第110話 海底の世界で




 深い海の底には崩れた都市が眠っていた。

 真っ暗闇の中なのに、私はその様子を見て取ることができた。

 建物は崩れ、道路は割れて、それは無惨な姿ではあったけど、極めて発展した都市だということは理解できる。

 それこそ、現代の日本以上に。

 かつての大帝国は、本当に素晴らしい世界だったのだろう。

 生物の姿はなかった。

 動いているのは、私ただ1人だ。


 都市に近づくにつれ、呼び声は鮮明となった。

 それは声というより、笛の音のような、優しい波長ではあったけど。


 やがて私は、その場所にたどり着いた。

 そこは更地だった。

 廃墟の広がる巨大都市の中心区なのに、野球場よりも広く、瓦礫も何もなく、まっさらな砂だけが広がっていた。

 その真ん中には、私の背丈の2倍ほどの金属の板があった。

 青みを帯びた銀色の板だった。

 その色は私の髪色に似ていた。

 私を呼ぶような声は、その板から聞こえていた。


 私は誘われるまま、その板に触れた。


 すると――。


 え。あ。


 私の体は自然に吸い込まれて、気がつけばどこか見知らぬ部屋の中にいた。

 女の子の部屋に見えた。

 暖色の照明の中――。

 可愛らしい調度品に、たくさんのぬいぐるみが置かれていた。

 正面にはテーブルと大きなモニターがある。


 私がキョロキョロしていると――。

 テーブルに置かれていた金属質の小さなカメが、ふわりと浮き上がった。


 そして、口を開いて言うのだ。


「おかえりなさいませ、マスター」


 と。


「え。あ。ただいま……」


 思わず私はそう答えてしまったけど……。

 もちろんただいまではない。


「もしかして、ここ……。昔の私の部屋だったのかな?」


 私はカメにたずねた。


「昔も今も、ここはマスターの私室ですが。と、これは失礼しました。そういえばマスターは一度死んでおられるのでしたね。よく見れば随分と消耗されているご様子です。どうでしょうか。まずは権能を回復なさっては?」


 機械のようなカメは流暢にしゃべった。


「その前に、貴方のことを教えてもらってもいいかな? 私はファー。多分、貴方の言うマスターは私のことだけど――」


 私は正直に私の事情を話した。

 このカメはファーエイルさんと親しかった様子だし、誤魔化すのはやめておいた。


「なるほど。そういうことでしたか。ですが、私の認識では、マスターはマスター本人に間違いありませんのでお気になさらず」

「ならいいけど……」

「では、私のことも紹介させていただきますね。私はカメキチと申します」

「カメキチ……?」


 失礼ながら、思わず聞き返してしまった。

 だって、ね。

 カメキチとか和風な名前すぎる。


「はい。マスターによって制作された自立型支援端末です。マスターの権限をお借りして、この施設全体の管理を承っております」

「ここってどこなんだろ?」

「マスターの居城たる、超機動戦艦ハイネリスの最高管制室です」

「へえ、そうなんだぁ」


 女の子の私室にしか見えないけど……。


「というか、超なんだね」

「はい。超です。大よりもすごいとのことでマスターが命名されました」


 大帝国、大帝都、そして超機動戦艦。

 ファーネイルさんって、そういうネーミングセンスなんだねえ。

 意外とアニメや漫画が好きだったのかも知れない。


「カメキチさんは、ずっと1人でここにいたの?」

「敬称は結構ですよ。私はマスターの制作物です。私が目覚めたのは最近です。おそらくマスターの帰還に合わせてでしょう」

「なるほど。そっか。私って戻って来る予定だったんだ?」

「最後に私がマスターから聞いた言葉は、ちょっと行ってくるね、でした。なので、戻って来る予定はあったのだと思います」

「国が滅んじゃったんだよね? 何があったの?」

「不明です。私のシステムは、ハイネリスと合わせて、現在の状況が訪れる前にスリープモードに移行していました。私も目覚めた時には、状況確認に手間取りました」

「わかったことはあるの?」

「国が滅びていることは理解しました」

「なるほど」


 それは、ね。


「マスターにも変化はあったようですが、ともかく帰還されたことを嬉しく思います。さあ、権能の回復を行いましょう」

「それって簡単にできるの?」

「幸いにも外界の影響はこちらの亜空間には届いていません。ハイネリスは無傷です。なので簡単にできますよ」


 考えてみれば、ファーはそもそも生身ではなくて人形だった。

 少なくともファーエイルさんはそう言っていた。

 1万年とかの長い時間をかけて、じっくりここまで最強に育て上げた、と。

 人形なら、バックアップもあるのか。


「でもそれって、人格まで戻るとか、そういうのはないの?」

「バックアップされているのは権能だけですので、人格に影響はありません」

「そっかぁ」


 どうしようか。

 私は悩んだ。


 正直、よくわからないものを受け入れるのは怖い。


 だけど、よく考えるまでもなく、そもそも私は何もわかっていないままファーになってこんなところにまで来ている。


 ならばもう、考えるのは今更だろう。


「じゃあ、お願い」


 もうね、やってくれるというのなら、やってもらおう。

 それがいい気がする。

 こうなったら、流されるまま行けるところまで行ってみようじゃないか。


「では、始めます」


 どうやら本当に簡単にできるようで――。

 場所を変えることもなく、可愛らしいこの部屋で即座に行うようだ。


 浮かび上がったカメキチが、私の目の高さにまで来た。

 視線が重なる。

 カメキチの両目から伸びた光が私を包んだ。


 私の中で『ユーザーインターフェース』が自動的に立ち上がって、滝が流れるかのような勢いでメニューを開いていった。

 同時にロックされていたスキルや魔法が次々に解除されていく。

 それはジェットコースターに乗っているかのような感覚だった。

 強い圧力で押し潰されそうになって、天地がひっくり返って感覚が麻痺しつつも、体を貫く勢いが爽やかで心地良い。

 世界が一気に広がっていくようだ。


「おわりました。どうですか、マスター?」

「うん。いいね。ありがと」


 私はあくまで平常心を保っていたけど――。

 それはスキルあってのことだ。

 もしもなければ、力に満ち溢れて高揚する心身に押されるまま、大きな声くらいは張り上げていたことだろう。


 疲れも取れていた。


 ステータスを見れば、喪失していたMPが完全回復している。

 レベルも上がっていた。


 60台だった私のレベルは……。

 なんといきなり、600ちょうどになっている。


 すべてのスキルを覚えるのが、レベル600ということなのだろう。


 それでもステータスは――。


 STR:600000/1200000

 DEX:600000/1200000

 AGI:600000/1200000

 INT:600000/1200000

 POW:600000/1200000

 CON:600000/1200000


 なので――。


 カンストまでには、まだ半分もあるというのが恐ろしいところだけど。

 もともとの私の強さがわかるというものだ。


「権能も回復したところで、マスター、ご命令を」

「うん。そうだね」


 私はもうひと頑張りするべきだろう。

 なにしろ地上では戦闘が続いている。




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