出て行きたいの?
食後、のんびりとお茶を飲んでいると眠くなってロイは大きな欠伸を漏らした。
「それにしても暇だな」
今日の予定は、と一瞬考えかけたロイだが、昨日も一昨日もその前もロクな予定が存在しておらず、仕事といえば朝の農作業か、もはや義務付けられたメリィのブラッシングくらいであるのに苦笑した。
最近の暇つぶしといえばメリィと盛りを散策する事か彼女の家事の手伝い、あるいは眠るか本を読むばかりである。
メリィの家には少なくない量の書籍があるため、まだロイが未読のままで放置している面白そうな本もいくつかあるし、お昼寝も嫌いではない。
だが、そればかりでは体がなまってしまうし飽きてしまう。
元々ロイは働き者で四六時中体を動かしていたので、なんだか物足りなくなってしまっていた。
『ロイは暇が苦手?』
どちらかと問われればインドア派で、屋内でチマチマと手芸をしたり本を読んだり昼寝をすることが好きなメリィだ。
のんびりと時間を過ごすことが好きであったし、暇な時間をさほど暇として認識しておらず、今日も平穏でいいなと微笑む彼女はコテンと不思議そうに首を傾げながらメモを見せた。
「まあ、暇っていうか、のんびりすることは俺も嫌いじゃねぇよ。でも、あんまりにも刺激がないと、それはそれでな……」
ロイはそもそもボーッと時を過ごしたり、眠ってばかりで時間を潰したりすることがあまり得意ではない。
のんびり過ごすのも良いよな、と言いつつ暇でいるのが嫌で予定が空いてしまうと用事を詰め込んでしまう性格をしていたのだ。
少し前は怪我をしていて物理的にできることが少なかったし、メリィを警戒して逃亡計画を企てながら送る日々は緊張と刺激にまみれていた。
また、最近では久々に農作業を始めたり、メリィの世話をしたり、時々やって来るエレメールの相手をしたりと、それなりには忙しく変化のある生活を送っていた。
だが、ここ数日になるとメリィとの生活が日常化してしまい、エレメールの襲撃も習慣化してしまった。
農作物も収穫してしまったので、一度、すべきことが終わってしまったかのような感覚を覚える。
「そもそも俺は、農作業ばっかの暇な実家が嫌で家を抜け出したんだっけ」
農業は朝から晩まで忙しいため正確には暇とは言えないのだが、生まれてから行い続けている作業に飽きを感じ、日常から抜け出したくてロイは都会を目指した。
『ロイは出て行きたいの?』
書いたメモを見せるメリィの両耳はしょんぼりと垂れていて非常に不安そうだ。
せわしなく揺れる狼の尻尾も垂れ下がっており、全体的に落ち込んだ印象を感じさせる。
寂しそうに問われたロイだが、メリィのメモを見た彼はピシリと固まってしまった。
というのも、実際に家を抜け出してみて想定とは違った刺激的な生活を送ったロイは、初めは目新しく見えていた日常も少しすれば平坦に思えてしまうことを学んだ。
当初の予定通り都会へ出てみても、準応力が低くないロイはキッとすぐに都会での生活に慣れてしまうだろう。
そんなことを簡単に予想できたから、ロイは今でも少しだけ都会に憧れていたが、無理をしてまで行かなくてもいいとも思っていた。
加えて、何故か最近のロイにはメリィの元を離れて暮らすという考えがすっぽりと抜け落ちてしまっており、当然のように彼女との未来を想像していた。
暇つぶしも、あくまで彼女と暮らしたうえで何かできそうなものを考えていたし、なんなら、一緒に森の奥まで入ってみたり、少し難易度が高く目を離すことができないフルーツでも育ててみたりしようかと思っていた。
だが、そんな風に彼女との生活が自分の中に入り込み、隣にメリィがいることを想定した上で行動計画を立てるようになっていた自分自身に気がついたのは、たった今のことだ。
『そういえば、俺って今、どういう状況なんだろう。たしか、コイツのペットなんだよな?』
ロイがメリィとの生活を受け入れていた理由の一つに、彼女が自分をペット扱いしているから、というのがある。
目に見えて自分を溺愛しているメリィだ。
きっと、自分に寿命がやって来るまで手放す気はないだろうし逃れることもできなさそうだからと、ロイは何となく彼女との生活を受け入れていた。
だが、そもそもは脱走を企てており、
「メリィちゃんと一緒にいたいの~?」
というエレメールの煽りにも、基本的に、
「出ていくに決まってんだろ!」
と、キレ返していたロイだ。
メリィに問われた途端、
「でも、俺はコイツのペットだしな」
と、逃げ出すのを躊躇してしまうというのも冷静に考えればおかしな話である。
「出て行きたいっていえば出してくれんの?」
実際に出ていくかどうかはひとまず置いておくとしても、過去には自分の脱走を防ぎ、それらしい行動をとれば慌てて妨害してくるメリィが素直に自分を家から出してくれるのか、純粋に疑問に思って問いかけてみた。
だが、そうすると昆田はメリィの方がパキリと固まってしまった。
『ロイは、私との生活は嫌? 出て行きたい?』
相変わらず不安そうに耳と尻尾を垂れさせたメリィが恐る恐るメモを見せてくる。
彼女はまるで躾をされている最中の犬のように元気がなく、しょぼくれていた。
思わず笑いそうになってしまったロイだが、この問い自体、彼自身がきちんと考えて答えを出しておかなければならないものだろう。
少し真面目な顔になって黙考する。
だが、考えてみてもメリィの家に残って彼女と生活をしたいのか、あるいは当初の予定通り都会へ行って新生活を送りたいのか、それとも実家に帰って農業を継ぎたいのか、どれをしたいのか、ロイには皆目見当もつかなかった。
ただ漠然と、メリィと離れるのは寂しいなと感じるばかりである。
そのため、一番近いのはメリィと生活を送り続けることなのだが、やはり、それをしたいといえるだけの理由が思い付かない。
やがてロイは素直に、
「わかんね」
と、首を横に振った。
出て行かないと断言してもらえなかったのは残念だが、明確に逃げるそぶりを見せているわけでもないのでメリィはひとまず安心してホッと息を吐いた。
それから、先ほどよりは元気に耳をピンと立ててサラサラとメモを書いていく。
『私は出て行ってほしくない。ロイ、好き。大好き。愛してる。ずっと一緒がいい』
ロイを見つめるメリィの瞳があまりにも真剣だったから、一瞬、ロイの心臓がドキッと跳ね上がった。
『好きって、ああ、でも、ペットとしてってことか。なんか複雑だな』
対面にいるメリィの方へ手を伸ばせば彼女がスッと頭をロイの手に向かって伸ばしてくる。
ロイはポスンとメリィの頭に手を置くと、ワシワシと撫で、それから耳の付け根をモフモフとマッサージしてやった。
少し複雑な心境でメリィをモフリ続けるロイに対し、彼女の方も目を細め、ワフワフと尻尾を振りながら熟考する。
『ロイ、暇が好きじゃないって言ってたし、暇だから家を出たっても言ってた。ロイ、外に行きたいのかな? あんまりにもストレスを溜めさせると爆発して変な風になるって本にも書いてあったし、それだったら……』
何かの答えに行きついたらしいメリィがカリカリと文字を書き始める。
『ロイ、私と町へ遊びに行こう』
「ん? 町? 急だな。ああ、俺が暇だって言ったからか。遊びに行くのは良いんだけどさ、メリィって魔族だろ? 町に入ることってできんの?」
ロイの実家がある村は小さすぎて魔族が立ち入りできる基準から大きく外れてしまっていたため、仮にパスポートがあってもメリィたちは中に入ることができない。
そういった場所で生活していたため、ロイは人間の生息域を闊歩する魔族というものを想像できなかった。
都会では魔族も普通に辺りを歩いていると噂では聞いていたが、こればかりは半信半疑な気持ちで聞いていたのだ。
『私はパスポート持ってるし、基準を満たした場所なら平気。実は年に数回の頻度で行ってる』
自信満々で頷き、リビングの壁に掛けてあった鞄からスチャッとパスポートを取り出すメリィを見て、ようやく信じる気持ちになれたらしいロイが「なるほど」と頷く。
「よく分からないけど、そういうシステムがあるんだな。しかし、そうなると、ここの近くで基準を満たした場所ってどこになるんだ?」
『ベリスロートが一番近いと思う。私が一番よく行くところ。少しなら詳しい。宿屋さんとパンケーキ屋さんを知ってる』
単独行動が好きであり、町に降りる時は泊りがけで遊びに行っていたメリィは町の全体像をザックリと把握しているため、自信満々に胸を張った。
ところでこのベリスロート、魔族のメリィが入れるくらいなので辺りで最も栄えた都市であり、奇しくもロイが最初に目指していた場所だった。
都会に憧れていたロイは村に珍しくやってきた旅人や定期的に訪れる行商人からベリスロートの情報を集めていたため、華々しい噂の数々を聞いていた。
最新の技術が集まっているらしいベリスロートには田舎では見ることができない物珍しい光景がたくさん見られるらしい。
具体的な事はよく分かっていないロイだが、とにかくベリスロートへの期待値が高い。
ロイはメモを読むとキラキラと瞳を輝かせた。
「いいな! 俺、そこに行ってみたかったんだ!」
現在の時間は午前九時ごろで、まだまだ午前中に属する。
森の中もメリィと一緒に歩けば安全かつ簡単に進むことができるため、途中で休憩を入れながら進んでもお昼過ぎくらいにはベリスロートにつくだろうか。
二人はさっそく着替えを行い、出掛ける準備を進めることにした。
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