馴染みの宿屋
土産物屋を出る頃にはだいぶ日も傾いており、すっかり薄暗くなっていた。
「今から帰るの、結構きついな。疲れたし、荷物も多いし。まあ、しょうがねぇんだけどよ」
はしゃぎ疲れたロイが苦笑いでぼやくと、メリィがコテンと首を傾げた。
『帰らないよ』
どうやらメリィ、ベリスロートに遊びに来た時には馴染の宿屋で一拍をして、それから翌日に帰宅するようにしているらしい。
『家に帰るのも一苦労だから、お昼を食べて英気を養ってから帰る。これが基本』
「なるほど、それはいいな。でも、馴染の宿屋ってどこなんだ? 今から泊まれるのか?」
ベリスロートは観光客であふれかえっていて、多くの宿泊施設は大量の客を抱えている。
飛び込み予約を受け付けている宿泊施設でも夕方には満室になっていて、無計画な観光客はキャンセル待ちをするか、適当に深夜まで営業している店をはしごして時間を潰すしかなくなってしまう。
メリィの口ぶりを見るに泊れなかったことはないようだし、馴染みの店と表現したことを考えても彼女ならば部屋を融通してもらえるのかもしれない。
ロイが少しだけ不安を抱えつつもメリィの後について行くと、そこには三階建ての子洒落た雰囲気の四角い建物があった。
ベリスロートのど真ん中に店を構えているのにもかかわらず大きな噴水付きの庭園を構えている宿屋は、どう見ても高級ホテルで客に困っているようには見えない。
「今から泊まれるのか? 本当に?」
夜闇にキラキラと輝くホテルに半ば茫然とするロイだが、薬局の時同様、平然とホテルに足を進めるメリィを見て彼も慌てて建物内に入った。
ツヤツヤと輝くフロアに大理石の壁や柱が美しいエントランスホームでは、シャンデリアの様に装飾された室内灯が、ほんの少しオレンジっぽい温かみのある光を放って室内を柔らかく照らしている。
建物内は眩いばかりの高級感を漂わせていたが、所々に木製の家具やフカフカの座り心地が良さそうなクッション、小さなぬいぐるみが置かれていることで客の心を和ませ、無用な下品さを打ち消していた。
少しソワソワしてしまうほどのお洒落空間だが、どこか居心地よく感じてしまうのはデザイナーの苦慮の賜物だろう。
玄関マットで軽く靴の汚れを落とし、埃も落とすとメリィが真直ぐに受付へと向かって行く。
『お久しぶりです。お部屋は開いていますか?』
メリィが事前に書いていたメモをスタッフに見せると、カチリとした上等な衣服に身を包んだ女性が「少々お待ちください」と、パラパラと台帳のようなものを捲り始めた。
そして、一通りの確認が済むと申し訳なさそうな表情になり、
「申し訳ありません、魔族のお客様。本日は満席でして……」
と、頭を下げる。
だが、メリィを追い返す前に改めて彼女の顔を確認し、カチリと動きを止めた。
そして、もう一度台帳のようなものを捲って中身を確認し、メリィの顔も確認し直すと、
「少々お待ちください」
と、丁寧に声をかけてスタッフルームへと引っ込んで行った。
十分も経たない内に戻ってきた女性が引き連れているのは、高級なスーツに身を包んだ年配の女性だ。
受付の女性曰く、スーツの女性はホテルのオーナーなのだという。
全体的にふっくらとしたオーナーは物腰が柔らかく感じるが、スッと立った姿勢が異様に美しい。
身にまとう空気まで澄んで見えた。
「魔族さん、久しぶりだね。この時期に来るとは珍しい。今時期は新人スタッフも多くて魔族さんについて周知できていなくてね。うっかり魔族さんを追い返しちゃうところだったよ。ごめんね。お部屋はちゃんといつものをとってあるから、心配いらないからね。本当にごめんね」
洗練された雰囲気の女性だが、話す様子は気安く明るい。
近所のおばちゃんと敏腕な経営者の雰囲気を両立できるオーナーは、ついでとばかりに強者のオーラまで放っていた。
申し訳なさそうに頭を下げるオーナーにメリィがフルフルと首を横に振る。
『大丈夫です。私も急に来たから、悪かったです。いつも、お部屋ありがとうございます』
ロイと話すのが口語であるせいか、あるいは単純に敬語を使うのが下手なのか、メリィの敬語は何処か不思議な感じがして少し読みにくい。
だが、オーナーとしてはメリィの敬語よりも彼女が文字を書けたという事実に驚いたようで、目を丸くしながら、
「魔族さん、人の言葉が分かるのかい!?」
と、少し失礼な感想を漏らした。
これに対し、特に腹を立てていないどころか少し誇らしげな様子のメリィが、
『分かるようになりました。文字も書けます。そして私はメリィです』
と、メモを書いて返す。
尻尾もドヤッと優雅に揺れている。
胸を張ってメモを見せびらかしていると、何故か急に感極まったらしい様子のオーナーが目元に涙を浮かべてギュッとメリィに抱きついた。
「そっか、魔族さんはメリィさんって名前だったんだね。知らなかったよ。でも、今ならキチンと言葉が通じるんだね。あの時はありがとう。本当に、ありがとうね」
現在もなお魔族の権力が強く、彼らに対しては強く出られないベリスロートの町と住人だが、一昔前には今よりもその風潮が強く、人々は魔族の奴隷に近かった。
白昼堂々、公共の場で何の罪もない人間の子供が魔族に連れ去られるというイカれた状況を兵士や町の役場が黙認している、恐ろしい時代があったのだ。
そんな時代の風向きを変えるのに少しだけ手助けをしたのが、約四十年前に実家を出てベリスロート近くの森に家を構え、ちょくちょく町に遊びに来るようになっていたメリィだった。
彼女は今も昔も血の気が多く、どちらかというと人間が好きな善良な性格をしている。
そのため、平然と人に暴力を振るい、女性や子供を殺したり犯したりするような魔族に腹が立って、今よりも頻繁に町へ降り、彼らを粛正して歩いている時期があったのだ。
無言で同族を殴り歩くメリィを恐れた魔族が勢いを衰えさせている内に、ベリスロートが新たな魔族対策を打ち立てた話はひとまず置いておくとして、オーナーも当時のメリィに助けられた人間の一人だった。
まだオーナーが十代のうら若き乙女だった頃、彼女は実家の小さな宿屋でお手伝いをしていたのだが、そこに、
「女性に暴行を加えた挙句に犯し、その様子を肉親や配偶者に見せつけるのが趣味」
という、屑という称号を与えるのすら屑に申し訳が無くなってしまうような、最低な魔族が宿泊にやってきたのだ。
自身も母親も父親も縛り付けられ、宿屋の真ん中に転がされる。
目の前には母親に暴行を加え続ける凶悪な魔族と喉から血を吐きださんばかりに泣き叫ぶ父親。
声も出せぬほどにボロボロに痛めつけられ、服を破り捨てられていく母親。
自分たちをグルリと取り囲むのは、口が裂けんばかりに口角を上げて下卑た笑い声を出し、楽しそうに囃し立てる豚のような魔族たち。
怯えたオーナーが失神しそうになりながら事を見せつけられている中、母親が穢される直前に魔族へ強烈な蹴りを叩き込んで凶行を止めさせたのが、偶然にも宿泊客として宿屋にやってきたメリィだった。
メリィの方からすれば、腐った趣味の魔族を殴り歩くなどいつものことだ。
強いて言えば、冷やかしの魔族たちも殴ったから、
「今日は殴る回数と倒した人数が多かったな」
くらいにしか思っていない。
だが、オーナーの心には自分たちを救い、次々と魔族を倒していくメリィの姿がヒーローとして鮮烈に残った。
どうにかして恩返しをしたい。
そう考えたオーナーは暇さえあれば町の中でメリィを探すようになり、彼女を見つければ今度は、「おもてなしするから家に泊まってって!」と、彼女の手を引くようになった。
事情などよく分かってはいないメリィだったが、新しく宿を探すのも面倒なのでオーナーについて行く。
そうして、いつしかメリィはベリスロートに来たら必ずオーナーの宿屋に泊まるようになり、オーナーの方もメリィを精一杯もてなすようになった。
その関係性は、オーナーの宿屋がベリスロートでも屈指のホテルになり、客を選べる立場になった今でも続いている。
相変わらず、何故これほどまでにオーナーに感謝されているのかをよく分かっていないメリィはキョトンとしていたが、それでも彼女を抱き返してゆっくりと背中を撫でた。
やがて、満足したらしいオーナーが体を起こして目元を拭う。
「ありがとう、メリィさん。メリィさんは今でも変わらず優しいね。ふふ、後ろのお兄さんはメリィさんの大事な人かい?」
『そう! 一緒に泊まりたいんだけど、大丈夫ですか?』
コテンと首を傾げるメリィにオーナーは笑い皺の目立つ目元を細めて頷いた。
「一人用のお部屋に寝具なんかを二人分、詰め込むことになってしまうけれど、それでも平気なら大丈夫だよ」
『平気です。良かった!』
ブンブンと尻尾を振って喜ぶメリィにオーナーがクスクスと笑う。
「はい、お部屋の鍵だよ。好きに使って良いからね」
チャリッと銀色に輝くシリンダーキーを受け取って、メリィはケイと一緒に部屋へと向かった。
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