第101話 聖域(リアナ視点)
扉の先にあったのは薄暗い空間だった。
床で青白く輝く魔法陣が、どこか不気味に空間を照らしている。
他に光はない。
空間は、見渡せば小ホールほどの部屋だった。
それなりに広い。
薄暗くて鮮明には見えないけど、壁や柱には細やかな模様が刻まれていた。
正面には、祭壇のようなものも見える。
そして……。
祭壇の脇の柱には、2人の瀕死の少女が拘束されていた。
それが誰なのかはわかる。
魔王ウルミアと、魔人フレインだ。
魔力供給のために殺されず、でも暴れられないように、人間であればとっくに死んでいる状態で連れて来られていた。
それはまさに、生贄だ。
正直、神聖な儀式を行うための準備には見えない。
むしろ逆に見えた。
だけどそれは、メルフィーナ様を死なせないために必要なことなのだ。
部屋には勇者オーリーと、3名の高位神官がいた。
現れた私たちに気づくと会釈してくる。
「オーリー、準備はどうですか?」
メルフィーナ様がオーリーに問う。
「万全です。聖者の書に記されていた通りでした。操作盤、魔導柱、どちらの装置も起動を済ませることができました。媒体の設置も完了しました。魔法陣への接続にも問題ありません。あとは光の魔力と共に願いをかければ――」
「見つけられるのですね。この世界、あるいは別の世界にいるのかも知れない、私たちの希望、誰よりも光をまとった、光の化身たる誰かを」
「聖女様であれば、きっとできるはずです。見つけることも、呼ぶことも。はず、としか言えないのは本当に申し訳ないのですが……」
「それは仕方のないことです。試験すらできないことですから」
「はい――」
「では、オーリー。後のことは頼みますね」
「お任せ下さい。儀式がおわるまでの間、神殿は必ず死守してみせます」
メルフィーナ様に深く一礼して、オーリーは私に向き直った。
そして、私に言うのだ。
「メルフィーナ様のことは、リアナ様に任せます」
と。
勇者オーリーは、メルフィーナ様の腹心。
当然、私に光の力なんてないことは知っている。
なのに、なぜ。
真顔で任せるとか言うのか。
まあ、うん。
ここに残るのが、私だけだからか……。
私は、メルフィーナ様に万が一のことがあった場合、次の聖女が見つかるまでの代理として存在することになっている。
「あとは、光の化身のことも。それがどのような存在なのか――。まったくわかりませんが、必ず協力を得て下さい」
オーリーが言う。
そう。
光の化身として召喚された誰かに最初に声をかけるのも――。
メルフィーナ様が倒れていれば――。
私の仕事だった。
「できるだけのことはするわ」
私は、半ば投げやりに答えた。
だって本当に私は無力なのだ。
ここまできたのなら、やらねばならない、やるしかない。
それはわかっているし、覚悟もしているけど、とはいえ、何ができるかと言えば、これでやりますと言えるものはない。
なので、できるだけ、としか言い様はない。
そもそも光の化身とは、人間なのかどうかすらわからないというのだ。
出たとこ勝負しかない。
「――ルクシスの加護を」
神官たちと共に、勇者オーリーが聖域から出ていく。
2人になったところでメルフィーナ様は言った。
「ついに最期の時ですね」
と。
メルフィーナ様の表情は、なぜかホッとしたような笑顔だった。
「最期ではありませんよ。始まりの時です」
私は訂正させていただいて、その後で、できるだけ同じように笑顔を作って、
「でも、メルフィーナ様はさすがです。余裕がありそうです」
と言葉を加えた。
「ふふ。そう見えますか?」
「はい」
「そうですね……。実は、これでもしかしたら長い夢から覚めるのかも知れないと思うと、心はいくらか軽いのです」
「夢、ですか――?」
「リアナさんは、前世というものを信じますか?」
「わかりません」
私は正直に答えた。
「私は信じています。というか、知っています。私は今の私になる前、ニホンという国で暮らしていたんですよ」
ニホンという国に聞き覚えはなかった。
少なくとも大陸にはない国だ。
「あれは5歳の時でした。私は階段から転げ落ちて意識を失って――。目覚めると、なぜか思い出していたんです。私はニホンで暮らす看護士で、夜、疲れ切って寝て――。起きたらなぜかこの世界で5歳児になっていて――」
「なんだか物語みたいですね」
「そうね。本当に私は、物語の中にいるかも知れないと思うの」
正直、とても本当のことには思えなかった。
大変なことが多すぎて、心の均衡を保つために、メルフィーナ様はそういう物語を自分の中に描いたのだろうか。
もちろん、そんな失礼なことは言えないけど。
でも表情で気づかれてしまったのか、
「死んだら帰れる、なんて、聖女たる者が口にする言葉ではなかったわね。大丈夫。儀式は必ずやり遂げてみせます」
と言われてしまったけど。
「……メルフィーナ様は、帰れるなら帰りたいのですか?」
私はつい、たずねてしまった。
「そうね――。年の離れた弟が学校で虐められているようだったし――。聖女として帰れるのなら助けてあげたいかな――」
「弟さんがいるんですね」
「あまり交流はなかったけどね。私はとっくに家を出ていたし」
「本当に、現実みたいな夢の世界だったんですね」
「本当に、そうね」
その後、メルフィーナ様は柱に拘束された瀕死の魔族に目を向けた。
「……このようなことまでしたのです。失敗はできません」
2人の魔族は意識を無くしている。
ぐったりとしていた。
メルフィーナ様の昏倒の魔術が完全に効いているのだ。
相手は魔王とその側近だと言うのに。
メルフィーナ様の魔力は、それほどに強い。
伝説の大聖女エターリアの再来とまで言われるのは当然のことだろう。
「あの、この子たちは儀式の後は――」
「リアナさんは光の化身を連れて、外に出てくれればいいです。後のことは、勇者オーリーが処理する手筈です」
たとえ生き残っても、殺されるのか。
それは当然だろうけど。
だって2人は、魔王とその幹部。
生かして帰せば、多くの人が殺されるに違いない。
でも……。
私の目に映るのは、瀕死の幼女と少女だ。
思っちゃいけないことだけど、可哀想に思える。
「儀式を始めます」
メルフィーナ様は言った。
いよいよか。
「はい」
私はうなずいて、壁際へと下がった。
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