とれたて野菜の朝食

 好きと嫌いがあべこべになっているなど問題の多かったエレメールによる人間語講座だが、そもそもが大好きな妹に請われて教えていたものだったので基本的には真面目に教えており、誤った言葉もロイへの嫌がらせが終わって以降は正しく教え直していた。

 また、教えてもらう側のメリィにも熱意があり、学習能力も決して低くなかったため彼女は割とすぐにロイと筆談できるようになった。

『ツヤツヤで美味しそう。小さくて可愛い。もう、食べられる?』

 早朝、水滴を滴らせながらキラキラと輝くミニキュウリとプチプチトマトにブンブンと尻尾を振ったメリィがシャカシャカとメモ帳にペンを走らせる。

 ミニキュウリは名前の通り小ぶりだが全体的にプリンと張りがあり、食欲をそそる綺麗な深緑色をしている。

 クルンと月のように沿った姿が不格好ながらも美味しそうで、三日月キュウリの異名を誇るユニークな形が非常に面白い。

 プチプチトマトの方は真っ赤に熟れてコロコロとしており、ミニキュウリと同様に小ぶりながらも、その小さな身にギュッと旨味が詰め込まれているのが素人目でも容易に想像できた。

 キュッと沿ったヘタから落っこちてしまいそうなほどに丸々と実って重くなったトマトは今すぐに食べてくれと願うようである。

 そろそろ食べ頃だとロイに告げられて以来、毎朝早くに起こされ、ブンブンと尻尾を振るメリィに手を引かれて一緒に畑の様子を見に行っているロイだ。

 うっすらと明るくなる空にかつて農業で生業を立てていた頃を思い出しつつ、今日も寝ぼけ眼で野菜の出来栄えを確認する。

 そして、複数のキュウリやトマトを確認してからメリィのメモにグッと親指を立てた。

「概ね食べ頃だな。熟してないのはそのままにして、食べる分をとっていこう」

 大きな欠伸をしながらロイが声をかける頃には、既にメリィは籠を抱えていてモサモサと野菜をとっている。

 野菜をもぎるメリィの尻尾は相変わらず千切れんばかりに揺れているし、耳もピコピコと動いてキュウリの蔦を往復ビンタしている。

 事前にロイから教えてもらっていたやり方で野菜を集めているメリィは非常に楽しそうだ。

 初めは自由に野菜を狩るメリィに呆れていたロイだが、

『まあ、メリィも俺もたくさん食べるし、ちょっとくらい多めにとってもいいか』

 と思い直すと、彼も屈んで控えめに野菜をもぎ取り出した。

 しばし無言になって夢中で野菜を狩り、けっこうな量を収穫する。

 パンパンになった籠の中身を見て誇らしげに尻尾を揺らすメリィが、さっそく調理をしようと籠を抱えて家の中に入ろうとする。

 しかしロイに、

「メリィ、ちょっと待て」

 と呼び止められ、不思議そうに彼の方を振り返ってから首を傾げた。

「いいから、そこで待ってろ」

 悪戯っぽく笑うロイにコクリと頷けば、彼が籠の中からミニキュウリを二つとプチプチトマトを複数個つかんで屋外の給水所まで持って行く。

 それから蛇口をひねって野菜たちを冷水に晒し、丁寧に洗うと再びメリィの元まで戻ってきた。

「ほら、メリィ」

 意外とマメなロイが手拭き用の湿らせたハンドタオルと一緒に野菜を差し出せば、味見ができると察したメリィが嬉しそうにピンと耳を立てる。

 メリィは籠を地面に下ろしてチャカチャカと手を拭くと、ロイからミニキュウリを一本、プチプチトマトを三個ほど預かって、まずはカプリとキュウリに齧りついた。

 バリンと噛み切った瞬間にウリ科の植物を感じさせる爽やかで新鮮な香りが口いっぱいに広がる。

 冷水で洗った影響かキュウリは少しヒンヤリとしていて、瑞々しい果肉の破片が口内でコロコロと転がった。

 早朝から日差しの強い太陽の下で作業をしていて水分を欲していた体にしみいるようだ。

 噛めば噛むほど水分を放ち、バリボリと良い音を立てるミニキュウリは咀嚼をしていて非常に心地が良い。

 気がつけば残っていたもう半分のキュウリも口に放り込んで夢中で食べてしまった。

 また、プチプチトマトの方も口に放り込んで奥歯で噛むと、キュッと酸味のあるジュレ状の部分と甘味の強い果肉部分が舌の付け根から口内全体に広がっていき、幸福感を覚えた。

『小さな果実みたいだ』

 通常のトマトとは全く違う食感や味わいに夢中になり、そのまま二個目、三個目と口内に放り込む。

 ゆっくりと咀嚼を繰り返して、ギュッと目を閉じるメリィの尻尾は彼女の上向きの気分を象徴するように斜め上へ持ち上がり、ギュンギュンと揺れている。

 夏野菜でほど良く体も冷え、若干の満足感を覚えたメリィだが、彼女は元から大食いであるし、今回収穫した野菜はいずれもサイズが非常に小さい。

 かえって食欲が刺激され、お腹が空いたメリィは、

「もうなくなっちゃった」

 とばかりに耳をペタンと下げて、籠の中身を見つめた。

 あまりに分かりやすい姿にロイがクツクツと笑う。

 それから、

「そんなに美味かったのか。ほら、俺のを分けてやるから食べて良いぞ」

 と差し出せば、本当に珍しくメリィが瞳の奥をパァッと輝かせる。

 そしてついでに甘えるチャンスも察知したメリィは、

『食べさせて』

 と、メモに書き、カパッと口を開けた。

「なんかここ最近、基本的に俺がメリィの世話してる気がするわ。まあ、別にいいけどよ」

 チラチラとロイの手元を見つめて待ち遠し擦るメリィの姿に苦笑いが浮かぶ。

 それから野菜を一つずつ食べさせてやり、結局、自分の分を全てくれてやると嬉しくて仕方がなくなったメリィがロイにモフッと抱きついた。

 ムギューッと胸に顔を押し付けて、尻尾を器用にロイの太ももへ巻き付けるメリィはご機嫌だ。

『ロイが食べさせてくれたのが一番おいしかった。ありがとう。今度は私がロイに美味しい朝食を作る』

 メモを見せるメリィは完全なる無表情でありながらどこか誇らしげだ。

 それから籠を抱え直すと、ゆったり尻尾を振って家の中に入っていった。


 トントンと野菜を切る音やクツクツと鍋を煮込む音、ベーコンを焼く音。

 台所の中は様々な調理音で溢れている。

 心地よい音や食欲をそそる香りに包まれつつ、ロイは淡々と料理を進めるメリィの後ろ姿を眺めた。

『相変わらず手際いいな』

 ロイは基本的に自炊ができる。

 自分で料理を作り、食べることも好きである。

 ただ、誰かに作ってもらったご飯というものは自炊経験があるからこそ有り難く感じるし、自分のために料理をしてくれるメリィを見るのが何となく好きだったので、最近はよく台所に入っていた。

 メリィもロイの近くにいることが好きなので特に咎めたりはしない。

 普段はメリィをたまに眺めながら読書をしたりしているのだが、今日は本を持っていないので漫然と彼女を眺め続ける。

 すると、スープ鍋をかきまぜていた彼女が小皿を持ったまま急にロイの方へ振り返った。

 それからテコテコと歩いてくると、スッと小皿を差し出す。

 中には透明な油の浮いた鶏ベースの野菜スープが少量入っていた。

 要するにメリィは味見してくれと言いたいらしい。

「ありがとう」

 小皿を受け取ったロイが優しい味付けのスープをコクリと飲み込む。

「美味いよ」

 ロイの感想にメリィはコクリと頷くと、それから軽く片手を振り、小瓶の中身を振りかけるような動作をする。

「まあ、俺は味が濃いの好きだから、確かにもう少し塩辛いと嬉しいかな。でも、別にそれは各々で調整できるから気にしなくてもいいぞ」

 ロイの言葉にメリィはもう一度コクリと頷いて小皿を回収し、それから鍋の前に戻っていった。

 味の強弱にそこまで頓着がないメリィだ。

 どっちでもいいならロイの方に合わせてやろうと塩コショウを鍋に振り入れる。

 それを眺めるロイは何だか胸の奥が温かくなって、料理の完成が先程よりも待ち遠しくなった。

 完成後は運ぶのを手伝い、リビングのテーブルにトマトとキュウリのサラダやBLTサンド、スープや目玉焼きを並べる。

「朝から豪華だな」

 トーストとスープなどで済ませる普段の朝食と違い、今回は品目も多いので大きなテーブルのほとんどが料理で埋もれた。

 ロイが圧倒されて眩しそうに目を細めると、メリィが誇らしげにエプロンを脱いで席に着く。

 二人で両手を合わせると早速、食事に入った。

 単体で食べても美味しかった野菜を料理上手なメリィが調理したのだ。

 いずれの料理も美味しくないわけがない。

 メリィは我ながら上手に作ることができたと自画自賛し、夢中で料理を食べていたのだが、不意にスープを飲みながらロイの様子を確認し、体に稲妻が走ったような衝撃を受けた。

 いつもの癖で何となく焼いていた目玉焼きをロイがサンドイッチの中に追加で挟み込んでいたのだ。

 ピンと耳と尻尾を立てたメリィの視線に気がつき、ロイが、

「どうした?」

 と首を傾げる。

 それからロイは、

『天才だ』

 というメリィのメモ書きと、自分の真似をしてサンドイッチに目玉焼きを挟み込む彼女の姿を見て、

「だろ?」

 と、得意げに笑った。

 いつもよりも豪華でのんびりとした朝食の時間が過ぎてゆく。

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