第104話 閑話・不滅のアンタンタラスは空を見上げる





 遠くの浮遊島から深夜の空に立ち昇った真っ白な光の柱は、キナーエ浮遊島帯域の全域から見ることができたでしょう。


「ねえ、アン、あれってまさかぁ……?」

「ええ。そうですね――」


 当然、それは私たちの目にも入りました。


 間に合わなかったか。


 私、アンタンタラスは、主たる魔王ジル様と共にニンゲンの兵士どもをなぎ倒しながら、苦渋の想いでそのまばゆい柱を見上げました。


 今回の、ニンゲンどもの総攻撃には明確な理由がある――。


 そのことはすでにわかっていました。


 故に進撃を急いでいたのですが――。


 私は未だ、乱戦の最中にいました。


 ニンゲンは脆弱な生き物です。

 我等魔族の手にかかれば、木片よりも容易く破壊することはできます。

 ――普通ならば。


 空に立ち昇る光の柱を見て、ニンゲンどもが気勢を上げます。


「見ろ! 光だ! 光が現れたぞ!」

「聖女様が儀式を成功されたのだ!」

「光の化身が現れるぞ!」

「皆、よくぞ持ち堪えた! この戦い、我々の勝利だ!」


 まったく、忌々しいことです。


 気勢を上げたニンゲンどもは闇の刃の魔法で斬り裂いてやりましたが、それでもまだ私の目の前には千を超える兵士がいます。


 しかも――。


「このおおおおおお!」

「しつこいですよ」


 なんと私の闇の刃に耐えて、ニンゲンの1人が剣を振るってきました。

 もちろん、とどめを刺してやりましたが。


 そう――。


 兵士とはいえ、ニンゲンはニンゲン。

 本来ならここまで粘られることはなかったはずなのです。


 しかしニンゲンどもは、しつこく戦い続ける。


 今代聖女による祝福の力が――。

 彼等に勇気と身体能力の大幅な向上をもたらしているからです。


 今の私は、ファーエイル様に消滅させられたダメージから未だに完全な回復は成しておらず、せいぜい半分の状態ですが――。

 それでもニンゲンどもなど、余裕で薙ぎ払えるはずでした。


 今代聖女は、ニンゲンの枠を超えた稀有な存在です。

 5歳で光の力に覚醒し――。

 7歳の時には前線に出て、初めて、その祝福の力を兵士たちに与えました。

 結果、魔王サグラール――魔王ウルミアの父親たる竜人族の猛者が、ニンゲンに討ち取られるという悲劇が起こりました。

 魔族側は、まさか7歳の聖女にそこまでの魔力があるとは思ってもいなかったのです。


 私はその戦いには参加していませんでした。

 なぜなら、時折ゲームのように同じ戦場で競い合うことはあっても、魔王は基本的に共闘などしないからです。


 魔王ウルミアを友として救出に向かおうとするジル様は、例外的な存在です。


 他の魔王たちは、ニンゲンに敗れて捕まった魔王ウルミアのことを、やはりアレは出来損ないだと冷笑するばかりでした。

 魔王ウルミアは、父親の七光り以外には何も無い最弱の魔王――。

 それが他の魔王たちの認識なのです。


 とはいえ、ニンゲンどもがキナーエで好き勝手することは許せるはずもないので、部下を出してそれぞれ個別に戦っていますが。


 キナーエ浮遊島帯域は、北方と南方を結ぶ要所であり、ニンゲンには渡せない場所です。

 と言っても、魔素に満ちたキナーエの浮遊島には、定期的に魔素嵐が発生し、それは魔法的な防御を破壊するため、我々魔族が領有を続けるのは実質不可能ですが。

 我々魔族の中でも、キナーエの領域に拠点を持つのは、物理的に魔素嵐に耐えうる強靭な肉体を持つ竜人族のみです。


 とはいえ、キナーエは――。


 特に、環状に広がる浮遊島の内域は――。


 かつての大帝都――。


 その中心にあった偉大なるザーナス陛下の居城があった場所であり、我々にとってはまさに不可侵の聖域です。

 ニンゲンに触れさせることは許されません。

 もっとも内域は、いっさいの魔素が存在しない無の領域であり――。

 魔族であれニンゲンであれ、立ち入れば海の底へと引きずり込まれ、二度と出てくることはできないのですが。


「……ウルミアはぁ、もう使われちゃったのかしらぁ」


 深夜の空に光の広がる様子を見て、ジル様が悲しげにつぶやきます。


「――最悪の場合は」


 私はそうとか答えられませんでした。


 魔王ウルミアは、聖女の儀式の魔力源として使われようとしている――。

 そのことは、捕らえたニンゲンの士官から聞き出しました。

 魔王ウルミアとフレインは、まんまとニンゲンの罠にはまって戦いに敗れたのです。

 まったく――。

 情けないことです。

 私は常々、経験不足のフレインには言ってきたものなのですが。

 戦いは正面からぶつかるばかりではない、と。

 竜人族の気質からしてやむを得ない部分は大きいのですが、本当にまったく私の言葉は届いていなかったようです。


「そうかぁ……。残念なのぉ……。撤退するぅ? 何か起こりそうだしぃ」


 ジル様は言います。


 戦いの続く中、真っ白な光はどんどん空に広がっていきます。

 そこには明らかに光の魔力がありました。

 光の化身と呼ばれる何かが、現れようとしているか。

 ニンゲンどもはそう信じているようですが――。


 あるいは、そうなのかも知れない。


 では、どうすべか。


 キナーエでは、転移魔法が正確に使えません。

 キナーエに満ちる魔素は高密度かつ流動が不規則で、転移魔法の行使は嵐の中で空に飛ぼうとするのと同じように危険なのです。


 我々吸血鬼族には闇渡りや影渡りという固有能力もありますが――。

 それもまたキナーエでは上手く作用しません。

 キナーエは、移動隠密系の能力を十全に発揮できない相性の悪い領域なのです。


 ジル様の言う通り、光の化身が現れる前に撤退すべきなのかも知れません。


 空の様子が一変したことで、ニンゲンたちは後方に下がろうとしています。

 今なら我々も容易に退けます。


「そうですね――」


 撤退するしかありませんか。


 聖女の祝福に守られた今の敵軍を一気に蹴散らすことはできません。

 本当に忌々しい、今代聖女の力です。

 そんな中で、さらなる脅威との対決は極めて困難です。


 しかし、残念ながら――。


 私たちには、撤退する時間もないのかも知れません。


 広がる光がついに空の全面を染めます。

 それは夜が、昼へと反転――いいえ、それ以上に眩しくて、直視するのも厳しい幻想的で禍々しい光景でした。

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