愛玩動物

 拾われた翌日以降もメリィの甲斐甲斐しい世話は続いた。

 着替えや食事の補助など日常生活でのお世話は勿論のこと、ボーッと過ごすのも暇だろうと両親から取り寄せた人間用の本をプレゼントしたり、家周辺の散策へ連れ出したりもしている。

 また、森には野犬や狼などの危険な野生動物が蔓延っていることから、一人で敷地外へ出たり、外出中にメリィの側を離れたりすることはできないが、基本的に家の中ならば自由に移動することも可能だ。

 ベッドなどの一部家具は存在しないがロイ専用の部屋も準備されており、プライベートも保たれている。

 まあ、油断するとメリィが自室に侵入して来てロイの観察を始めるため、「一応」の域を出ないが。

 メリィがやたらとロイを構いたがるのでプライベート面にはそれなりに問題があるが、ロイの警戒とは対照的に穏やかな日々が続いている。

 多少、暇であることや無口かつ無表情であり、妙な威圧感を放つメリィに付きまとわれることを除けば、三食昼寝におやつ付き、労働の無い生活はなかなかに快適だ。

 今もメリィはロイに三時のおやつを食べさせようと台所でスイーツを作っている最中である。

 メリィから与えられる溺愛お世話生活の意図が分からず、ずっと警戒をしながらも理由を探していたロイだが、ここ数日で彼は一つの答えを見出していた。

 それは、

「メリィが自分をペットとみなしており、かつ、懐いたタイミングで虐待の上、惨殺しようと目論んでいる」

 ということである。

『他種族を徹底的に見下してる魔族だからな。人間なんて犬猫どころか豚と混同していてもおかしくねぇ。そうしたら、この甲斐甲斐しい、というか舐め腐った世話にも説明がつく』

 実際、魔族の間では人間をペットとして飼うのが流行っていた時期がある。

 魔族は通行許可証等を所持し、一定の決まり事を守ることができれば普通に人間の町を闊歩することができるのだが、その際、所有している人間を連れてくることも可能だ。

 そのため、一時期、首輪をはめられた人間が魔族に連れられて町へやって来るという事態が頻発した。

 その時点で町はザワついていたのだが、国から懸賞金をかけられていた山賊がフリフリピンクのワンピースを着させられた上、大きなベビーカーに乗せられて町中を連れまわされていた時には周囲に大きな衝撃が走ったものである。

 怖いもの知らずな記者が件の魔族へインタビューを行ったのだが、どうやら飼い主の女性曰く、捕まえるのに非常に苦労したので遊び倒した後に食べるつもりなのだとか。

 また、魔族の間で人間を飼育し、懐いたところで裏切って絶望を与えながら惨殺して食べるのが流行っているとも語っていた。

 人間の飼育本なども出回っているらしい。

 魔族が基本的に出入りをできるのは町中に監視カメラが完備されており、警備が徹底されているような一部の大都市のみだ。

 ロイのように強烈な不運に見舞われてしまう場合は別だが、大抵の人間は魔族に関わらずに生涯を終えることができる。

 おかげで、田舎の人間などは魔族の存在を今一つ信じておらず、おとぎ話の登場人物程度に捉えているくらいだ。

 多少、都会の人間であって魔族が実在することは知っていても、やはり大多数が被害に遭うとは思っていない。

 しかし、例の件はおぞましいニュースとして各地へ広がり、人々に改めて魔族の恐ろしさを伝えるきっかけとなった。

 今のところは一切、危害が加えられていないロイだが、それを油断させるための罠と捉えて絶対にメリィには懐くまいと心を固くしている。

 ベッドで寝転がっていると、不意に視界の隅にクマのぬいぐるみが入り込んだ。

『こんなもんで懐くわけねぇだろうが。俺は幼児か』

 茶色の体毛につぶらな瞳が愛らしい一抱えもあるクマちゃんは、いつまでも懐いてくれないロイに焦ったメリィからのプレゼントである。

 茶色の毛皮と黒目が見事にロイの髪や瞳の色とリンクしており、撫でるとモフモフ、抱き締めるとモチモチ、見た目にはリボンの巻かれた首やモコモコのお腹がふわふわとしていて大変可愛らしい。

 恋愛指南書の「かわいい人間は可愛い物が大好き」という情報に基づいて自信満々に贈った一品だったのだが、全く効果が出なくてメリィは少し落ち込んだ。

 ちなみに、この恋愛指南書をロイは人間飼育本だと誤解しており、メリィが本を読みだすと、より一層警戒を強めている。

『あのロクなことが書いてなさそうな本は手放さねぇし、ペタペタ触ってくるし、やたら一緒に寝たがるし……懐かせたいなら、せめて笑うとかしろよな。いや、別にあからさまに甘やかされてぇわけじゃねぇけど、もう少しやりようがあるだろって話なわけで。俺がニコニコで駆け寄ってくところを串刺しにしたいのか知らねぇけどよ、向いてねぇよ、人間をペットにして嬲るヤツ。だって、アイツと一緒にいても安心感なんか覚えらんねーもん』

 何とかして懐いてもらおうとお世話を繰り返すのだが、内容がズレてしまっているせいで、かえって心理的な距離が大きくなる。

 二人の関係は悪循環に陥っていた。

 手持ちぶさたになったロイがクマのぬいぐるみを弄んでいると、いつの間にか部屋に入って来ていたメリィがポンと彼の肩を叩く。

「うぉっ! き、来てたのか。なんだ?」

 言葉が通じない者どうし、少しでも意思の疎通を図ろうと大袈裟に身振り手振りを使う癖がつき始めている。

 ロイが首を傾げると、メリィが右手でナイフを操作し、左手のフォークで切り分けた何かを食らう動作をした。

 それからドアの外、正確にはリビングの方を指差す。

 これは、メリィなりの食事の合図だ。

 部屋にまで小麦粉とバター、それに砂糖の甘い匂いが漂ってきている。

 ジューという生地を焼くような音も聞こえていたので、今回のおやつはパンケーキだろうか。

 少し前にお昼を食べたばかりのロイだが、食欲を誘う甘い香りに惹かれてグルルとお腹が鳴った。

『パンケーキなら、この前に食べたベリーが乗ってるやつがいいな。自作のベリージャム的なのも美味しかったし……待て待て待て待て! 駄目だ!! 絆されるな!! パンケーキごときで絆されたら駄目に決まってんだろうが!!』

 ほんわかと緩み始めた表情を引き締め、ブンブンと首を振る。

 そうやって湧きあがる食欲と、もう少し飼われてあげてもいいかな? という甘えた考えを吹き飛ばしていると、再度、メリィがロイの肩を叩いた。

 何かを掬い取って器に盛る仕草と、それを食べる仕草をする。

 これだけでジェスチャーの内容をくみ取ることは難しいが、既に何日もメリィと過ごしてきたロイは、コレが「アイスもあるよ」という意味であることを知っていた。

『パンケーキにアイス!? やっぱりベリーのヤツがいいな! アイスもベリーだと嬉しい!!』

 美味しいお菓子につられ、つい瞳が輝いてしまう。

 ロイの出身は田舎だったが、別に普段から甘いものをとれないわけではない。

 農作業の休憩時におやつを食べることも少なくなかった。

 しかし、片田舎のおやつレシピは基本的に素朴な物かフルーツ丸かじりという素材を楽しむスタイルのものが多い。

 それはそれで都会からみれば贅沢なおやつなのだが、やはり今まで食べてこなかった分、手間のかかる洒落たスイーツに惹かれてしまったりするものだ。

 ロイのような甘いもの好きならば特に。

 結局、ロイはパンケーキ欲しさに大人しく食事を続け、食べ終わる頃には反抗心を丸くしていた。

 そう、人間は食欲を満たすことによる安心感と満足感には逆らえないのだ。

『コイツ、胃袋掴むのだけは上手いんだよな……』

 食事の好みが合うのか、メリィが作る料理にはどうにも心惹かれてならない。

 リラックスして椅子にもたれかかっていると、すっかり油断したロイの頭をモフモフとメリィが撫でる。

 この撫でる手つきも絶妙で、何故だか非常に心地が良い。

 他にもロイの身だしなみを整えようと髪に櫛を通したり、体をほぐすのにマッサージをする時の加減も絶妙だ。

『なんか、獣を手懐けるのが上手そうなやつだな。ま、まあ、俺は人間だし、別に懐きはしないけどな』

 フン! と心の中でそっぽを向くと、今度はロイがメリィの肩を叩く。

 それから物言いたげに顔を覗き込んできた。

『なんだ? 移動でもするのか? 仕方ねぇな』

 ロイは少し恥ずかしそうに目を背けるとメリィの背中を指差し、バッと左腕を広げた。

 一連の動作で「おんぶしてくれ」という意味になる。

 実は先ほど台所にやってきた時もロイはメリィに背負われていた。

 怪我は腕以外ほとんど治っているため、歩行が困難というわけではない。

 メリィが見ていない時には普通に歩いたりしていたし、夜中のトイレも自力で行く。

 風呂も自分で入る。

 シャワー代わりにと体を拭いてもらっていたのは随分と前のことだ。

 しかし、そうであるにもかかわらず、ロイはメリィの前ではヨタヨタとふらつきながら歩いたり、わざと足を引きずったりして、定期的に歩けないアピールをしていた。

 おんぶをせがむのも、歩行困難アピールの一つだ。

 こんなかまってちゃんの仮病スタイルを既に数十日と繰り返しているのは、ロイがメリィに甘えたい困ったちゃんだからではない。

 密かに逃亡計画を立てているからだ。

『どうせ、コイツは人間の構造とか怪我の治り具合とか把握してないだろ。コイツの前では常に弱ったふりをしているし、完治しているとは思わないはずだ』

 家事中はメリィのマークが外れやすくなる。

 彼女の隙を窺っては家中を物色し、逃亡ルートを考えたり、棚を物色してナイフや周辺の地図などといった逃亡に便利な道具を集めたりしていた。

 ロイの方では着々と準備を進めていて、特に怪我の具合については完璧に隠せているつもりだ。

 しかし、実はメリィ、彼が自由に動き回れることも家を漁っていることも知っていた。

 そもそも、着替えの手伝いやマッサージなどを行いつつ怪我の経過観察を行っているメリィがロイの健康状態を知らないはずがないのだ。

 加えてメリィはロイが自分で認識している以上に彼を見ている。

 調理中はともかく、掃除中や洗濯中など、ちょっとした隙を見つけては休憩がてらロイを眺めているのだ。

 少なくとも想像の倍ほど、ロイはメリィに見られている。

 それでもロイが気がつかないのは、メリィが彼にストレスを与えぬようズレた配慮をして気配を消しているからだろう。

 ストレスを与えずに野生動物を眺めていたいと身に着けた隠密のスキルが、こんなしょうもない所で発揮されていた。

 だが、そうやってロイが動き回っているのを知っているのにもかかわらず、メリィは彼が脱走計画を立てていることは知らない。

 家を物色しているのは探検をしているだけだと考え、微笑ましく思っていたし、仮病もかわいい甘えをしているだけだと思っていた。

『ロイ、今日も甘えん坊してる。懐いてくれてるのかな? さっきもクマさんを抱っこしてたし、意外と気に入ったのかも。あげてよかった。もっと好きになってもらって、早くお喋りできるようになりたい』

 ロイが腕を広げてくる姿がかわいくて、甘えられているのがどうしようもなく嬉しくて、メリィはちぎれんばかりにブンブンと尻尾を振る。

 それから尻尾本体と風圧で近くにあった椅子をなぎ倒すと、メリィはウキウキでロイを担ぎ、自宅付近へ散歩に連れ出した。

 ご機嫌な彼女は、ロイの逃亡決行日が今夜であることを知らない。

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