第105話 閑話・不滅のアンタンタラスは空を見上げる2



 光に輝いた空が割れていきます。


 私、アンタンタラスは、それを見ていることしかできませんでした。

 私は長い年月――。

 大帝国の時代から生きてきた吸血鬼ですが――。

 天頂での出来事に即座に対処する術は、残念ながら持ち合わせていません。


 それは魔王にとっても同じことです。


 ニンゲンどもが撤退する中、ジル様は空を見上げます。


「ジル様、下がりましょう」

「なのぉ」


 私はそんなジル様を促し、私たちも後方へと下がります。

 同行する魔王軍の兵士も下がらせました。

 ニンゲンどもの追撃はしません。

 ここはいったん、我々こそ柔軟に動ける態勢を取っておくべきです。


 なぜなら現れるのは――。


 おそらく、ニンゲンどもの救世主であり、我々の悪夢です。


 光の中から巨大なシルエットが見えました。


「まさか、これは――」

「知っているなら教えるのぉ、アン」

「はい……」


 私は説明しようとした時でした。


 笛よりも甲高い音と共に、大気が幾重にも揺らぎました。

 それは、この私ですら体に痺れを感じるほどの強烈な威圧感を伴った、天空に浮かぶシルエットからの咆哮でした。

 咆哮と共に、闇夜を包んだ白い光の中に、それがハッキリと姿を見せます。

 それは人型ではありませんでした。

 八本の足と尻尾を反り返らせ、体の高さよりも大きく口を開いたそれは、まさに何でも喰らい尽くそうとする獰猛な獣でした。


 私はその姿を見て、ひとつの伝承を思い出します。


「終末の神獣、カリュブディス……。神々がこの世界をおわらせる時に放つと言われる、この世界を飲み込む、八足の輝く獣――。大渦の厄災――」

「この世界、なのぉ? 魔族だけじゃなくてぇ?」

「伝承では、ですが――」


 私も実際にその神獣を見るのは、初めてのことです。

 神獣は伝承に現れるのみの存在です。

 かつての『大崩壊』の時でさえ、姿を見せることはありませんでした。


 なので、私たちの頭上に現れた純白の巨大な八足獣が――。

 それなのかはわかりませんが――。


 私たちは、半ば呆然と輝く空を見つめていました。


 咆哮した八足獣のまわりからは、胴長の四足獣が次々と生まれています。

 眷属でしょうか。


 きらりときらめいたその四足獣たちは――。

 まるで舞うように広がって――。


 その数は、瞬く間に何百にもなります――。


 それらちは、くるりと身を返すと――。


 一気に急降下してきました。我々のいる場所にもです。


「ジル様! 襲撃です!」

「見ればわかるのぉ。防衛するのぉ」

「くっ!」


 私は急いで防御魔法を展開しました。

 輝く四足獣は、正確には私達魔族にだけ襲いかかってきました。

 終末の神獣――。

 カリュブディス――。

 それはまさかの、光の化身だったのでしょうか。

 思えば伝承は大帝国時代ものです。

 この世界とは、魔族の世界、大帝国のことを差していたのかも知れません。

 だとすれば伝承は正しかったのです。


 ニンゲンどもの歓声が聞こえます。


 聖女様万歳!

 聖女様万歳!

 聖女様万歳!


 忌々しいことです。


 私の張った防御魔法は、数度の四足獣どもの突撃で砕かれました。

 次の防御魔法は張りません。

 防ぐばかりでは、どうしようもないからです。


「みんなぁ、倒すのぉ」


 ジル様の言う通りです。

 やるしかありません。


 飛び回る四足獣との乱戦が始まりました。


 我等が軍勢は、ジルゼイダ魔王軍の精鋭たる死霊300。

 死霊は吸血鬼とリッチを中核とした、全員が自我を持つ上位のアンデッドです。

 加えてゴーレムが100。

 低級のアンデッドは使っていません。

 一気に突破する予定でしたので――。

 足の遅い者は足手まとい――そう判断してのことでした。


 しかし私の作戦は、予測を超えて力を増していた今代聖女の祝福に阻まれ――。

 さらに今、今代聖女の呼び出した伝承の存在によって、私たちは窮地を迎えました。


 とはいえ、四足獣は倒せる相手です。


 一匹一匹は、冷静に対処さえしていれば、恐れる必要はありません。

 ただ際限なく、次から次へと飛び込んでくるのは――。

 かなりキツくありましたが。


 どうこの窮地を切り抜けるのか――。

 それを考えねば、私たちは体力と魔力をすり減らされ――。

 やがて押しつぶされます。

 しかも空には、咆哮を上げて周回するカリュブディスと思える輝く八足獣がいるのです。

 今は四足獣を呼び出すばかりですが――。

 カリュブディスがもしも降りてきたとすれば――。

 我々の未来は暗いものとなるでしょう。


 四足獣の迎撃は続きました。


 部下たちが、1人、また1人と、四足獣に食いつかれて倒れていきます。


「アン、このままではマズイのぉ」

「お任せ下さい。必ずや、この窮地を切り抜けてみせます」


 私はジル様に強気の姿勢を見せますが――。

 実際には――。

 病み上がりの体では、これ以上の戦闘は厳しいものがありました。

 完全に肉体を破壊されて、魔石だけの存在になってからの生還というのは、それほどに大きなダメージなのです。


 私は一瞬、ファーエイル様に期待をしてしまいました。

 かの御方は、この世界に戻っている。

 今回、ニンゲンどもが何やら神託を受けて全面攻勢をかけてきたのというのは――。

 まさにそれ故なのでしょう。

 しかし、ここにファーエイル様はいません。

 かの御方はジル様に言ったそうです。

 関わるつもりはない、と。

 大帝国はすでになく、かつての栄光はすべてが過去のものです。

 そしてファーエイル様は、すでに神となられたお方。

 こちらの世界には、遊びに来ているだけなのでしょう――。


 私はかの御方への想いを振り払いました。

 正直、信仰心は未だありますが――。

 今は自分の力で、ニンゲンどもの野望を駆逐せねばならないのです。


 ですが――。


 ああ――。


 混乱する我々の様子を見たニンゲンどもが、再び攻め寄せてきました。

 対する我々は、四足獣の対応に精一杯です。


 これは――。


 もう――。


 ニンゲンどもが迫ります。


「ジル様! お下がりを! ここは私が受け持ちます!」


 私は思考を切り替えました。

 なんとしてもジル様だけは逃さねばなりません。


「なにを弱気になっているのぉ、アン」

「今回は負けです」

「そうなのねぇ。わかったわぁ」


 私は不滅です。


 ニンゲンごときに殺されたところで復活は容易です。

 光の化身に喰らい尽くされて、復活できるのかはわかりませんが――。

 ただ――。

 そのことを顔に出すわけにはいきません。


「じゃあ、魔王城でぇ」


 幸いにもジル様はすぐに動いてくれました。

 私は最後の力を振り絞って、渾身の魔法障壁を展開させます。


 普通ならニンゲンどもの攻撃など、それで永遠に防いでいられるのですが――。

 ああ、忌々しきは今代聖女――。

 その恐るべき祝福の力は、一般兵の攻撃にも微弱な光属性を付与して私の魔法障壁にダメージを与えられるのです。


 加えて、輝く四足獣が容赦なく私に突撃してきます。


 ああ……。


 もはやこれまで、ですね……。


 魔法障壁が破られました。


 私は、ニンゲンに突かれ、四足獣に食い散らかされる自分を想像して――。

 目を閉じかけましたが――。


 ニンゲンの剣も、四足獣の牙も、私に届くことはありませんでした。


 かわりに届いたのは懐かしい声でした。


「君がいながらこの体たらくは何だ、アンタンタラス! それでも君は賢者か!」


 最初は、夢なのだと思いました。

 私は殺されて――。

 夢の世界に入ったのだと。


 だけどすぐに、それは違うと理解することができました。


 私の目の前に現れて――。


 強力な多重障壁でニンゲンどもと四足獣を跳ね返し、私に叱咤するその男は――。


「――久しぶりですね、ええ。久しぶりです」

「挨拶している暇があるなら精神を集中しろ! なんだその腑抜けた顔は! 魔力より先に気力を尽きさせてどうするのか!」


 その男は――。

 私が私の人生で唯一、友と認めた男――。

 そして宿敵――。

 とっくに死んでいると思っていましたが、なぜここにいるのか――。


 どうやら錯覚でも走馬灯でもないようです。


 私を助けたのは、大帝国の賢者――。

 イキシオイレス本人で、間違いはないのでしょう。

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