テレパシーの魔法

 体質柄、元から酔っていなかったメリィはもちろんのこと、ロイの方も夜風に吹かれながら歩いていた影響でかなり素面に近づいている。

 居酒屋での飲食は楽しかったがすっかり疲れてしまって、二人は布団に寝そべるとゴロゴロと転がった。

 ロイも、もう先程のように夫婦布団に興奮はしていない。

『居酒屋で食べた焼き鳥の匂いがロイに移ってる。ロイ、美味しそう』

 正面からロイに抱き着いたメリィが鼻を動かしながら彼に付着した香りを嗅ぐ。

 その中からロイ自身の香りを見つけ出すと、思い切り吸いこんで幸せそうにため息を吐いた。

「メリィ、それ好きだよな。出かける前も嗅いでただろ」

『好き!』

 メモは書いていないメリィだが、彼女のピコピコと動く耳にはシッカリと感情が反映されている。

 分かりやすいメリィにロイが呆れ笑いを浮かべていると、フンフンと彼の匂いを嗅いでいた彼女がそのまま前をはだけさせ始めた。

 少し露出した肌にピトッと頬を当てる。

「コラ、メリィ!」

『モチモチスベスベ……』

 油断も好きも無いメリィを叱ってロイがキュッと甚平の前を直すと、彼女がしょぼんと耳を伏せる。

 そのままガッカリとした様子で、メリィは枕元に置いていたペンとメモ帳をとった。

『スケベな格好してるロイが悪い』

「お前がさせたんだろうが。カスみたいな理屈を立てるんじゃない」

『抱っこしてくれたら大人しく寝る』

「はだけさせんの禁止な」

『意地悪だ!』

 ガンとショックを受けるものの、メリィは大人しくロイに抱き着くと鼻先でモソモソと服を弄って少しだけ前をはだけさせ、露出した胸板にピタッと頬をつけた。

『そこまでしてなのか? 仕方がない奴だな』

 諦めたロイがゆっくりと頭を撫でてやれば、うっとりと甘え始めたメリィが彼の腰にふさりと尻尾を巻き付けてくる。

 メリィと体温を共有する中で段々とせり上がる睡魔に襲われつつ、ロイは刺し足通りに彼女の尻尾を撫でた。

 付け根付近から尻尾を丸く包んで下の方へ流すように撫でる。

 だが、そうしているとログはウッカリ目測を誤ってメリィの尻を鷲掴んでしまった。

 ロイと同じようにウトウトとしていたメリィがビックリして肩を跳ね上げる。

「うわ! ごめん……メリィ、掴まれたからって触り返していいわけじゃないからな?」

 触り合えばフェアとでもいうようにメリィがロイの尻付近へ手を忍ばせる。

 ロイがメリィの怪しい手を掴んで捕まえると、彼女はつまらなさそうに尻尾を振って抗議した。

『メリィって、とんだスケベだよな。俺はペットなんだろ。ペット相手に発情してどうするんだよ』

 チラッと見たメリィは一度叱られて諦めたのか、少し前と同じようにロイの胸元に顔を埋めて眠る体勢に入っていた。

 忙しなく揺れる耳を見るに、早く頭を撫でたり尻尾を撫でたりするのを再開して欲しいようだ。

 ロイがゆったりとメリィを撫で始めれば、耳の動きも落ち着いた。

『明日はコイツと一緒に帰るのか』

 お節介な心配事を浴びせられたり、メリィについて突っつかれたりして、ついハナに好戦的な態度をとってしまったロイだが、彼とて愛情たっぷりに育てられた人の子だ。

 ロイにも両親への愛情や感謝の気持ちというものが存在している。

 そのため、メリィとの同棲生活の中で、ふと実家が恋しくなる瞬間というものが何度かあった。

 だが、先ほど「またね」と手を振って自分とは全く別の方向へ去って行く両親を眺め、

「そのうち遊びに行くよ」

 と、彼らに声をかけた自分を振り返って、ロイは自身でも気がつかない内に自分の居場所をメリィの隣に定めていたことに気がついた。

『俺にとっての家は、もうメリィの家なんだろうな。全く、躾が上手い事で。おかげさまで、メリィと離れて暮らす生活が思い浮かばねぇよ。俺がどっか行きたいって言ったら嫌だって首振って、ボロボロ泣くメリィは想像できるけどな。俺のどこに、そこまでして飼いたくなる要素があるんだろうな』

 メリィを眺めていると、ロイの視線に気がついた彼女が顔を上げて小首を傾げる。

「なんでもねぇよ」

 キョトンとした様子のメリィにロイが苦笑い交じりで首を横に振った。

 すると、コクリと頷いたメリィが再びロイの胸元にかえっていく。

 催促するように動く耳を見て、ロイは優しく彼女の耳や頭を撫でた。

『コイツはスキンシップを失ったら死ぬのか? まったく、かわいい奴だな。そうだな。そうだよ。メリィはかわいいんだ。こいつが俺をどう思っているのかは分からないけれど、俺はメリィのことが好きだよ。ちょっと悔しいけど』

 メリィに対する恋心自体は前からあったのだろう。

 しかし、自分をペット扱いしてくる変態への恋心を認めるのが少しシャクで、報われない愛情がフェアに思えなくて、ロイは彼女への感情にそっぽを向いていた。

 すぐに認めなくても自分さえメリィから離れることを選択しなければ、彼女とは長い間いっしょにいられることが確定していたから、ロイは思考を放棄してダラダラと日々を送っていた。

 無視していた心に向き合ったきっかけは、やはりハナの説教だ。

 自分でもキチンとしなければと考えていたから、ロイは母親の言葉を契機に自分と向き合って、メリィへの感情に答えを見つけることができた。

 ところで、メリィがロイに対して使いたがっているテレパシーの魔法には、

「術者と対象者が血縁関係に無い場合、お互いに強い恋愛感情を抱いていること」

 という使用条件がある。

 メリィはこの魔法を常に発動しっぱなしにしているので、ロイさえ彼女を好きになれば二人はすぐにでも魔法を介して言葉を交わせるようになるのだが、この魔法の発動条件を満たすには、より正確には双方が恋心を「自覚」している必要があった。

 そのため、ようやくロイがメリィを好きだと認めた今夜、ようやく魔法の発動条件が全て揃った。

 とうとうロイに、メリィが普段から垂れ流している独り言のような心の声が流れ込むようになる。

『ロイ、頭撫でてくれるの好き。ロイが好き……あ! ロイが手を動かしてる反動でロイのスケベなとこが見えそう! もうちょい……もうちょい……』

 感動すべきメリィの心の声、第一声だが、コレがあまりにもしょうもない。

 ペタッと引っ付いていたメリィの顔が少しだけ自分の胸から離れたのを見て、ロイは彼女が息苦しくなったのだと思っていたのだが、実際は全く違ったようだ。

 メリィの心の声を聞いて、ロイは驚くよりも先に呆れてしまった。

「お前は何をしてるんだ、何を」

 鼻息の荒いメリィの頭にポフンとチョップをする。

『むぐ……見えなかったし怒られた。バレたのは、何故?』

 コテンと首を傾げるメリィにロイが苦笑いを浮かべながら、はだけた胸元を直す。

「お前、喋れたんだな。でも、俺に聞かせる最初の声がアレって、どうかと思うぞ」

『最初の声? 私、喋れないけど』

「何言ってんだ。今喋ってるだろ」

『喋ってな……聞こえてるの!?』

 ギョッと目を丸くしたメリィの瞳には、珍しく驚きの感情と希望に満ちたキラキラとした光が宿っている。

 ロイはメリィに気圧されながらもコクリと頷いた。

「聞こえてるけど、あれ? メリィ、もしかして喋ってるわけじゃないのか?」

 キュッと結ばれたままになっているメリィの口を見て、ようやくロイが彼女が喉から声を発しているわけではないのだと気がつく。

 すると、混乱したロイに酷く興奮した様子のメリィが捲し立てるようにしてテレパシーの魔法の概要を説明した。

 メリィは特に、他人ならば「恋人でないと使えない」という部分を強調している。

 メリィの勢いに圧倒されながらもなんとか彼女の話を聞き終えたロイが一度、押し黙って説明を咀嚼した。

「なるほどな。そうするとメリィの考えてることが俺に聞こえるみたいに、俺が考えてることもメリィにバレたりするのか?」

『違う。魔法では、伝えたいと思ったことだけ伝えられる。だから、心が読まれることはない。でも、私は結構、伝えるつもりがなかったことも伝えちゃう時がある。ロイ、うるさいって思う時あるかも。そしたらごめん』

「いや、それはいいよ」

 心配そうに尻尾を揺らすメリィの頭を撫でる。

 彼女は安心したようにコクリと頷いた。

『なあ、メリィ、その魔法が使えるってことはメリィも俺のこと好きなの? その、ペットとかじゃなくて、異性として?』

 魔法が正しく機能しているのか確かめる意味合いも込めて、口頭では聞きにくかった質問をテレパシー越しに問いかける。

 キチンとロイの声が伝わったらしいメリィがコクコクと頷いた。

『もちろん。ロイのこと、好き! 大好き! 愛してる!!』

「へえ、変わってるのな」

 顔と同じく無感情的な雰囲気のメリィの声だが、それでも言葉にはそれなりに感情や熱量が乗っている。

 ロイは意外と情熱的でストレートな告白に恥ずかしくなってメリィから目を逸らした。

『ねえ、ロイ、私は? ロイは私のこと好き? 愛してる?』

『そりゃあ、その、こうして話ができるのが答えなんじゃねえの?』

『駄目! ちゃんと言って!』

 照れるからと言って告白そのものから逃げることは、流石のメリィにも看過できない。

 ジッとロイの顔を見つめると、一瞬だけメリィから目を逸らした彼が再び彼女の顔を見つめた。

 彷徨った視線をメリィの瞳に固定する。

 ロイはいっそ睨みつけていると表現されても仕方がないような力強い眼力をメリィに向かって飛ばした。

「好きだ。愛してる」

 顔を真っ赤に汗ばませ、少し乾いた口内で舌を動かしてハッキリと声に出すと、言葉も出なくなるくらい喜んだメリィが勢いよくロイに抱き着いた。

『ロイ! ロイ! ロイ!!』

 ビタンビタンと激しく暴れ回る尻尾が掛け布団を内側からボコボコに殴って表面を波立たせる。

 大歓喜という言葉が良く似合うメリィは激しく興奮して、そのままロイを潰さない程度にギューッと彼を抱き締めた。

『そんなに嬉しいのかよ』

『嬉しい! 凄く、凄く嬉しい!!』

 愛情を抑えきれなくなったメリィがロイの首やら、腕やら、はだけた胸やらの露出した肌に片っ端からキスをする。

「お、おい、メリィ、急にさかりすぎじゃないか?」

 メリィはロイの声を無視して彼に覆い被さると、頬や鎖骨にも唇を押し付けた。

『ロイ、好き! 大好き! 好き! 好き! 好き!!』

 ブンと振られた尻尾で掛け布団が吹き飛び、数メートル後方でふすまにぶつかって力なく畳に落ち込む。

 メリィの目は一見すると「無」だが、よく見れば瞳にはロイだけが映りこんでいる。

 彼女のソレは完全に獲物を狙う猛獣の瞳だった。

「メリィ、いきなりがっつき過ぎだって! ここは旅館だぞ。落ち着け、メリィ。落ち着けってば!」

『ロイが何か言ってる。よく分かんないけど、焦っててかわいい。私のロイ。好き。大好き』

「話が通じねえ!!」

 酷く興奮したメリィにはなかなか言葉が届かない。

 想いが通じ合った深夜。

 二人に待っていたのは熱く甘いひと時でも、穏やかな癒しでもなく、貞操をかけた激しい攻防戦だった。

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