夫婦布団
ホテルは建物内のデザインや各種サービスなどに東の方にある小さな島国の文化を取り入れているようで、個室の中には畳が敷かれていた。
また、寝具も布団で館内着も浴衣か甚平の二択である。
部屋には小さな貸し切りの露天風呂もくっついていて、浴槽の一部に使用されているヒノキが非常に良い香りを放っていた。
急にやってきた珍客にもかかわらず、つつがなく用意された和洋折衷な創作料理を食べたロイは、
「今日は水着がないから駄目!」
と、混浴したがるメリィを制止して、一人でのんびりとお風呂に浸かった。
湯の温度も熱すぎず、ぬる過ぎず、月や星を眺めながら贅沢な気分に浸るのに適した温度である。
「いや~、露天風呂っていいもんだな。お湯につかりながら夜空を眺めるのも、なかなかに乙なもんだ」
風呂上がりでホコホコと湯気を立たせるロイが肩にタオルを引っ掛けてニコニコと笑う。
ロイは黒と灰色の縦縞模様の甚平を身に着けていた。
サラサラで通気性に優れた甚平の着心地の良さが風呂上がりの心地良さを更に増加させている。
なお、メリィの方はロイよりも一足先に風呂を貰っていて、白地に薄桃色の縦縞模様が入った浴衣を着ている。
サラサラとした髪の毛や血色が良くなって朱色に染まった頬が大変魅力的な様子だ。
風呂上がりのツヤツヤと血色が良いロイをチラリと見たメリィが、
『一緒に入りたかった。ロイとお風呂に入りながら星を眺めたかった』
と、無表情なまま不機嫌に頬を膨らませた。
フン! と拗ねて背を向け、ペチン、ペチンと畳を叩く姿にロイも思わず苦笑いになる。
「しょうがないだろ、今日は水着なかったんだから。次な。次に機会があったら一緒に入ってやるから。だから人肌に温まる前に懐に抱えてる牛乳を返してくれ」
普段ならば風呂上がりの火照った体を潤すのはよく冷えた水だが、今日のようにホテルで露天風呂に入った日には瓶に入った冷たい牛乳を飲むのに限る。
直前まで冷蔵庫に入れて冷やして置いたはずの牛乳瓶がメリィに奪われていたあげく、抱え込まれていたのでロイも少々焦り気味だ。
次回の入浴を交渉材料にチョイチョイと手のひらを振ると、メリィが、
『約束してね』
というメモ書きと共に大人しく牛乳を返してきた。
『良かった、まだ冷たい』
次回の露天風呂問題は保留にしつつ、未だに水滴を滴らせている透明な瓶にホッと息を吐く。
それからロイはコクコクと牛乳を飲むと、口元に白いひげをつけたまま瓶から口を離す。
『ロイ、口におひげがついてる』
クスクスと笑いながらロイが牛乳を飲む姿を見守って、メリィも自分用のフルーツ牛乳を飲んだ。
『うまい!』
後味がさっぱりとした濃厚な甘さにブンブンと尻尾を振る。
「もしかして、俺が飲むまで待ってたのか? 別に牛乳くらい、先に飲んでても良かったのに。甘えん坊なやつだな。ほら、口の周りが汚れてるぞ」
既に自分の口元はキュッと手の甲で拭っていたロイが、メリィの口元も紙で拭ってやる。
すると、ロイに構われるのが大好きなメリィが例のごとく尻尾の揺れを激しくしたのだが、そうすると今度は尻尾のために穴の開けられたお尻付近の布が大きく動かされるようになり、浴衣全体が着崩れを起こすようになった。
帯は垂れ下がり、大胆に開いた胸元からは谷間どころか中央から広がっていく下乳のラインまでチラ見せする。
ムチッとした太股やひざまで露わになり始めているというのに、肝心のメリィは全くもって尻尾を揺らすことを止めなかった。
「メリィ! 馬鹿! 中身出るぞ!!」
真っ赤になって狼狽えたロイが大慌てで衣服を直し、帯もキュッと締め直してやる。
小さな子供の世話をする母親のように黙々と浴衣を直していくロイを、メリィは尊敬の眼差しで見つめた。
『ロイ、着付け上手。尻尾ブンブンしても、あんまり服が乱れなくなった!』
そもそも、獣人や獣人型の魔族用の浴衣であったにもかかわらず力強い尻尾の揺れに耐えきれなかった理由は、服の構造ではなくメリィの着付けのヘタさにあった。
緩く、適当に身に着けていた浴衣がキッチリ、ピシッと直されることで丈夫になり、着崩れにも強くなる。
「見て、見て! 尻尾を揺らしても平気だよ!!」と言わんばかりに揺れる尻尾を見せつけて嬉しそうに耳をばたつかせるメリィだったが、肝心のロイは少し前と変わらないままに顔を真っ赤にして目を背けていた。
『目のやり場がねぇ……』
少し前までは全体的にやぼったいシルエットだった浴衣姿のメリィだが、今ではキュッと締められた帯によって豊かな胸がシッカリとその大きさと丸みを主張しているし、突き出されているお尻は針のある曲線を描いている。
浴衣からはみ出た素足やスッキリと出された首筋も気になってしまう。
おまけに、浴衣を直してやる時に見えてしまった下着姿も脳を掠めて、ロイは少しの間だけメリィを見られなくなってしまった。
『なんか、直さない方がマシだったかも』
風呂上がりだが一向に湯冷めする気配のない体を抱えて、これ以上熱くならないようにメリィの体から目を背け続ける。
すると、浮かれたメリィが座り込むロイの体にもギュッと抱き着いて鎖骨付近に顔を埋め、スンスンと鼻を動かし始めた。
『新品のお洋服の匂いといつもとは違うシャンプーやボディソープの匂いをまとったロイ、新鮮で良い匂いがする』
いつものうっとりした雰囲気とは打って変わって好奇心たっぷりに肌を嗅ぎ、髪を嗅ぎ、肩や首回りを嗅いでいく。
フスフスとした鼻息にメリィの方から香る花の匂い。
浴衣の薄い布越しに伝わる体温や体の柔らかさ。
少し目線を下げれば見えてしまう胸の谷間に体中を熱くしていたロイは、ギュッと目を瞑ったり視線を動かしたりして必死にメリィを触ってしまわぬよう耐えていた。
だが、ふと背けた視線の中にやたらと大きい布団を見つけて、ビシッと固まった。
メリィと同じで、普段とは違う環境に身を置き、新鮮な香りを纏って物珍しい衣服を着ているロイは一種の興奮状態にある。
最近は見慣れていたメリィの姿が浴衣効果で普段の数倍以上も魅力的に見えてしまっていたし、変な風にテンションをあげていたので、いつもよりもスケベ方面に考え方を持って行きやすくなっていた。
ただでさえ、今はメリィに誘惑されて悶々としているのだ。
そんな中で夫婦布団なんかを見せられたりしたら、「そういうこと」しか考えられなくなってしまう。
目をクワッと見開いて、マジマジと巨大な布団を見つめる。
『あれ一枚じゃね!? あれ一枚じゃねえ!?!? 嘘だろ!? なんで夫婦布団なんか用意してあるんだよ!! 枕元に置いてあるミニバスケットに入れられたアメニティ、もしかしてソレようか!? 好きなように部屋使っていいって、そういうアレ!? え? ここって普通のホテルじゃねえの!? 高級エロホテルなの!?』
ラブホなど存在しない田舎で育ったロイだ。
通常のスケベホテルがどんな様子なのかなど微塵も分からないロイだが、少なくとも一般的なホテルが夫婦布団など引っ張り出してこないだろうことは予想できる。
何故、二枚ではなく一枚のどでかい布団が用意されているのか。
まさか、この布団のデカさがホテルの売りなのか、あるいは二人分の寝具が用意できなかったから、まさかの夫婦布団を引っ張り出してきたのか。
疑念とソワソワが尽きない。
考えないようにと思えば思うほど思考がそっち方面に寄ってしまって、思わずチラリとメリィの様子を盗み見る。
メリィは相変わらず、自分に抱き着いて興奮したままフスフスと匂いを嗅いでいた。
『……メリィって、スケベだよな。俺と一緒に風呂入りたがるし、引っ付きたがるし、嗅ぎたがるし、触りたがるし。メリィって、エッチな事したいって言えば応じてくれんのかな』
大分スケベに偏ったロイの脳裏によぎるのは、以前にエレーメルから聞かされた、
「メリィは歴代のペットたちにエッチな処理をしてきた」
という虚偽の情報である。
胸板にタユタユと押し付けられる柔い胸や自分の上にポスンと乗っかる肉厚なお尻、浴衣の隙間から覗く真っ白いふくらはぎにロイはコクリと生唾をのんだ。
「メリィ、あ、あのさ、この後って、予定とかあるの?」
『予定? 考えてなかった。いつも、疲れて寝る。たまに散歩する』
「へ、へえ、散歩って、館内を歩いたりすんの?」
『違う。近くの居酒屋さんに遊びに行く。お酒飲んだり、焼き鳥食べたりする。美味しい』
「そっか、それはいいな」
相槌を打つロイはどこか上の空だ。
心ここにあらずといった様子で鼻息を荒くしたまま、ソワソワ、モゾモゾとしている。
「あ、あのさ、布団ってどうなの? 寝心地良いの?」
『良い。ベッドに比べると固いけど安定感がある。羽毛布団もふかふかスベスベで好き』
「あれさ、布団、一枚だよな? 二枚が重なってるとか、ないよな」
『ああ、あれか。あれは、布団を敷きに来たスタッフさんにいつも一緒に寝てるから一枚でいいって言ったら、それなら特別にって大きな布団を用意してもらえた。布団、小さいのしか見たことがなかったから、ちょっと面白い。あと、ロイのことギュってしながら寝たかったから丁度良かった。ロイ、今日も一緒に寝ようね』
無邪気に尻尾を振っているメリィこそ、ロイをパニックに陥らせるきっかけとなった夫婦布団を敷かせた張本人である。
普段からメリィは一緒に眠っており、ギュッと引っ付かれたり後ろから嗅ぎまわされたりしながらも、
「触ったりしたら良くないかな?」
と禁欲しているロイだが、今日は諸々があって珍しいまでに思考をエロに全振りしているし、
「あわよくばエッチなことをしたい!!」
とまで考えている。
そんな時に、「一緒に寝ようね」などと言われてしまうと、そういう誘い文句にしか聞こえなかった。
メモにはハートなどついていないのに、脳内保管で勝手につけてしまいそうになる。
『いいのか!? シてもいいのか!? いけるのか!?』
ドッドッドッと腹や体中に響き渡るほど激しく心臓を鳴らし散らかし、チラチラチラ! と目玉を高速で動かして、視線をメリィと布団の間で行ったり来たりさせる。
一方、今はロイとスケベしようとは考えておらず、純粋な欲の導くままに彼を嗅ぎまわし、世間話くらいのつもりで布団の話をしていたメリィは、
『ロイ、ずっとソワソワしてる。どうしたんだろう』
と、不思議そうにロイを眺めていた。
そして、それから少し考え込んでロイの態度に答えを見つけたメリィが、
『ロイ、私と遊ぼう』
と、彼の腕を引いた。
ビクッと肩を跳ね上げるロイに首を傾げて、ゴソゴソと浴衣の入っていた棚を漁り、真っ黒い羽織を二枚取り出す。
そして、羽織を一枚身に着けるとロイにも着せた。
ガサガサと鞄を漁るメリィを真っ赤になってソワソワと身じろぎしまくるロイが見守る。
やがて彼女は鞄から財布を取り出すと袖の膨らみの部分にしまい込んだ。
『館内着のまま外に行ってもいいらしい。行こう』
「外で!? 外ですんの!? 初めてでそれはチャレンジャーすぎるだろ! いくら狼みたいだからって、それは野生が過ぎるって!」
『野生? でも、散歩は外でするものだ』
「メ、メリィがどうしてもって言うなら考えるけど、それならせめて人目がつかな……散歩?」
『うん。行きたかったんでしょ。散歩して、居酒屋に行ってお酒飲んだり、ご飯食べたりしたかったんでしょ? 前に言ってたの、覚えてるから』
「眠る、眠らないの話」をした辺りからワソワとしたまま落ち着かないロイの様子と、まだ午後八時という寝るのにはだいぶ早い時間帯。
そして過去にロイが、
「俺、都会に遊びに行ったらバーとか居酒屋でお酒飲んでみたいんだよな。俺の故郷には、おっちゃんたちが夜な夜な集まってる定食屋みたいな酒場しかなかったから。行商人に聞いた知り合いのいないガヤガヤとした空気とか、炭火の匂いが充満する店とか行ってみたいんだよ」
と、語っていたのを総合したメリィは、彼の態度に、
『ロイが散歩に行きたがっているんだ』
という答えを見出していた。
『バーはこの格好だと難しそうだから、また今度。今日は居酒屋に行こう』
キュッと手を繋いで提案してくるメリィに、一瞬で事情を察したロイが「そうだな……」と力なく返事を返す。
『ロイの初めての居酒屋、楽しみだ』
「メリィ、俺の傷を抉るのはやめてくれ」
すっかり熱が冷めてしょげたロイは、天然鬼畜なメリィに手を引かれてホテルを抜け出した。
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