空回り愛情のお世話

『好きになってもらうためには、好きを伝えるとこからって本に書いてあった。話せないから、ボディランゲージを使おう。抱っこ』

 どうにかこうにかして好意を伝えたいメリィだが、手段としてハグを選んだのは単純にロイに抱きつきたかっただけだ。

 メリィはロイを威嚇せぬようにそろ~っと手を伸ばすと、彼の身体をモギュッと抱き締めた。

 怪我を悪化させぬよう、体重をかけずにふんわりとロイを包み込み、彼の大きな胸に頬を寄せる。

 それから、いい子、いい子と優しく頭を撫でた。

『あったか、もちもち、ふわふわ。汗の匂い、好き。大好き……』

 チラッと横目でロイの表情を確認すると、怯え混じりの困惑した表情をメリィは無抵抗、あるいは少し懐いたとみなし、そのままキスをした。

『好き。好き。好き。好き。好き。好き。かわいい。大好き』

 肌に触れれば「好意を伝える」なんて建前はスッポリと頭から抜け落ちて止まれなくなる。

 体温が一気に高くなって鼻息も荒くなり、衝動の赴くままに舐めたり甘噛みをしたりしてロイを貪る。

 そうやって、のぼせたまま「味見」を続けていたのだが、流石に不快がったロイが舌打ちをすると正気に戻ったらしく、慌てて彼から降りた。

 それからパラパラと本を捲ってロイが嫌がった理由を探し始める。

『えっと、魔族は軽度であっても嫌悪を抱けば対象を攻撃しますが、人間は脆く弱い性質や他者への共感性、思いやりを持っていることなどから健やかな生存のため我慢する傾向にあります。無抵抗は許容ではないため注意しましょう。特に魔族は予測以上に人間から恐れられていることを常に意識することが大切です。強引な手段に加えて性的な行動をとると修復不可能なまでに嫌悪されることがあります。気を付けてください』

 サァッと血の気が引いていき、白く戻っていた頬が真っ青になる。

 寝ている隙につけたキスマークは首を振ることで否定し、ボディランゲージで友好を示してみたがロイは睨みを強くするばかりで、全く効果が見られない。

 表情には出ていないが、メリィは軽くパニック状態に陥っていた。

『あの子に嫌われるの、嫌。どうにかして、失った信頼を取り戻さなきゃ』

 失うも何も、底辺どころか地面にまで埋まっていた信頼を先の行動で掘り返しがたい場所まで沈めてしまっただけである。

 それに、メリィが側に居るだけでロイは強いストレスを感じる。

 本当に彼のことを考えるならば一度放置するべきなのだが、あいにくメリィは長い孤独生活のせいで他者の感情に疎いし、自分がどの程度、脅威に見られているのか今一つ理解していない。

 また、動物にはやたらと懐かれることが多いため、どんな生き物でも可愛がれば心が通じると思っている、厄介な思想の持ち主だ。

 そのため、

『怪我した動物は皆、最初は唸って威嚇してた。でも、ご飯あげたら甘えて、触らせてくれるようになった。人間も一緒かな?』

 と、これまでの経験をもとに別角度から構うことにした。

 スープを持って来るとロイの体を起こし、体と壁の間にクッションを挟んで楽に起きられるようにする。

 それから一匙分のスープを掬って差し出した。

 メリィの用意したスープは、客観的に見れば非常に美味しそうな見た目をしている。

 透き通ったスープに柔らかく浮いた肉の脂。

 小さく切られたホロホロの野菜に沈んだベーコンや鶏の肉。

 それらの織り成すホクホクとしたほのかに甘い香りとピリリとした香辛料の刺激がロイの食欲を刺激しないはずがない。

 だが、それなりに自信があったはずの餌付け作戦はなかなか通用しそうになかった。

『なんで、ご飯食べなかったんだろ? お腹空いてない?』

 コテンと首を傾げるメリィだが、ロイが食事に手をつけないのはある意味では当然だ。

 なにせ、魔族が作ったという情報が全てを台無しにしている。

 美味しそうなスープが食わない方がましなゴミにまで評価を下げているのだ。

『クソッ! 魔族のメシなんか意地でも食わねぇぞ! 絶対に血とか人肉とか虫とか泥とか糞尿が入ってるに決まってるからな! 最悪の場合、俺の血肉が入っててもおかしくねぇし、シンプルに毒が入ってる可能性だってあるし』

 スープの見た目が美味しそうであればあるほど警戒心が高まる。

 ロイはおぞましいスープから目を逸らし、空腹でお腹が鳴りそうになっても太ももを抓って我慢していたのだが、突然、バギッという固い音が聞こえてメリィの方を振り返った。

 彼女は折れた木の棒を握っており、その後、ゆっくりとロイの骨折した腕を指差す。

 メリィは要するに、

「怪我をしているんだから、食べなきゃ治らないよ。体力だって消耗してるでしょ?」

 と言いたいのだが、ロイには、

「食べなきゃ、もう片方の腕も折るぞ!」

 と言っているようにしか見えなかった。

『本性を顕しやがったな! この化け物!!』

 こぼれ落ちんばかりに目を見開き、震えあがるロイだが、こうなれば従う外ない。

 せめて自分で食べようと手を差し出して器を受け取ろうとしたのだが、再度、折れた棒を持ったままのメリィに腕を指差され、しぶしぶ自力で食べることを諦めた。

 なお、ロイが脅しとして受け取ったメリィのジェスチャーの本当の意味は、

「骨折しているんだから、無理しないで。食べさせてあげるよ」

 である。

 覚悟を決めたロイがパカッと口を開くと、口内にゆっくりとスープを流し込まれた。

『……うまい。人間なんか食ったことねぇから分かんねぇけど、多分、コレ、鶏肉と豚のベーコンだ。臭くないし、ザラザラもしない。嫌な風味もない。もしかして、普通のスープなのか?』

 舌で押しつぶせば解けてしまうほど柔らかく煮込まれたキャベツはシッカリと鶏の出汁を吸っており、咀嚼すればするほど旨味が染み出してくる。

 柔らかいが程よく弾力のある厚切りベーコンに一口サイズの鶏肉は、飲み込めば直接栄養になってくれるような気がしてくる。

 味わったスープをコクリと飲み込んで胃に送れば、我慢の効かなくなった腹が盛大に鳴って誤魔化せないほどになる。

 次が欲しくて無意識に口を開くと、ロイの態度に嬉しくなったメリィがブンブンと尻尾を振りながら次を差し出した。

 スープの優しさが温まった胃から全身に満ちていくようだ。

 妙に屈辱的だがスープを貰うことがやめられなかった。

『こんなことで安心してるのが嫌だ。クソッ、油断するな。隙を見せた途端に喉を突かれる可能性だってあるんだ。絶対に絆されるな!!』

 スープを飲み込みながらギッとメリィを睨む。

 しかし、彼女は警戒心を露わにしながらも一生懸命に食事をとり、たまに表情を和らげるロイに魅了されてしまい、すっかり興奮しているため彼の睨みですら愛おしくて堪らなかった。

 表情は無であるのに目元が真っ赤で、歪んだ口の端から漏れる吐息もハァハァと荒くなっている。

 綺麗な瞳の奥では熱のこもった色濃い愛情がグルグルと渦巻いていて、酷いことになっていた。

『本当に何なんだよコイツ! 脅してまで餌付けして、何のつもりだよ!!』

 まるでペットか幼児扱いでもされているような気がして居心地が悪い。

 メリィの表情をまともに見てしまったロイは、それ以降、食事を終えるまでソワソワと目線や体を動かして過ごした。

 十分以上かかって、ようやく餌付けの時間が終わる。

 ロイは緊張の緩みと腹が満たされた幸福感、安心感からすっかり脱力してしまった。

 クッションで緩和された壁に背を預けたまま、コックリ、コックリと舟をこぎ始める。

『ねるな。ねたら死ぬ。安心したら嬲られる……』

 満たされた食欲のおかげですっかりと丸くなった攻撃性を何とか叩き起こし、一生懸命に睡魔に抗うが、どうにも勝てそうにない。

 眠る直前、シャカシャカと布の擦れる音やタプンと水の揺れる音が聞こえてきた。

 少し待っていれば、腕や腹に心地いい違和感を覚えるようになる。

『なんか、気持ち良い。スッキリする』

 もたげた頭をほんの少し持ち上げ、薄目を開けてチラッとメリィの様子を確認すると、シーツを剥ぎ、清潔な濡れタオルで自分の身体を拭いている彼女の姿が見えた。

 人間が相手だからと最新の注意を払っているメリィの拭き加減はちょうど良くて、痛くも無いがもどかしくも無い。

 手つきもやたらと丁寧だ。

『妙に手つきが優しくて眠くなる。魔族の癖に』

 全身にベタベタとまとわりついていた汗が取り除かれるのは勿論のこと、タオルが温かいおかげで血行が良くなり、体中が温かくなってくる。

 また、絶妙な力加減のおかげでマッサージ効果が生まれ、エステのようにもなっている。

 あんまりにも気持ちが良さそうなロイに嬉しくなったメリィがサービスで頭も揉んでやれば、ロイの表情が更に和らいだ。

『もう少し頭もまれたい。顔面って意外と凝ってるんだな。痛気持ち良い。肩の凝りまで解れるの、人体のマジックすぎるだろ』

 丁寧な手当てに美味しい食事、マッサージ付きの安心感ある暮らし。

 この絶妙な飴こそがメリィの野生動物に好かれる由縁であり、人間であるはずのロイも随分と懐きかけていたのだが、

『かわいいな。もう少しマッサージしてあげようかな……あ! 大切なところを忘れてた。お尻とかを拭いてあげなくちゃ』

 と、ろくでもないことを思いつき、彼が唯一身に着けている衣服である下着をみょいんと引っ張ったおかげで、無事に信頼関係が崩壊した。

「待て待て待て待て! 俺のお尻と息子に何をする気だ! お前!!」

 危機感で眠気が一気に冷める。

 急にヒンヤリとする股間にギョッと目を丸くし、大慌てて左手で布を引っ張り上げるが、あいにくメリィの目的はスケベではなく、汚いのは嫌だろうという親切心によるお世話だ。

 そのため、何故、急に抵抗し始めたのかと首を傾げたが、モゾモゾと張って逃げようとする姿や真っ赤な顔面、伝わらない切羽詰まった叫びで何となく察したらしく、狼耳をピンと跳ね上げると下着から手を放した。

 それから両手を合わせ、少し前に本から学んだジェスチャー「ごめんね」を使ってロイに謝罪すると予備で用意していた清潔なタオルを手渡す。

 それからコンコンと壁を叩く仕草をし、次にドアを指差した。

『出てるから、その間に拭けって言いたいのか?』

 恐る恐る頷くとメリィも頷き返し、ロイの予想通り大人しく部屋から出て行った。

『本当に、ただ拭こうとしてくれてたのか? 俺、ちょっと自意識かじょ……いやいやいや! 相手は変態っぽい魔族だぞ! 魔族ってだけで警戒すべきなのに、変態の魔族だぞ! 警戒してしかるべきだろ』

 手早く拭いて桶に戻し、ゴンゴンと壁を叩けばメリィが戻ってくる。

 それから桶を回収し、片付けると今度はロイをソファに移してからベッドメイキングを行い、再び彼をベッドの上に戻した。

『妙に壁によせると思ったら、コイツも寝るのかよ』

 キュッと縄で自分の手首を縛り上げ、隣にコテンと寝転がったメリィを睨みつける。

 彼女は縛られた手首を揺らして無害アピールをしているが、ロイは魔族にとって縄の拘束が何の意味も持たないことを知っている。

『誰が信じるか、こんな茶番!』

 心の中で悪態を吐くと瞳を閉じて眠ったふりをし、メリィがスゥスゥと寝息を立てたのを確認してから、ようやく気絶をするように眠った。

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