第2話
「陽一くん、この部屋でずっと暮らしてたの?」
「そうだけど……何かマズかった?」
「う、ううん! 陽一くんの部屋だし、陽一くんがいいならそれでいいの!」
「あっ、もしかして部屋……汚い?」
「そこまでは思ってないよ! でも……掃除はしたくなるかも。あっ、べ、べつにダメだって言ってるわけじゃなくて。実家のわたしの部屋は、こういう感じじゃないから、いつもと環境が違うなって。お部屋が綺麗な方が、勉強も捗りそうだし……」
「……そうだな。この件に関して言えば、僕が本当に悪かった。配慮が欠けてたよ」
いや、まったく配慮しなかったわけじゃない。
夕梨花が来るとわかってから、部屋の様子を改めて眺めたさ。
それでも、まあこれくらいなら大丈夫だよな、と思って、軽く片付けるに留めたのだ。
夕梨花が特別に神経質な性格じゃないにしても、受験生という何かと気にしがちな時期だということをもっと真面目に考えておくべきだった。
「大急ぎで片付けちゃうから、夕梨花はその辺に座ってて」
今、僕は受験生の夕梨花を預かる身なのだ。
僕が原因で、入試に落ちるようなことをしてはならない。
けれど、まるで夕梨花を『お客様』のように丁重に扱うことは、果たして僕たちが正真正銘本当の兄妹だったとしても、そんな気持ちになるのだろうか?
本当の兄妹だったら、「うるさいな。ここは僕の部屋だぞ」だとか「僕の了承もロクに取らずに来たくせに生意気なんだよ」とか憎まれ口を自然と叩くものなのだろうか?
いや、本当の兄妹だとしても、妹の人生の一大事には『お客様』みたいに接する方が自然なんじゃないか?
堂々巡りが無限に続きそうになる。
「えっと、じゃあ……ここに座ろうかな」
夕梨花が腰掛けたのはベッドの上。
「あ、良いベッドかも」
座ったまま、体を上下に揺さぶる夕梨花には機嫌を損ねた様子は見当たらず、つい安堵してしまう。
「気に入ってくれて良かったよ。うちに泊まる間は、夕梨花にベッドを貸すつもりだから」
「いいの?」
「受験生を床で寝させられないよ。ああ、遠慮しなくていいからね」
「ありがと」
にこりと微笑む夕梨花の姿からは、『兄』が普段遣いしているベッドに対する嫌悪感はない。
またもや一安心。
そもそも夕梨花は穏やかな性格だから、人が嫌がるようなことを口にするタイプじゃない。
……という、僕が知っている夕梨花の姿は、僕を身内として扱っていないからこその外面であって、手放しで喜んでいいものではないのでは?
また堂々巡りが顔を出した。
僕は、答えの出ない悩みを振り切るように片付けに精を出す。
そこらに落ちている読みさしの本や、中古ショップで大量に仕入れては文字通り積んでいるCDやレコード。そして、ブルーレイやDVD。こんがらがったコンセントの線をまとめていく。
その間も夕梨花は、スマホを見つめて暇そうにすることはなく、僕が後片付けをする様を見守っていた。
律儀なものだ。
でもきっと、これも僕に対する遠慮だな。
「夕梨花、スマホ見ててもいいよ? 僕が掃除してるとこ見てたって、面白くないでしょ?」
「あっ、うん。それなら……」
「なに、それ?」
「英単語帳」
「おお。受験生だなぁ」
「うん。最近はね、単語帳眺めてる時が一番落ち着くの。なんか変だよね」
「大事な試験前にはよくあることだよ。勉強してない時間があると焦っちゃうよな」
「うん。新幹線の中でも、電車の中でも、何もしてないと不安になるんだけど、単語帳とか参考書を眺めてたら不安が軽くなったから。そういうのがわかるって、やっぱり陽一くん、受験の先輩だね」
「僕も一応第一志望に合格した身だから。他に何か不安なことがあったら言ってね」
僕は得意な気分になって、掃除のペースを早める。
妹に有用な助言ができるなんて、ちょっと『兄』っぽくない?
この部屋を綺麗にすることができれば、夕梨花は無事に合格することができる。
知らず知らずのうちに、そんな願掛けの気持ちが頭に浮かんだ。
「よし、こんなもんかな。夕梨花、終わったよ」
「うん。ありがと」
「ご覧の通り、うちは一部屋だけどさ、このふすまで区切ると一応二部屋になるんだ。ほら、サーッとね」
「あっ、本当だ」
「僕はふすまの向こう側にいるから、これなら集中できるでしょ? ほら、そこに机があるよね? そう、その職員室にあるような色気のない奴。勉強したい時はそれ使って」
「うん」
夕梨花は食い気味に机に向かうと、安価なパソコンチェアに腰を下ろした。
「おっ、早速勉強モードに入るんだから」
「不安なんだよー」
「わかったよ。僕はそっちの部屋で静かにしてるから。何かあったら呼んでね」
僕は後手でふすまを閉じる。
こちら側には、キッチンがあった。
夕食の準備でもするか。
勉強に関して、夕梨花が怠ける心配はなさそうだし、僕にできることは他に何もない。
邪魔をしないことが、僕にできる一番の仕事だ。
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