其の壱

1

「フウマ、ちょっと待って待って」

 時計の針が示す時刻は午前7時15分――。

 上川かみかわ風誠ふうまはいつもと同じ時間、玄関でリュックサックを背負っていると声をかけられた。

 振り返ると、母さんが小さな段ボール箱を手に玄関に現れた。

「なに、お母さん?おれ、もう学校行くけど」

「それは分かってるけど、昨日おじいちゃんからフウマ宛に荷物が届いてたの、お母さん忘れちゃってたから、早く見せなきゃと思って」

 そう言って、すでに片手をドアノブにかけているフウマに段ボール箱を手渡した。

「いや、今から学校行くのに持ってけるわけないじゃん」

 フウマは箱を突き返そうとした。

「そうかもしれないけど、昨日おじいちゃんから電話がかかってきてね。『届いたか!届いたらすぐにフウマに渡してやれ!』ってしつこいんだから」

「ふうん、じいちゃんがね」

 仕方なく、フウマは箱の中を覗き込んだ。

 箱の中にはスポンジがみっちりと敷かれていて、その中に狭苦しそうに収まっているものが見えた。フウマは指を突っ込んで、中身を取り出した。

「なんだこれ。巻物?」

 箱の中から出てきたのは、一本の巻物だった。ところどころ色褪せた紺色の和紙が筒の形に巻き取られていて、赤い紐で留められている。

「やだ、すごく古いものじゃない。ほこりっぽくない?」

 母さんの言うとおり、巻物は紙の端が少し破れていたり、日焼けして茶色になっていたりと、ずいぶん古いものに見えた。

「母さん、これ何?」

「私が分かるわけないじゃない。そういうのはフウマの方が詳しいもの」

 そう言われて、フウマは手の中の巻物に視線を落とした。

 外から見える場所には文字が書かれていないので、何の巻物なのかを調べるには、紐をほどいてやらなければならなそうだった。

「実は、すごい価値のある巻物だったりして。フウマ、おじいちゃんの話をよく聞いてくれてたから、見せてあげたかったのかもよ?」

 母さんに言われて、フウマはじいちゃんの大きな顔を思い出した。県外に住んでいるじいちゃんと会ったのは、今年の正月の集まりのときが最後だった気がする。

 そんなことを考えながらふと視線を上げると、時計の針が7時20分を超えていることに気がついた。

「いけねえ、行かないと」

 フウマはポケットに巻物を押し込むと、勢いよくドアを押し開けた。

「行ってきます!」

「いってらっしゃい。車に気をつけて行きなさいね」

 母さんの声を背後に受けて、フウマは家をとびだした。


 2


 フウマのじいちゃんは話が上手いけど、よく本当かどうか分からない話をしていた。

「じいがフウマくらいの頃は、ここよりずっと山の奥に住んでおったんよ。遊ぶもんなんかなくても、山の中走り回って、そりゃあ」

 じいちゃんはフウマを手招きすると、自分の隣に座らせて、そんな風に話し始めるのだ。

「その山は江戸幕府から続く忍者の一族が隠れとって、日々厳しい修行をしとる場所だったんよ!」

「うそだい!いないよ忍者なんて」

 フウマが大きな声を出すと、じいちゃんは細い目をさらに細くして、嬉しそうに笑った。

「そりゃあ忍者だってバレたらいけん、皆見つからんように姿を隠しとった!でもな、じいは一生懸命探し回って、ついに忍者を捕まえたことがある!」

「じいちゃんに捕まるくらいの忍者なら大したことねえや」

「はは、違いねえ」

 じいちゃんは自分で自分のグラスにビールを注いで、ぐいと飲む。

「で、じいは捕まえた忍者を放す代わりにな、一生懸命頼み込んで忍術を教えてもらったんじゃ」

「へえ。じゃあ、じいちゃんは忍術使えるってこと?」

 おうよ、とじいちゃんは両手を複雑に組み合わせてもごもごとつぶやくと、

「ええい、変わり身の術!」

天井に手を突き上げた。

「……なにか、変わったのかな」

「ううむ。失敗だな」

「なんだよ!」

 また適当なこと言ってらあ、とフウマが笑うと、じいちゃんはばりばりと頭をかいた。

「ううむ、待て待て。たしかあのとき、忍者からなにかもらった気が……『これがあれば忍術が使える』と」

「じいちゃん、それ本当?」

 思わず聞くと、じいちゃんは深くうなずいた。

「うむ、まちがいない。今度面白いものを見つけたら、送ってやろう。そしたらフウマ、お前さんも忍者になれるかもしれんのう」


 3


「そういえば、そんな話してたなあ。ってことは、これじいちゃんが忍者にもらったもの、ってことか?」

 学校へ続く坂道を下りながら、フウマは手の中で巻物を転がしていた。

 古くさい巻物はいざ握ってみると、まるでずっと前から自分の物だったかのように、驚くほど手に馴染んだ。

「こいつを使えばおれも忍術が使えるのかな」

 そう考えると、少し興味が湧いてきた。

 なら、試してみようか。

 フウマは巻物を口にくわえると、人差し指と中指だけを立てて、両手を組み合わせた。

 いわゆる、「カンチョー」をするときの指だ。

「ムムム……」

 コンビニで立ち読みした漫画に出てきた忍者は、こんな感じだったと思う。

 そうして、フウマはしばらくがんばってみた。

 やが「カンチョー」をした手を空へ突き上げて、フウマは巻物を落とさないようにして大声を出した。

「忍法・分身の術!!」

「あー、見て!忍者ごっこしてる」

 振り返ると、黄色い帽子を被った低学年の男の子がフウマを指差していた。

「ぼくも、ぼくもやる!忍法・火炎ダマ!」

 となりにいた男の子がサッカーボールを投げた。

 ボールは下り坂を転がって、フウマの足に当たって止まった。

「おい、あぶないだろ」

 フウマは口から巻物を外すと、ボールを拾い上げた。

「ほら。ボール遊びなら学校に行ってからやんな」

 ボールを押しやると、二人は黄色い帽子の乗った頭を下げた。

「はあい。ボール拾ってくれてありがとう」

「ねえ、さっきの忍術じゃないじゃん!」

「えー、忍術だよ!」

 お礼もそこそこに、二人は笑い声を上げてフウマを追い抜いていった。

 そこでフウマは、自分のしたことを見られていたことに気がついて、急に恥ずかしくなった。

「まあ、忍術なんてあるわけないか」

「上川くん。なにしてるの?」

 そのとき、坂を駆け下りてきた女の子が、フウマの後ろ姿に声をかけた。

「うわっ!!……お、おす。ハナオ」

 フウマはおどろいて飛び上がった。

「ん、おはよう」

 フウマより少し背の高い女の子は、名前を御立みたち華緒はなおといった。

 二人は並んで歩道を歩き出すと、ハナオが口をとがらせた。

「だめだよ。遊ぶなら学校着いてからにしないと」

「別に遊んでたわけじゃねえよ」

「うそ。ちゃんと見てたんだから」

 ハナオは面白そうに言った。幼稚園からずっと同じクラスの幼馴染には、何を言ってもお見透しというわけだ。

「ちぇっ。自分で言ったこと言われてたら、世話ねえや」

 どうにもばつ・・が悪く感じたフウマは巻物を持った手で、頭をかいた。

「ねえ、それなに持ってるの?」

「これ?忍者の巻物」

 フウマは、隣を歩くハナオに巻物を突き出してみせた。

「わあ、忍者の巻物?えー、すごい。本物なの?」

「そんなわけないだろ」

 フウマは巻物を放り投げ、落ちてきたところをキャッチした。

「別になにか起きるわけじゃないし、どうせじいちゃんが冗談半分で送ってきたんだよ」

 そう言って目線を上げると、フウマの顔をじっと見るハナオと目が合った。

 フウマの胸がどきりと高鳴った。

 ハナオは卵型のととのった顔立ちをしていて、幼馴染のフウマから見てもかわいいのは間違いないと思っていた。その顔が思っていたよりずっと近くにあったのだから、フウマはどうにも落ち着かなかった。

「な、なんだよ!」

「上川くんはいると思う?忍者」

 ハナオの大きな目がまっすぐフウマを見つめていた。

「今の時代に忍者なんているわけないだろ」

「そうかなあ。あんがい、今もいろんなところに隠れていて、上川くんがうっかり・・・・忍術を使わないか、見張ってるのかもよ?」

「じいちゃんみたいなこと言うなよ。ってか、近いんだよ」

 フウマは大股でハナオから離れると、ハナオの顔を見ないように数歩前を歩き出した。

「あーっ!なにやってんだよ」

 そのとき、前の方で大きな声がした。

 声につられた二人が見た先、下り坂が終わったところの交差点。

 さっきの低学年の男の子二人が道路の方を見て立ち尽くしていた。

 どうやら忍者ごっこに熱中しすぎたのだろう、サッカーボールが道路を横切って反対側の道路へ転がってしまっている。

「あーあーもう、しょうがないな」

 さっきの男の子がサッカーボールを追って横断歩道を渡り始めた。

「あっ、あの子!」

 ハナオが悲鳴のような声を上げた。

 横断歩道の上には赤信号が光っているが、男の子はそれに気が付いていない。

さらに、

「おおい、あぶないぞ!」

 フウマが立っている場所から、トラックが走ってきているのが見えた。

「くそ!おいお前、戻れよ」

 フウマは大声で呼びかけながら、夢中で下り坂を駆け下りた。

 それは、目を見張るような素早さだった。

 あっという間に横断歩道に飛び出すと、男の子の腕をつかむ。

「走れ!早く!」

 だが、いきなり現れた上級生にどなられた男の子は、驚きのあまり固まったように動かなかった。

 その間にも、トラックがフウマの目の前に突進する。

「ちくしょう!」

 フウマ思わず目をぎゅっと閉じた。

 だが、そのとき・・・・はいつまで経ってもやってこなかった。

 代わりに足元でぼん、と爆ぜるような音が聞こえた後、トラックのかん高いブレーキ音と、軽い物がぶつかるようなぽーんという音が遠くで聞こえた。

「あれ、」

 フウマはおそるおそる目を開けて、辺りを見渡した。

「おれ、なんで道を渡りきってるんだろ」

 フウマは男の子の腕をつかんで、横断歩道を渡った先の歩道に立っていた。

 横断歩道の上でトラックが停まり、運転席から中年の男が飛びだしてきた。

「君たち、大丈夫か!?どこかケガはしてないか!」

「おれ達は大丈夫です。たぶんこいつも、ぶつかってもいないと思います」

 何が起こったのか理解できないまま、フウマは男の子を地面に下ろした。

「いや、たしかに何かにぶつかったような感触がしたんだ。本当に君たちに当たっていないのか?」

中年の男に聞かれるたびに(はい、いえ、ケガもしていません。本当です、ぶつかってませんから)、フウマは答えなければならなかった。

 そのとき、サッカーボールが横断歩道を転がっていった。フウマはそれを見てハッとした。

「あそこって、さっきまでおれ達が立ってた場所じゃないか。……待てよ。さっきまでボールは、おれ達がいる場所ここに落ちてたんだよな。それじゃあまるで、」

 まるで、ボールと自分の場所が入れ替わったかのような。

「一体どうなってんだ」

「上川くん、大丈夫!?」

 信号が変わるのを待って、ハナオが駆け寄ってきた。

「なあ、ハナオ。おれ、横断歩道で動けなかったと思ったんだけど、遠くから見てて何が起きたか分かった?」

「……ごめん、私も上川くんが危ないと思ったら、つい目をつぶっちゃって。気が付いたら、上川くんが横断歩道の向こう側にいたから、ああよかった、うまく逃げられたんだな、って思ってホッとしたんだよ」

「そうか」

 フウマは気に入らなかった。ハナオが見ていなかったことではない。

 自分に何が起きたのか、分からないことが気持ち悪かった。

「わ、なんか人が集まりだしちゃったね」

 ハナオが言うとおり、騒ぎを聞きつけた人たちが足を集まり始めて、フウマ達の周りは人だかりができ始めていた。

「ね、面倒なことになる前に、早く学校行こ!」

 フウマの手を取って、ハナオが人ごみの中を駆け出した。

 フウマは足を動かしながら、自分の手の中を見た。

巻物こいつが、何かしたのか」

 だが、フウマの声は騒ぎを聞きつけてできあがった人だかりの中に消えて、だれも答えてはくれなかった。


 4


 朝の通勤時間に起きそうになった交通事故を見ようとした人ごみの中で、面白そうに笑う声がした。

「ほほう。上川かみかわ風誠ふうま、その名に恥じぬ風のごとき身のこなしなり。その上、代わり身の術・・・・・・まで使いおった。初めてにしちゃじゅうぶん、これからが楽しみじゃて」

 声の主はフウマの後ろ姿を見送ると、小さくため息を付いた。

「しかし、あやつ、車が来ておるというのに、まっすぐ突っ込んできよった。何も考えておらんのか、怖いという気持ちがないのか、いずれにしても恐ろしいやつだわい。まったく、御前様ごぜんさまもとんだ向こう見ずを見つけなさるもんじゃ」

 はっはっは、と笑い声を上げた。

 だが、その声に気が付く人はだれもいなかった。

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