第4話

 失敗続きの僕は、せめて少しでも夕梨花のサポートになるようなことをしたかった。


「夕梨花、ちょっとコンビニ行ってくるから、留守番してて」


 僕は玄関で靴を履きながら、ふすまの向こうで勉強中の夕梨花に声を掛ける。


「えっ、どうして?」


 シャープペンシル片手に、夕梨花が玄関に顔をのぞかせる。

 どういうわけか、不安そうに見えた。


「コンビニスイーツでも買ってくるよ。勉強すると頭使うから、糖分が必要だろ? ダイエット云々はこの際考えるなよ。受験を前にした時くらい、糖分は無礼講で良いと思うし。あっ、なんか苦手なものとかある? お腹壊しちゃうやつとか」

「そういうのは別にないんだけど」


 夕梨花は、部屋に引っ込んだと思ったら、部屋着の上にダッフルコートを引っ掛けた格好でまた現れた。


「陽一くんが行くなら、わたしも行く」

「それだと、勉強の時間削れちゃうだろ」

「だって、慣れない家で一人でいるのは、怖いかも……」


 どうやら、また配慮が足りないことをしてしまったみたい。


「わかった、一緒に行こう。その格好で寒くない?」

「マフラー巻けば大丈夫。陽一くんこそ、それで寒くないの?」

「東京は外より家の中の方が寒いからな。雪国と違って断熱材を入れて家建ててないんだ。むしろ外の方が暖かく感じることすらある」

「そうかなぁ」

「東京歴三年の僕を舐めるなよ。ほら、行くならさっさと行っちゃおう」


 夕梨花を伴って、アパートの錆びかけた鉄階段をカンカン音を立てて降りると、湿った空気が鼻先をかすめた。

 傘を持っていくべきだろうか?

 いや、予報では降水確率なんて10%程度だったはず。雨雲の姿は見えるけれど、降雨になりそうな黒くて分厚い雲にはなっていない。近所のコンビニまで行くだけ。すぐに用事を済ませて帰ってくれば、問題はないだろう。

 人の気配が希薄な夜の住宅街を歩く僕と夕梨花。

 仲睦まじくぴったり密着して歩けるはずもなく、誰かが体を横にして割って入れば通れてしまう程度の隙間がある。

 僕は踵が潰れかけたスニーカーを履いていて、隣の夕梨花は雪国仕様のブーツだ。

 踵から擦り上げるような歩き方の僕と違って、夕梨花の足取りはスムーズかつ優雅で、足音が変に響くこともない。

 父さんは何かと大雑把な人だけど、そんな父さんと再婚した母さんは、地元ではお嬢様育ちと言われるくらい一つ一つの所作が綺麗だった。

 それは、実の娘にもしっかり受け継がれているようだ。

 やがて、夜中だろうと煌々と光を溢れさせているコンビニの姿が見えてくる。


「陽一くんが言ってた通り、あっという間だったね。うちからじゃ、こんなすぐコンビニに行けないもん」

「自転車で20分は掛かるからなぁ」


 うちの地元はコンビニなんてさほど身近じゃなくて、年齢不詳の老婆が経営している寂れた商店が未だに健在だ。

 そう考えると、夕梨花にいきなり都会の一人暮らしをさせるのは難しいのかも。


「――しまった」


 真っ白い光で満たされたコンビニを出て再び暗闇に身を浸した時、大粒の雨がアスファルトに弾けて、バチバチとした凄い音を立てていた。


「傘、持ってきた方が良かったね」


 不満そうにするでもなく、見たままの感想を口にする調子で、夕梨花が言った。


「ごめんね。戻って買ってくるよ。ちょうど出入り口のところで売ってたから」

「アパートまで近いし、これくらいなら走って戻れば大丈夫じゃない?」

「受験生でしょ? このせい風邪引いて万全の状態で試験が受けられなくなったら、夕梨花を預かってる身として失格もいいところだよ。待ってて」

「それなら、一本でいいよ」

「いや2人分買ってくる」

「そこまでお金かけさせたら悪いから。陽一くんの家に泊めてもらってるだけで、いっぱいわがまま聞いてもらってるんだもん。これ以上優しくされちゃうとかえって申し訳ないよ」


 僕としては、コンビニスイーツにしろ、ビニール傘にしろ、我が家の財政を逼迫するほどのダメージではないのだけれど、夕梨花の意見を反故にすることは、かえって夕梨花に気を遣わせてしまう結果になる気がした。


「そっか。夕梨花がそう言うのなら。じゃあ買ってくるね」


 僕は店に引き返して、ビニール傘を買い、コンビニの軒下に立っている夕梨花のもとへ戻る。

 コンビニの窓から溢れる人工的な白い光を背中に浴びた夕梨花は、祈るように合わせた両手のひらをこすり合わせていた。

 雨のせいで、空気が冷えているのかもしれない。


「一番大きいサイズにした」


 ばさり、と傘を開く。

 その瞬間、雨粒がぼたぼたと傘の上に飛来した。


「雨、強くなってきたみたい」

「だね。早く帰ろう」

「陽一くん、それわたしが持つよ」

「ああ、ありがとう」


 ぶら下げていたビニール袋は、別に重くなくて、持ったところで負担にならないだろうから、素直に夕梨花に手渡す。


「風が強くなくてよかったよ。横向きに雨に振られると、傘さしても濡れちゃうから」

「雪ならいいのにね」

「こっちの雪は夕梨花が思ってるのとは違うよ。水気が強くてべちゃっとしてるから。雨と同じ感じで濡れるから厄介なんだ」


 地元の雪を、どれくらい目にしていないだろう。

 向こうの雪は結晶のかたちを目にできるほど粒が大きく、ふわりとしていて、払うと粉のように僕の体から離れていってくれる。

 確か、そんな感じの雪だったはず。


「そっかぁ。こっちにいる間見れるかな?」

「今年はどうかなぁ。東京じゃなかなか見られないから」

「じゃあ、来年もここにいられるように頑張らなきゃ」

「そんなに雪見たいの?」


 笑う僕の横に、夕梨花がぴったりくっつくように並んでくる。

 二人で一つの傘を使う以上、これは仕方のないことで、こうなるから僕は二本分の傘を購入しようとしたのだ。

 こうなったらしょうがない。

 僕は、夕梨花を嫌っているわけではないのだから。

 手にした傘を、できるだけ夕梨花の側に寄せて、ぽつぽつと傘を叩く雨音を聴きながら家路につく。

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