かき乱す悪魔
例の騒動から約一週間後。
エレメールに軽くボコられてしまったロイだが、傷自体は浅く骨折も悪化しなかったため、軽い処置で怪我はほとんど治り、前のような平穏な日々を送っていた。
そんな穏やかな昼下がりのリビングではエレメールが堂々と真ん中に居座り、長テーブルに陣取っている。
どうやらエレメール、メリィとの仲直りも兼ねて遊びに来たらしい。
ロイは、どの面下げて! と怒り心頭だったのだが、対するエレメールは平然としていて、彼にお茶まで用意させようとする始末だった。
まあ、高慢に命令した瞬間にメリィに叱られてしまい、追い出されかけて必死にロイへ謝る羽目となったが。
下等と見下していた人間にペコペコと謝罪する羽目になり、彼女のメンタルは瀕死の重体へと追い込まれている。
「あーあ、何でメリィちゃんがこんな男を好きなのか、全く分かんなーい。マーキングもされちゃったから、手も出せなくてつまんなーい」
魔族の中では貴族的なポジションにあたり、高位の魔族となるため多少の違反は黙認されることの多いエレメールだが、マーキングへの違反は流石に厳罰となる。
一度メリィに派手に叱られて頭も冷えているし、あらゆる意味でペナルティが大きすぎるため再びロイを襲うつもりはないが、現状がどうにも不愉快だ。
椅子の上で胡坐をかいたエレメールはメリィお手製のクッキーをバリバリと狂暴な歯でかじり、ゴフゴフと紅茶を飲み干すと、つまらなさそうに頬杖をついて目の前のロイを睨んだ。
せっかく上等な衣服を着て綺麗に身だしなみを整えているというのに、品も何もあったものではない。
「お前、喋れたんだな」
魔族は基本的に人間の言葉を解さないというのがロイ側の認識だ。
おまけにエレメールが人間の言葉を放したのは今回が初めてで、これまではずっと魔族の言葉しか使っていなかった。
色々とツッコミどころの多いエレメールだが、ロイとしては彼女の使用する言語が最も気になる。
そのためロイはつい、ツッコミがちな独り言を溢した。
ロイの言葉を受け取ったエレメールが真っ赤にネイルされた鋭利な爪を眺めながらチラリと彼の顔を盗み見る。
「まあね。だって、人間の最期の言葉、聞きたいでしょう。でも、言語すら通じない化け物に蹂躙される人間も見たいのよ。だから普段は魔族語でしか話さないの。本当は人間の言語はほとんど習得しているわ」
努力や熟考が苦手で飽き性のエレメールだが、人間を貶めることが関われば、それも例外になるらしい。
彼女は魔族として与えられた莫大な時間を使って自身の活動範囲内にある人間の言語をほとんど全て習得し、最低でも聞き取れるようにしていた。
特に汚いスラングを覚えるのが好きなようで、暴言を吐いて死にゆく人間に全く同じ暴言を吐き返して煽るのが大好きなようだ。
彼女が言うには、言語が通じた瞬間のギョッとした表情と得体の知れなさに恐怖して震えあがる姿が堪らないらしい。
残虐かつ冷酷で無駄に知能の高い魔族のお手本のような行動だが、昨今、ここまでする魔族はエレメールくらいである。
そのため、彼女は同族の中でも色んな意味で一目置かれていた。
「屑だな」
ロイが短く吐き捨てると、彼の膝によじ登ってキュッと抱き着き、強制的にお姫様抱っこの姿勢をとっていたメリィがコテンと首を傾げた。
視線の先はロイではなくエレメールだ。
『何の話?』
「——————、———(人間の言葉の話よ、メリィちゃん)」
メリィからのテレパシーに魔族の言葉で返してやれば、エレメールの視線や声の雰囲気から二人が会話していることを察したロイがギョッと目を丸くした。
「お前、そいつと喋れんの?」
「ちょっと、この子は私のかわいい妹、メリィちゃんよ! 不躾に呼ばないで」
「だって、名前知ったの今だし」
ロイが苦笑いを浮かべると、初めはポコポコと怒っていたエレメールがそのまま呆れた表情になった。
「全く、私なんかよりもメリィちゃんの近くにいられるくせに、そんなことも知らないの? 私のかわいい妹、メリィちゃんはねぇ……」
メリィを語るための唇は忙しなく開閉してやまない。
クルクルと回転数を上げる舌が利かれてもいないメリィの情報、事情なんかをペラペラと羅列し始めた。
多少、妹補正が入っており、随分とメリィを美化して聖女のように語る箇所もあったがエレメールの話した内容は概ね事実通りである。
大好きな妹の話をしていると機嫌が直ってしまうようで不機嫌だった表情をパッと明るくし、頬を真っ赤に火照らせて大興奮している。
しまいには、
「メリィちゃんはロイ君なんかを随分と気に入っているみたいだからね! 姉妹喧嘩なんて、もう何年もしていなかったのに、あんなにムキになっちゃってさ! メリィちゃんはロイ君なんかが大好きなんですってさ!!」
と、テーブルをバシバシ叩きながら嫉妬に悶えてロイを睨みつけていた。
壊すとメリィに叱られているためエレメールなりに力加減をしているようだが、それでもテーブルは固く鋭い音を立てながらギシギシと軋んでいる。
エレメールの勢いに随分と圧倒されていたロイだが、メリィに捕まっている身としては彼女の人間に対する考え方や態度、それに自分への認識が重要になってくる。
一通り話を聞き続け、ようやくメリィが自分に対して無害な存在であることを知るとホッと安心し、
「ふーん、じゃあ、メリィは人間を食えねえのか。でも、人間をペットにしてる辺りはさすが魔族様って感じだわ。大好きっつても、ペット扱いじゃ気分よくねぇしな」
と、軽口を叩いた。
ハッと鼻で笑えばエレメールがムッと唇を尖らせる。
「何よ、可愛くない言い方! メリィちゃんも、何でこんなやつを可愛がっているのかしら。なんか、ず~っとギュ~って抱っこしてるし」
「これに関しては俺も謎だよ。なんか、ここ数日ずっとなんだよな」
エレメール騒動以降、メリィはあまりロイから目を放さないように日々を過ごし、隙あらば後ろから抱き着いたり、手を繋いだりしてスキンシップをとりたがっていた。
ロイが暑いからと嫌がれば、メリィの方がさらに嫌々と首を振って余計に抱き着いてくる始末だ。
特に就寝時には勢いが凄まじく、寝付けなくなるほど体温が上昇してもロイを放さないほどの執着を見せている。
ロイは何度、汗だくの身体に虚無の瞳で朝日を眺めたことか知らない。
お昼寝中にも見張られ、もとい見守られ、隣に潜り込まれるので軽くストレスである。
三時のおやつにアイスをもらえなければキレているところだ。
「それは、私がアンタを殺しかけたからよ! メリィちゃんは大切なロイ君がいなくなるのが怖いの!」
諸悪の根源であるエレメールが両手に腰を当て、大威張りで偉そうに語る。
ロイはケッと目を逸らした。
「大切って、しょせんペットのくせによ」
「何よ、その言い方! 大体……」
メリィにとってロイはペットではない。
そう言いかけて、ふと気が付いた。
ロイが口にする「ペット」という言葉に、やけに拗ねたような響きが混ざっており、人間扱いされないことに対する不満以上の複雑な感情が入り込んでいることを。
『もしかしてコイツ、メリィちゃんに気があるんじゃないの? メリィちゃん、無口で無表情で不愛想だけど身内には甘々だし、優しくてかわいいから好きになっちゃったんじゃないの?』
正確には、なりかけといったところだろうか。
いつ自分を害するとも知れない恐ろしい化け物が実はただの変わり者だったと知って、ようやくロイはまともにメリィ自身を見られるようになったのだ。
以前までは恐怖におされて認識できていなかった彼女の魅力が少しずつロイの中に入り込み始めている。
ロイは話をしている間にもメリィをチラチラと眺めたり、ムニンと胸や柔らかい体を押し付けられて少し顔を赤らめたりしていた。
今も会話から置いてきぼりにされてつまらなくなったメリィに頬をムニムニと弄られ、摘まみ返している。
更に仕返し! とばかりに両手でモチャモチャとロイの髪をかき乱すメリィは、表情にこそ出ていないがテンションをブチ上げており、尻尾と耳を引き千切れんばかりにブンブンと振っている。
『何よ、イチャイチャしちゃってさ。私のメリィちゃんが、あんな下等な生き物に恋するなんて屈辱だわ。汚されちゃう! 私の純真無垢なメリィちゃんが汚されちゃう! こうなったら邪魔一択でしょ。目が覚めればメリィちゃんだって下等生物に寿命を分けてあげる必要がなくなるし、ロイ君は悔しがって落ち込むだろうし』
二人が仲良くすればするほど、エレメールのイライラと嫉妬が増すばかりだ。
特にロイを恨みがましく睨むばかりだったエレメールだが、得意の嫌がらせという分野になると途端に瞳をきらめかせ、にんまりと仄暗い笑みを浮かべた。
「そうよ! ロイ君の言う通り、メリィちゃんは人間をペットにするのが趣味な博愛主義者なの! 身寄りのない子供や怪我人を拾って、大切に育てるのよ! 責任感があるから、ちゃんと死ぬまで見守るんだからね! ロイ君ごときがメリィちゃんのペットになれたこと、光栄に思いなさい!!」
片手を腰に当て、グッと胸を張ってロイを指差し、宣言する。
趣味も何も、メリィはペットを飼ったことがないし、ロイが初めてまともに関わり合った人間なのだが。
だが、自信満々に語れば虚実も真実に見える。
エレメールは嘘を吐くこと自体が得意なわけでもないが、ドヤッと胸を張れば、元々自分がペット扱いされていることを確信していたロイがアッサリと頷く。
「確かに、メリィは動物を飼い慣れてる感じするもんな。まあ、生き物によっては居心地いいんじゃねぇの? アイツの近く。けど、人間をペット扱いしてる時点で俺から見れば最悪だよ。つーか、ふーん、一応最期まで面倒はみるんだ」
「何よ? 看取ってほしいの? 図々しいわね」
「いや、俺は別に。すぐにでも出ていく予定だし……ちなみに、メリィが飼ってきた人間の中に男っていんの?」
「ふ~ん」や「へ~」を多用し、
「あくまでも俺は興味ないけどね? まあ、世間話だし? 一応、話を聞いとくみたいな?」
と、スカした雰囲気を醸し出すロイは、あくまでも仕方がなくという体で情報を聞き出している。
こんなもの、メリィのペット歴に興味がありますよと声を大にして言っているようなものだ。
分かりやすくつられるロイにエレメールの唇がニタリと弧を描いた。
「いたわよ。それも、とびっきり可愛い男がね。格好良い男もいたかな~、爽やかな感じの美男子とか、クール系とか? どれも可愛い、可愛いって溺愛してたわよ~」
揶揄い笑いを浮かべながらチラリとロイの表情を確認すれば、彼は眉間に皺をよせ、なんとも言えない複雑そうな顔をしている。
「そいつらにもマーキングしたのかよ」
マーキングは定期的にかけ直さなければ効果が薄れてしまうし、既にした分についても、欲望のままに無理矢理スケベな事をしたと誤解され、嫌われてしまうことだけは絶対に避けたい。
メリィからの要望もあって、エレメールは先ほどの捲し立てタイムにマーキングの説明を紛れ込ませていたのだが、思いの外、ロイはキチンと聞いていたらしい。
問いかけるロイの表情は相変わらず苦々しかった。
それに気を良くして、さらに傷つけてやろうと舌なめずりするエレメールは正に悪魔だ。
「あったりまえじゃない。大事なペットが殺されちゃ堪んないもの。メリィちゃんは首輪をかけるくらいのつもりでしてたでしょうけど、魔族と人間の差も分からない低俗で下等なオスごときが、美人で神々しくて神聖で無垢なメリィちゃんを前に黙ってられるわけないじゃない? 股間の尻尾おったてて、ハァハァ欲情しながら抱き着いてたわよ~。メリィちゃんは呑気に頭撫でてたけど、それをいいことに、ねぇ?」
話題や言葉選びもそうだが、ケキャケキャと怪鳥のような笑い声を立てる姿は酷く汚らわしくて下品だ。
瞳の奥ではヘドロのようにヌチャヌチャとした悪意をかきまぜてジッとロイを捕え続ける。
いっそ吐き気を催すようなエレメールの底意地の悪さにロイが小さく舌打ちをした。
「随分と露骨な下ネタだな。きったねぇ……アイツ、ペットと同じベッドで寝るんだぞ」
「そりゃあ、可愛いペットとは一緒に寝たいもんね。まあ、多少のおいたなら許したんじゃない? メリィちゃん、人間が大好きで優しいから絶対に傷つけたりしないし。それに、そういう管理も飼い主の責任でしょ? ほら、メリィちゃん責任感すごいからさ。ベッドでマーキングした時なんか、凄かったんじゃない?」
「俺には、そういう管理みたいなこと、してこねーんだけど」
「なぁに? して欲しいの? 人間の分際で?」
「ちげーよ、ちげーけど」
イライラと言葉を吐き出しながらガサツに髪を掻きむしる。
騙されやすく頭に血が上りやすいロイだ。
考えていることが顔や態度にも出やすい。
エレメールは見るからに苛立ったり不快がったりするロイを煽り、上から目線で見物するのが楽しくて堪らないのだろう。
自分に怨恨の視線を向けたまま、押し黙り、それから無意識にメリィを抱く力を強めるロイの姿を見ているとエレメールの気分が最高潮になった。
「ま、あんまり好みじゃなかったんでしょ。ロイ君がさ。たまには変わり種に田舎者のバカそうな若者を飼おうかな~って思ったら、想像よりもぜんぜん可愛くないなかったなって。メリィちゃん、ロイ君みたいに懐かない獣じゃなくて、お人形さんに大はじゃぎしちゃうみたいな可愛い男が趣味だからさ。抱っこ~! ぎゅーして、メリィ様~みたいな。ほら、やってみたら? ちゅーして可愛がってください、だいちゅきです、メリィ様~ってさぁ」
「誰がするか! そんなこと!!」
大袈裟な身振り手振りと汚らしい目つきでとことんまで馬鹿にされ、とうとうロイがドンと音を立ててテーブルを叩いた。
ツヤツヤのお肌でケキャケキャと嬉しそうな笑い声を上げて猿のように手を叩くエレメールと、目つきを針のように鋭くし、血管をグラグラと煮立たせているロイのせいで室温が爆上がりしている。
二人の影響を受けてメリィまでじっとりと汗をかき、少し上せそうになった。
異様に怒っているロイと異常に悦んでいるエレメールの様子が気になり、メリィはキョトンとした表情で交互に彼らの顔を見る。
『エレメール、なんかロイが怒ってるんだけど、変なこと言った?』
『言ってないよ~。ちょっと世間話しただけ。人間の男って沸点が分からなくて嫌ね』
両手を広げ、いけしゃあしゃあとした様子で誤魔化すエレメールだが、そんな彼女を見つめるメリィの視線は厳しい。
『よく分からないけど、エレメールが悪い事した気がする。ロイに謝って』
『嫌よ。悪い事なんてしてないもん』
たっぷりと嘘を垂れ流し、ロイを揶揄いまくるついでにメリィの名誉もシレッと毀損して他人の恋路を邪魔したわけだが、流石エレメール、引いてしまうほどにふてぶてしい。
いや、むしろここまで肝が太くなければ、悪魔と評されるほどの残酷な仕打ちなど、例え人間が相手であってもできないのかもしれない。
腕を組んでツンと顔を背け、完全に「私悪くないもん!」の状態に入ったエレメールだが、よく見ると彼女の瞳がわずかに動いていた。
『エレメールは嘘つく時、目が泳ぐ。口はペラペラだけど、目が一瞬泳ぐ。さっきから、ずっとそう。ロイに何の嘘を教えたの? 言わないと、折檻するよ』
こっそりと魔法を発動させ、テーブルの下で作っていたナイフをチャキッと構えれば、エレメールがギョッと目を丸くして立ち上がった。
『わぁ! ちょっと待って!? 折檻は酷いってば!』
逃げることを見越してメリィはエレメールの足元に影で作ったスライムを忍ばせていたのだが、異様に身体能力の高い彼女は捕まる瞬間に勘を利かせて床を蹴飛ばし、後ろに飛び退いた。
ヒラリと粘着質な物体を回避し、鮮やかに逃走し始めたエレメールをメリィがナイフ片手に追いかける。
だが、ヒュッと後ろからナイフを飛ばしてもエレメールの柔肌に突き刺さることは無く、代わりに哀れな家具や床、壁などが負傷する。
『エレメール、避けないで。傷つく家が可哀想』
『私は可哀想じゃないの!? 絶対に嫌よ! メリィちゃんのナイフは痛いんだもん! 前の傷も、治すのに丸二日かかったんだからね!』
メリィのナイフを計十本、綺麗にかわして玄関の前まで辿り着くと、
『お姉ちゃんは二人のことなんか絶対に認めないんだから! や~い! メリィちゃんとロイ君のお馬鹿ぁ~!!』
と幼稚な捨て台詞を吐いてドアを蹴破り、自慢の翼で飛行して逃げて行った。
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