ドキドキ混浴
少し前までのメリィにとって、最も恐ろしい事はロイに嫌われてしまうことだった。
しかし、ロイに脱走されかけた挙句、エレメールの余計なちょっかいで彼が殺されかけたことにより、メリィにとっての「一番怖いこと」が変更された。
今の彼女にとって、最も怖いことはロイが目の前からいなくなることだ。
手の届く範囲にいるのならば、多少嫌われたりしてしまっても誤解を解くなり埋め合わせをするなりして良好な関係を再構築することができるかもしれない。
しかし、目の前にいないどころか自分とは別の世界に旅立たれてしまったら、それすらままならなくなるのだ。
メリィが設置した獣除けや彼女自身が放つ魔族の匂い、気配を嫌がって家の周辺には獰猛な野生動物が頻出しないが、家から数メートルも離れれば新鮮な肉が大好きな野犬、狼、熊が嬉しそうに舌なめずりをして木々の間から飛び出す。
エレメールに襲われたせいで彼女の魔獣以外に森の危険生物を認知できず、挙句気絶中に運ばれ認識を改める間もないまま家まで届けられたロイは知る由も無いが、現状、メリィの家が最も安全な場所なのだ。
再び脱走されることも辛いが、それよりも無知ゆえに無謀にも夜の危険蔓延る森に挑まれることが恐ろしすぎる。
そして、その恐怖が一番膨れ上がるのがメリィの目が行き届かなくなる就寝時と入浴の時間だった。
『本には、監視すると逃げたくなるって書いてあった。だから、監禁はしない。あんまりストレスを与えたくないから、ちょっとずつ、見ないようにする。でも、お風呂の時は、やっぱり不安だ』
出来るだけ入浴時間を短くするようにしているが、髪や狼耳、尻尾、モチ艶お肌など入念にケアをするべき場所が多いメリィではどうしても時間がかかってしまうし、適当な入り方をしてロイに、
「コイツくせぇな」
などと思われたりしたくない。
恋する乙女のメリィとしてはギュムッと抱き着いて一緒に眠る以上、良い匂いのする可愛い女の子でいたい。
モフモフふわふわの撫でがいがある毛並みを誇っていたいのだ。
風呂は最近のメリィにとって大きな課題である。
しかも、今夜に限ってはエレメールが何かよろしくないことをロイに吹き込んでいたようなので、余計に不安が増していた。
『エレメール、一体ロイに何を言ったんだろう。私が人間を飼って食べる魔族だって、言ったのかな? どうしよう。そんなこと言われてたら、絶対にロイが逃げちゃう。ロイは私の宝物なのに、そんなの嫌。私のだもん。ロイは、私のだもん』
無表情な目尻にジワッと涙が浮かび、慌ててそれを手の甲で拭う。
『今日は、お風呂に入らないで寝ちゃおうかな。でも、日中に暑くてたくさん汗かいたし、それに、何日もお風呂に入らないわけにはいかない』
ソファに背をもたれさせて読書中のロイに抱きつきつつ、入浴の在り方について熟考していたメリィなのだが、思案すればするほど無意識に抱き着く力がこもる。
ギュッと抱きしめられていた感覚がギュムム……といった強い圧力に変わると、ロイがメリィの頭を軽くポフッと押し、抱き着き加減を改めさせた。
随分と手慣れたものである。
メリィの方もロイの合図で自然に抱き着く力を弱めると、そのまま思考を煮詰まらせた。
しかし、何の答えも出ないまま時間が過ぎ去ってしまう。
その間にロイが本を読み進め、全体の約半分程度に到達すると大きな口を開けて欠伸をし、軽く背筋を伸ばす。
それから、メリィの頭をポフ、ポフ、ポフと三回ほど軽く押した。
これは「退いてくれ」の合図であり、時間帯等からより詳しく考察すると、
「風呂に行く」
という意味になる。
『そんな時間か。行ってらっしゃい』
いつも通りロイを一時的に解放しようと彼から降りかけたところで、メリィの脳にヒラメキが宿った。
『そういえば、人間って混浴の文化がなかったっけ?』
メリィのバイブルである対人間用の恋愛指南書に載っていたコラムを思い出す。
確かに人間には混浴の文化がある。
しかし、正確には混浴の文化がある地域が存在するだけ、ロイの故郷に混浴文化はない。
また、元から混浴がある地域でも廃れてきている文化であるし、そこでも妙齢の男女が一緒に入ることは基本的にない。
だが、コラムにはそういった実情は特に載っておらず、あたかも人間の全てが混浴をするかの勢いで書かれていた。
「これで安心! 対人間用ラブラブ恋愛術! 脅さず、怯えさせずに心を手に入れる方法!!」は罪深い。
『ロイと一緒に入ろうかな。ロイとなら、お風呂ももっと楽しくなるし、逃げ出される心配をしなくても良いし。それに、ロイの身体みたいし、ロイがお風呂でのんびりしてるとこ眺めたいし。あと、髪と体も洗いたいし、隙あらば触りたい。ロイのモチモチお肌、大好き。タンクトップ越しじゃなくて、直接モチモチしてから、ほっぺをスリスリしたい』
無表情の内側でふへへ……とイヤらしい笑みを溢す。
すました顔のメリィだが彼女は結構なスケベさんである。
欲望に忠実に、ロイと一緒にお風呂に入っちゃおうかな? と迷う彼女だったが、同時に脳の片隅が警鐘を鳴らしていた。
『でも、なんか、混浴はエッチすぎる気がする。お母さんが本を鵜呑みにしちゃ駄目って言ってたし、コレがそうな気もする』
珍しく、普段はポンコツなメリィの勘がさえている。
できれば一緒に入りたい。
だが、どう考えても混浴は性的な行為に準ずる気がする。
しばし考え込んだメリィの導き出した答えは、
「水着を着用した上で一緒に風呂に入る」
だった。
『ロイとそのうち海水浴に行こうと思って送ってもらった海パンがあるし、私も水着を持ってる。水着を着て入るならエッチすぎないし、大丈夫な気がする。あと、ロイの雄っぱいも合法的に眺められるし、モチモチできる』
最適解を導き出せたことに興奮が止まない。
メリィはずっと膝から降りずにとどまっていたせいで困惑させていたロイからピョイッと飛び降りると、ガサゴソと衣装棚を漁り、黒い半ズボン型の海パンと真っ白いビキニを取り出した。
『一応、男の人も雄っぱいは隠した方が良いんだろうか』
念のため、水着用のパーカーも用意しておく。
それから手を繋いで、一緒に行くぞと風呂場まで誘導を始めた。
急なメリィの奇行に面食らっていたロイだったが、彼女の持ち物や行く先で事情を察知ったらしい彼が慌てて立ち止まり、ブンブンと首を振った。
『ロイ、嫌なのかな』
グイグイと引っ張るメリィに抵抗し、ブンブンと首を振るロイの姿を見ていれば彼女の方だって察するものがある。
しかし、主に自分のために、譲れぬ戦いというものがあるのだ。
『大丈夫。スケベし過ぎないように気を付けるから』
譲れない。
ロイの胸を眺めて隙あらば抱きつけるチャンスを逃すことはできない。
『雄っぱい……』
目的が途中から脱走防止ではなくロイの胸へ変更されているメリィだが、もちろん彼女はそんなことには気がついていない。
とにかく頭の中は一緒に入浴することと彼の胸筋でいっぱいだ。
「おいメリィ、流石に問題があるって! おい! なあ!!」
真っ赤な顔で慌てふためくロイを無言で脱衣所まで引きずって行き、着替え終わったらノックするように指示をすると廊下で待機をする。
これに対し、強制的に脱衣所へ閉じ込められたロイは渡された水着を握り締めて、
「水着きてればセーフ、なのか? 本当に?」
と小さく呟き、それから、仕方がないなとため息を吐いて着替えを始めた。
ロイの右腕は未だに負傷しているが、左腕だけでの生活にもだいぶ慣れたようで器用に着替えを行っていく。
あっという間に水着姿になったロイがコンコンとドアをノックすると、メリィが耳をピンと立てたまま勢いよくドアを開けた。
脱衣所の中では渡された海パンを身に着け、軽くパーカーを羽織ったロイが苦笑いで突っ立っている。
『……エッチだ』
主にはだけた白い胸筋を見て感動する。
ガッシリとした腰つきや、なだらかなようでデコボコとした腰回りの線。
力強い腕にシッカリと床に下ろされた両足が雄々しい。
ポーッと見蕩れたままのメリィが唐突に着替えを始めると、ロイは大慌てで風呂場の中に逃げ込んだ。
『あ、ロイが逃げた。でも、着替え見られるの、ちょっと恥ずかしかったから丁度いいや』
ロイが逃げてからようやく自分が服を脱ぎかけていたのだと気がついたメリィが少し遅れて頬を赤らめる。
それからモソモソと着替え始めた。
一方、メリィよりも一足先に浴室に入って椅子に腰を下ろすロイはドア越しに衣擦れの音を聞き、ぼやけたシルエットから目を逸らしながら悶々としている。
『なんなんだよ、アイツ! 急に風呂に入れるとか! ペットだからか!? ペットだから俺を風呂に入れようとしてんのか!? でも、怪我してた時も補助しただけで入浴までは一緒じゃなかっただろ。 なんで急に!?』
パニクってグラグラと煮えたぎりながら高速に回転する脳内にエレメールが溢した「メリィは可愛いもの好き」という、非常にどうでもいい情報がよぎる。
『もしかして、今日は少しだけ愛想よくしてたからか!? でも、そんなんで急に世話増やすとか。でも、まあ、俺、甘いもの好きだし。顔と体は……別に可愛くねえけど、可愛いもの好きだし。前に貰ったクマのぬいぐるみ、気に入ってねえこともねーし。まるっきり可愛くないわけじゃ……何考えてんだ、気持ちわりぃ! 大体、アイツに好かれようと嫌われようと、どうでもいいだろ!』
ガシガシと髪をかき乱しながら頭を振る。
それから桶に張った水を思いっきり被って激しくクシャミした。
そうすると急速に頭が冷えたのだが、いっそ冷静になりすぎて一連の行動を振り返り「俺は一体何を……?」と自分自身にドン引きしてしまう。
二の腕に鳥肌を立たせて小刻みに震えていると、メリィがカチャリと音を立ててドアを開けて浴室に入ってきた。
元から大きいと分かっていたメリィの胸だが、真っ白なビキニを着ることでさらに強調されており、おまけに固定の緩くなった衣類のせいで動くたびにバルンと揺れる。
真っ白い肌はビキニを着ても浮いてしまわないほど透き通っており、ヒタヒタとタイルの上を歩く姿が何だか艶めかしい。
肩や腰回り、肉好きの良い太ももやふくらはぎなど女性的で滑らかな曲線をしているのにも関わらず、少し節くれだった小さな手首やくるぶしにはドキッと胸を鳴らされた。
また、プリンと跳ね上がった小さな尻には大きな狼の尻尾が被さっていて、太ももの奥でユラユラと揺れている。
『意外と尻尾ってデカいんだな』
普段はワンピースやスカートの影に隠れて見えにくくなっている尻尾がハッキリと見え、その大きさとモフモフさにロイは目を丸くしていた。
尻尾を観察したり、メリィの身体を眺めて見惚れたりしていると、不意に彼女と目が合ってしまう。
ロイは何だか気恥ずかしくなってスッと目を逸らした。
『どうしたらいいんだ、俺……自分で体洗った方が良いのか? それとも、ペットらしくメリィのアクションを待ってジッとしているべきなのか?』
困ったままソワソワと体を動かしながらも特に自分で体を洗ったりはしないロイを見て、メリィは「洗われ待ちの状態なんだ!」と解釈をする。
『洗う!』
フンフンと鼻息を荒くしてやる気を出し、石鹸類が入った籠を自分の方へ引き寄せた。
それから頭皮マッサージ付きでロイの髪を洗い、体もモコモコに泡立てた石鹸と柔らかい生地のウォッシュタオルで優しく洗っていく。
『包帯にはあんまり泡とかお湯がくっつかないように……人間の体は柔いから、ゴシゴシしないように……』
メリィは真剣な瞳にキュッと唇の端を結んだ無表情でロイの身体を優しく洗っていくのだが、無意識にユラユラと揺れる尻尾が時折、フサフサと彼の肌をなぞる。
くすぐられているのもそうだが、メリィの真剣な表情と尻尾で掬われた泡がベチッベチッと音を立てて壁にぶつかる姿がやけにシュールで、ロイは「ふふ」と笑いを溢した。
突然の笑い声に驚いたメリィがキョトンとした表情で顔を上げてロイの顔を覗いたのだが、今度はその鼻先に真っ白い泡がくっついているのを見ると余計に笑いが込み上げて、彼はクツクツと喉の奥を鳴らした。
『ロイ、ご機嫌だ。体洗ってもらうの、気持ち良いのかな?』
肩や頬にも泡をくっつけたままのメリィがコテンと首を傾げると、それからロイにくっついた泡を桶に入った温水で流す。
そして、浴槽に入るよう指示をして今度は自分が椅子に座った。
ところで浴槽に張られた湯はかなりぬるく、水風呂に近い。
熱くてとても風呂に入る気にはなれないが水には浸かりたいという思いから生み出された絶妙な温度の風呂だ。
疲れた体にゆったりとした温水が染みるようでロイはゆっくりと目を閉じ、リラックスしている。
見てみたかった光景に隣のメリィが目を細め、それから自分の体を洗い始めた。
『水着の難点。体が洗いにくい。自分も、ロイも。今後もロイと一緒に入るのは難しいか。仕方がない。お風呂の時間を短縮できるように頑張ろう』
柔らかいタオルで全身を撫で洗いしながら、メリィが口を尖らせる。
それから泡だらけになった自分の体を水で豪快に流したのだが、すっかり全身が濡れてしまったメリィは一瞬の間をおいて、バチバチバチバチ! と大きな音を立てながら耳と尻尾をダイナックに震わせ、毛に付着した水を弾け飛ばした。
おかげで少し前にはほっそり、しっとりとしていた耳と尻尾が中途半端にけば立ち、何だか雨に降られた野犬のような野性的な姿になっている。
しかし、それからもキュッ、キュッと耳や尻尾を絞って水気をとるメリィは満足そうだ。
まるでこのまま上がってしまうかのような仕草だが、メリィは意外にも浴槽に足をかけるとトプンとぬるま湯に入り込んだ。
『風呂に入るなら水を飛ばした意味ないだろ』
ロイが水と一緒に弾き飛ばされてきた細い毛を頬から引き剥がしつつ苦笑いを浮かべる。
全くもってロイのツッコミ通りなのだが、耳と尻尾を振るのは毛が濡れてしまった時のメリィの習慣になっていて、ほとんど毎回、実行していた。
呑気にメリィを眺めて半笑いになっていたロイだが、彼女がポスンと自分の太ももに乗っかってくるとツッコミを飛ばす余裕などなくなってしまう。
ギョッと目を丸くして身を引き、浴室の壁に頭を、浴槽の縁に左腕をぶつけてしまった。
だが、痛みよりも何よりも、気になるのは水の中で密着したメリィの体のことだ。
『なんでだよ! 狭いからか!? 狭いから乗っかったのか!? もう、俺が上がるまで待ってろよ! というか、そもそも一緒に入るってのが無茶だったんだよ!! 無駄にモチモチしてるし、洗ったばっかだからやけに良い匂いがするし、肌が生温かくて、柔らかくて……!!』
焦るとパニクったまま脳内で多弁になるのがロイだ。
ビシリと固まったままの肉体とは対照的に脳が目まぐるしく動いて発熱し始める。
脱衣所に来て以来、爆発的に熱を持ったり急速に冷えたりと忙しないことだ。
おまけにロイの方を振り返ったメリィに対し、混乱したままニコッと微笑んでしまったのでロイは余計に取り乱して、
『変なタイミングで愛想良くしちまった! あ、いや、でも、けっこう俺の笑顔可愛い、いや、可愛い云々はもういいって! というか、こっち向くなよ!!』
と、更に思考を騒がしくする。
色々と大変なロイに対し、困惑の照れ笑いがデレに映ったメリィの胸にはホクホクとした喜びが込み上げた。
『ロイ、かわいい。ニコニコ笑ってくれて嬉しいな。やっぱり、なんかちょっと懐き始めた気がする。ふふ、抱っこ』
モギューッと抱き着いて柔らかい肢体をロイの体へ纏わりつかせる。
肌と肌が密着すればやけに温かくなるのに、その周辺を流れるぬるま湯はもはや冷水のようにヒンヤリとしている。
『ヒンヤリだけどロイが暖かくて気持ちいい』
メリィはロイの背中に腕を回し、はだけた彼の胸元に頬をくっつけたままうっとりと目を閉じた。
リラックスしきったメリィとは対照的に、ロイは激しい緊張状態になる。
『水風呂に入ってるのに上せそうだよ! このバカ!!』
胸より少し下にピトッと引っ付く水着越しの布やそこからはみ出た肌を意識すれば、確実にロクなことが起こらないだろう。
ロイは意識をメリィの油断した隙だらけな体から他へ移すべく、アワアワと目線を動かした。
すると、視界の端に水中でユラユラとゆっくり波うつ尻尾が入り込んだ。
『コイツの尻尾、常に動いてるんだな。ん? 耳もか?』
チラリと視線を移せば今度はピンと立った耳が時折、忙しなく動いているのが見える。
乾き始めた耳はモフモフを取り戻しつつあり、それがフワフワと揺れていると妙に心が惹かれてしまう。
何となくメリィの頭に手を置くと、それからロイは耳の付け根をモフモフと撫でたり、軽くかいたりし始めた。
実はメリィのような獣に近い姿をしている魔族にとって、耳や尻尾などのデリケートな部分を相手に好き勝手に触らせるのには、
「相手を信頼していますよ」
という意味がある。
また、これに加えて恋人相手であれば、
「貴方の愛を受け入れますよ」
と、相手からの求愛を認めて受け入れ、更に愛情を返すような意味合いもあるし、
「貴方のお好きにどうぞ」
と服従し、心身を明け渡すような、かなり情熱的な意味合いもある。
獣人系の魔族の間では互いに尻尾や耳をモフったりしてイチャつくことが多く、相手が愛情を示すのに手入れをしてくれることも少なくない。
優しく撫でるのもかなりオーソドックスで素直な愛情表現だ。
『好きって言われてるみたい……』
勿論、人間であり魔族に詳しくないロイが自分たちの事情を知っているとはつゆほどにも思わなかったメリィだが、それでも、どうしても、嬉しい事には変わりがない。
ワシワシと頭を撫で続けるロイにメリィは心臓が甘く締め付けられて堪らなくなり、真っ白で冷静な肌の内部が発火するように熱くなり始めた。
『なんか、水が揺れてる?』
ふと違和感を覚えたロイが浴槽を確認すれば、テンションが上がりきったメリィにより高速で振られ続ける大きな尻尾が水面を引っ張り上げて激しく上下させていた。
『排水管の詰まり、ヤバそう……』
浴槽内で水面から毛先を覗かせるほど大袈裟に尻尾を振るものだから、体毛が抜けて湯船に浮いてしまう。
ロイが人知れずメリィ家の排水管に「頑張って耐えろよ!」とエールを送っていると、メリィがグイグイと止まりがちな手のひらに頭を押し付けて、「もっと撫でろ!」と催促し始めた。
手のひらから遠い方の耳なんかはピコピコピコピコ!! と揺れていて、残像を残すばかりだ。
だが、大歓喜しているわりに表情は「無」である。
『これは、間違いなく喜んでいるんだよな? なるほどな。メリィは顔に感情が出てこない代わりに尻尾と耳に出るのか。普段はそんなに気にしてみてなかったから気がつかなかった。それにしても、この耳と尻尾の形、狼なんだよな?』
魔族は人間に極めて近い姿をしている者と、ケモ耳や尻尾が生えた獣じみた見た目をしている者、体がメタリックで生物とは程遠い姿をしている者などがおり、実に多種多様だ。
なお、羽については持っている魔族の方が圧倒的に多いがハーフには受け継がれないことが多く、生粋の魔族でも飛行に使える器官を持っていないこともある。
魔族同士ですら相手を魔物や魔獣と勘違いしてしまうようなこともあるが、それでも種族全体で共通していることは、何らかの形状、大きさの角が頭に生えていることだ。
大きな巻き角もついており、平常時はペタンと耳が垂れ下がったメリィなので羊系と誤解されがちなメリィだが、彼女は明確に狼系の獣人魔族である。
ロイはけっこう犬が好きなので何だかメリィの甘えた態度やケモ耳、尻尾がかわいくなってきてしまい、しばらく撫で続けた。
『ロイ、好き! ロイ、好き! ロイ、好き! もっと、もっと好きって言って!! 撫でて!!』
メリィの方もしばらくロイの胸元で頬を押し付けて体をトロトロと溶かしていた。
風呂から上がり、部屋着に着替えてからもメリィは興奮冷めやらない様子でロイの周りをウロチョロする。
彼女なりにこだわりがあるのか、あるいは髪には求愛の意味がないからか、ゆったりと長い白髪はキチンと乾かしてあるものの、尻尾は未だ濡れたままで、ろくに櫛を通されていない耳もポソポソと細い毛の塊を作っている。
メリィは少し迷ってからブラシと温風を送りつける小型の魔道具を彼に手渡した。
中途半端な姿でロイに何かを訴えかけるメリィは要するに、耳と尻尾を乾かしてブラッシングもしてくれ! と言っているのだ。
珍しく奥の方が輝いて見える青い瞳とほんのり染まった頬、手に持つ道具でメリィの要求を察したロイは苦笑いになった。
『そんなに気に入ったのかよ、仕方がない奴だな。ほら』
脱衣所内にある丸椅子を引いてメリィに座るよう促すと、それから席に座って大人しい彼女の耳と尻尾を丁寧に乾かし始めた。
ところで、動物を洗う時に最も大変なのは水で濡らして石鹸で洗う作業ではない。
本当に大変なのは乾かす作業だ。
入浴後のブラッシングという、獣人系魔族では最大限の求愛行動が受け入れられたメリィは喜びすぎて常に尻尾や耳を動かしており、乾かしにくいし櫛も通しにくい。
おまけに抜け毛が耳の穴に入ったりして違和感を覚えると反射的に身震いをし、水を弾き飛ばすような勢いで小刻みに震わせるので周囲に乾いた抜け毛が散って仕方がない。
ロイは脱衣所付近に常に塵取りと箒がある理由を悟った。
『そういえば家のいたるところに粘着シートがあるし、箒も塵取りもある。そして、毛がくっつきやすそうな布製品が極端に少ない。さてはメリィ、日常的に抜け毛が激しいんだな』
ロイの読み通り、メリィは適切にシャワーを浴び、日に数度ブラッシングしなければ毛をまき散らして歩いたり、モサモサと毛玉を作ってしまうほど抜け毛が多い。
そのため、彼女はどんなに疲れていても入浴などを絶対に怠らないのだ。
『軽はずみに請け負わない方が良かったな。流石に大変だ』
すっかり乾いてフサフサになった尻尾に改めて櫛を通しながら半笑いになっていると、キュッとメリィが上半身を捻ってロイの顔を覗き込む。
それからグイっと頭を胸に押し付けた。
『ロイ、もっと、もっと。そこ、もう少し。もう少し、好きってしてほしい』
指先が耳の付け根に来るよう微調整をしたり、腕にベシッと尻尾を当てたりして何度も催促を続ける。
耳の付け根をかいてもらったり、撫でてもらったり、櫛を通してモフモフとマッサージしてもらえるのが堪らず、メリィは普段はキュッと結んでいる口角をほんの少しだけ持ち上げていた。
鏡越しに嬉しそうな彼女を見つけると、ロイの方も、もう少し構ってあげようかな、という気持ちになってくる。
結局、ロイは眠る直前までの時間をメリィをモフモフするのに使ってしまった。
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