さんも連れてくるね?」
「まあ、引越作業やら何やらで一度はこっちに来るんだろうけどさ」
「久々の家族水入らずだね」
「そうだな」
以前は、家族と一緒なんてワードを耳にすると、憂鬱になったり気が重くなったりしたけれど、今はもうそんなことはない。
改札の前に立って、僕は夕梨花を見送る。
やってきた時と同じ、ネイビーの垢抜けないダッフルコート姿の夕梨花が微笑んでいた。
「じゃあね、夕梨花」
「うん、陽一くんも……あっ、お兄ちゃんとか兄さんの方がいい?」
「うーん、『お兄ちゃん』は僕には刺激が強すぎるから、とりあえず『兄さん』呼びにしてくれる?」
「わかった。じゃあ……にい、えっと、にい……ごめんね。ちゃんと陽一くんに向かって呼ぼうとすると、まだ恥ずかしいかも……」
「いいよいいよ。宿題だ」
「次来る時までに、ちゃんと呼べるようになっておくね?」
「ああ、期待してる。毎日10回は兄さん呼び素振りをしといてね」
「わぁ。受験勉強より大変そう……」
夕梨花はこちらに手を振りながら改札を抜けようとし、上手くタッチできなかったのか改札に通せんぼされ、頬を赤くして恥ずかしそうにしながら改めて改札を抜けた。
そのままホームへと消えていく。
夕梨花が乗った電車が見えなくなるまで、僕は駅舎に立っていた。
「……帰るか」
僕は無言で家路につき、無言で鍵を開け、無言で部屋のベッドに寝転がった。
夕梨花が泊まりに来ると知った時は、あれだけ憂鬱だったのに、今はどこか寂しい。
けれど、この寂しさはきっといい変化なのだろう。
僕と夕梨花は、フィクションのように面白おかしい義兄妹の関係にはない。
今も、この先も、ずっとそうだ。
スマホに電話が掛かってくる。
ろくでもないオタク揃いの音楽サークルでよくつるんでいる奴の名前が表示されていた。
「――ああ、僕だけど。何?」
ろくでもない奴からの、くだらない誘い。
特に何を生み出すこともなく、ただ時間を浪費していくだけのモラトリアムを共有する提案だ。
まあ、そういうの、結構嫌いじゃない。
どうせ春になれば、就職活動というかたちで大人への通過儀礼を味わわされることになり、モラトリアムは終わってしまうのだ。
時間は永遠に続くことはなく、少しずつ関係性を変えて続いていく。
この3日間で、僕と夕梨花の『兄妹』としての関係性が変わったように。
「わかった。大丈夫、今日なら飲みに行けるから。妹? ああ、もう帰ったよ。ちょうどさっき見送ってきたんだ。え? ああ、そうだね。この前までは、仲悪いって受け取られかねないこと言っちゃったかも。でも……向き合ってみると、意外とどうにかなるもんなんだなって思ったよ」
それから僕はそいつと二言三言言葉をかわして、通話を切った。
★
2月が終わろうかというその日、家族用のライングループを通して夕梨花から連絡が来た。
文面だけでとても喜んでいることが見て取れて、それだけで僕は心がほっこりしてしまう。
夕梨花は少しずつ、前に進んでいるんだ。
だというのに、僕の周りに広がる景色はどうだ。
夕梨花がいなくなってすぐ、部屋はまたモノで溢れたダンジョンに早変わりしていた。
過去に時間が遡るSFな体験をしているようだ。
「部屋の掃除、しておくか」
今度は、夕梨花を。
そして両親を、快く迎え入れられるように。
疎遠だけど受験生になった義妹が僕の部屋に泊まりに来る 佐波彗 @sanamisui
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