第3話

 父さんと親子二人で暮らしていた時期があるから、料理は最低限できる。

 けれど、一人暮らしを始めた今になっても、上達している感じはしない。

 きっと、他人に振る舞うということをしていないからだと思う。

 僕は味にうるさくないから、腕前を向上させたりレパートリーを増やすよりも、どうすれば楽して作れるか? ということにばかり重点を置いて料理をしてきたからだ。

 ちゃぶ台みたいなローテーブルを挟んで、僕は夕梨花と向かい合っていた。

 テーブルには、夕食が並んでいた。

 丼飯だ。ご飯の上には、にんにくとバターでしっかり炒めた鶏もも肉と長ねぎにさやいんげんが乗っている。


「悪いなぁ、炭水化物多めのオトコ飯で。本当はもっと女子ウケするおしゃれな料理をつくれたら良かったんだけど……僕のレパートリーにはないし、クックパッドの一発勝負で失敗するのも怖くてさ」

「ううん、わたし、こういうの好きだから」


 そのわりには、並んだ丼を前にした躊躇いが見えた。


「本当? 別に遠慮しないでいいんだよ?」

「え、遠慮なんてしてないよ?」

「気になることがあったら、なんでも言って? 変に溜め込むと、勉強に集中できなくなるよ」

「……あのね、受験生って座ってることが多いでしょ?」

「そうだね」

「運動不足だし、脳に栄養送らないとって言い訳して甘いモノ食べちゃってるから……体がぷにぷにしてきちゃってるの」


 太ったってこと? そうは見えないけど。

 頭に浮かんだ言葉を、どうにか喉元で留める。

 女子の体型に関して下手なことを言ったら嫌われてしまうかもしれない。

 でもこれは、身内ではなく異性に向ける意識か?

 いや、本当の兄妹だったとしても、ノンデリ発言が許容されるってわけじゃないだろうし……僕の判断は間違ってないよな?


「なるほど。じゃあ僕は今、夕梨花に炭水化物爆弾攻撃をしてたってわけか……」

「で、でも! ダイエットしてるわけじゃないんだよ? ちょっとだけ気をつけてるってだけだから。ちゃんと栄養摂らないと、勉強に集中できないもんね。陽一くんが手料理つくってくれて、スゴく嬉しい」


 喜んで見せてくれる夕梨花だけど、気を遣われている感じがした。

 また失敗してしまったかもしれない。

 僕も大学受験を経験する中で、勉強に時間を割いて運動不足になったことで体型の変化を感じた覚えはあるけれど、深刻に受け止めたことはなかった。

 ああ、なんかちょっと太っちゃったなーくらいなものだ。


「あっ、おいしい。陽一くんは料理が上手なんだね」

「褒めてくれてありがとう。普段は自分で食べる用だから、味はあんまり気にしたことないんだ」

「誰かを呼んで料理つくってあげることは?」

「サークルの仲間がたまに来ることはあるよ。でも、そういう時ってだいたい外で済ませちゃうから、料理をする機会なんてないんだよね」

「何のサークルに入ってるの?」

「あれはなんて言えばいいんだろう? 音楽サークル?」

「バンド?」

「ああ、そういう活動的で楽しそうな方じゃなくて。評論方面のかな」

「評論かぁ」

「ごめん、評論って言えるほど立派じゃなかった。好きだ嫌いだって言うだけなのに、当時の社会情勢的にどう影響を受けて与えただの、メンバーのゴシップに無理やり絡めてどういう精神状態でつくられただの、話半分で聞いた方がいい文章ばかり書いてるから」

「でも、同じ趣味の人で集まって、そういう活動するのって楽しそうだね」

「それがねえ。うちでやってるのは、要するにサークル内でのマウントの取り合いなんだよ。最初は大好きな音楽を語るのが目的だったんだけどさ、段々その音楽を好きな自分がどれだけ凄いかってことに自我が肥大していって、他人の褌で相撲を取る連中ばかりになっていったよ」

「そ、そういうものなのかなぁ……」


 マズい、ちょっと引いてしまっている。

 楽しい大学生活の一例を提案できなければ、夕梨花の受験へのモチベーションだって下がってしまうかもしれない。


「まあ僕の生活だけがキャンパスライフのすべてじゃないから……。夕梨花なら、絶対いい出会いが見つかるはずだよ。僕と違って」

「ふふ。でも、陽一くんは楽しそうに見えるよ?」

「まさか。どうしてそう見えるの?」

「話してる時ね、なんか楽しそうだったから」


 それは、楽しかったことを話しているからじゃなくて、夕梨花とこうして話せていることが楽しいからだと思う。

 けれど、そんなこと正直に言うわけにもいかない。

 僕と夕梨花の兄妹関係は、それができるほど気楽なものではないから。


「それなら陽一くんは、カノジョさんもサークルで見つけたの?」

「ちょっ……」


 まさか、夕梨花からそんな話題を振られるとは……。


「あっ、ごめんね! 言いにくいことだったら言わなくていいから!」

「うん、まあ、言いにくいといえばそうだけど、謝るようなことじゃないよ」

「わたしも、悪いなとは思ってたの。陽一くんが一人暮らししてるところに、いきなり上がり込んで。そうだよね、一人暮らしの男の人なんだから、カノジョさんと同棲みたいなことしてることもあるもんね!」

「待って、待って」


 ヒートアップしている夕梨花をどうにかしてストップしようとする。


「あのね、別に僕には夕梨花が想像しているようなことはないから」

「えっ?」

「夕梨花だって、僕の部屋を見た瞬間に察したんじゃない? あ、こいつ一人暮らしの大学生のくせになーんにも色っぽいことないぞって」

「あっ……」

「それ以上は言わなくていいからね?」

「ごめんね」

「謝られるのはもっと辛いかな……」


 夕梨花はすっかりしゅんとしていしまい、もそもそと食事をする作業に戻ってしまった。

 思いの外シリアスな空気だ。

 僕にカノジョがいないのは、女っ気のないサークル活動にかまけていたからで、それ以外の理由なんてない。

 いっそ笑い飛ばしてくれた方が、ずっと気が楽だったんだけど。

 でも、夕梨花の性格を考えると、カノジョがいない、と言う人を笑い飛ばすことは無理だろうな。そういうの、なんか悪いよねって思っちゃうタイプだろうから。


「それなら夕梨花はさ……」


 カレシはいるの、なんて聞きそうになる。


「いや、なんでもない。僕は別に気にしてないから、夕梨花も気にしないでね」


 こんな話題、夕梨花が自分から話したくならない限り踏み込むべきじゃないから。

 踏み込まれたら困る話題だろうがコミュ力によって楽しく話させてわだかまりなく話題を引っ張り出せる能力も、そして、多少の失礼でも笑って流してくれるような信頼関係も、僕にはないのだ。


「陽一くんの料理ってさ」


 話題を変えるためだろう。話を料理に戻してきた。


「お父さんの料理と同じ味がするかも」

「ああ、僕の料理は父さん仕込みだから。夕梨花が来るまでは一人で家事をやらないといけない環境だったから、父さんが一通り教えてくれたんだよ」


 父さんは地元の工場で働いている。一応、社長ではあるのだけれど、小さな町工場だからお金持ちではなかった。

 僕と違って豪快な性格で、だからこそ周囲の人間からは慕われていた。

 母さん――夕梨花の母親である花織かおりさんと再婚することになったのも、父さんが花織さんの境遇に同情して、「困ってるならオレのところに来い! 娘さんともども、全部面倒見てやる!」なんて大見得を切ったのがそもそもの始まりらしい。

 実際、父さんは上手くやっていたと思う。

 再婚相手の連れ子で、しかも高校一年生になる思春期ど真ん中の女の子を相手に、嫌われることも煙たがれることもなく実の娘と同じような関係性を築くことができたのだから。


「なんか安心しちゃった」

「どうして?」

「しばらく会わないうちに、陽一くんが、他人になっちゃってたらどうしようって思ってたんだ」

「僕は夕梨花の家族だろ?」

「そうなんだけど……そうじゃないように思えちゃう時があるの」

「あー、うん、そう思うのもしょうがないよね。結構な間、実家帰ってないと、家族間の存在感って減っちゃうのもわかるよ」


 音信不通というわけではなく、電話やLINEでまめに連絡は取っていた。なんなら、家族用のLINEグループにだってちゃんと入っている。そうして繋がりがまだ残っているからこそ、両親もこうして夕梨花を僕に任せてくれたわけで。

 つまり、両親も僕のことを心配しているのだろう。

 二十一歳になったというのに、未だに親に心配をかけっぱなしなんだ。

 正直言って、実家は居心地が悪かった。

 誰かを嫌ってのことじゃない。

 血の繋がった父親が好きになった血の繋がらない女性と、同じく血が繋がらない3つ年下の女の子と過ごす空間を同じくする。

 家族の半分は、僕が知らない他人。

 自分の家のはずなのに、夕梨花母娘の家に泊めてもらっているような不思議な感覚が、そこにはあった。

 果たして僕は、この場所にいていいのだろうか?

 そんな気持ちが、実家を遠ざけた。

 でも結局、夕梨花からすれば、僕は家族から逃げ続けた男にしか思えないんだろうな。

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