第92話 異世界見学、丘にて
転移完了。
私が最初に飛んだのは、2つ首の大きな岩山が目につく小高い草原の丘だった。
空は青い。
よく晴れていた。
だけど異世界の風は日本より随分と涼しかった。
快適だ。
まずは自然の中で人目を気にせずに転移したことを実感してもらって、それから町に行く予定を私は立てていた。
まあ、うん。
のんびりするつもりだったけど――。
ガァァァァァァァァ!
と、いきなり近くにいた巨大なサーベルタイガーに威嚇されましたが。
ヒロにクルミちゃん、パラディンに根本さんが悲鳴を上げたり尻持ちをついたりする中、私は冷静に『威圧』を実行した。
牙を剥いてきた虎は、それで大人しく平伏した。
「よしよし。いい子だね」
私は優しい子なので、頭をなでてあげる。
「え。え……。大丈夫なんですか、その子……」
ヨヨピーナさんが震えた声で聞いてくる。
「うん。もう平気だよ」
完全に怖気づいているので、今更襲ってくることはないだろう。
「虎だよね、その子……。やっぱりファーさんはすごいねえ……。ねえ、ファーさん、私たちも虎に触って平気かな……?」
クルミちゃんは怖気づきつつも好奇心旺盛だ。
「やめなよ、クルミ! 危ないよ! ファーさんも離れた方がっ!」
ヒロは止めようとしたけど――。
結局、ヨヨピーナさんも加わって3人で虎の背中に触れた。
「この空気……。明らかに魔素の密度が濃い……。なるほど、異世界か……」
「自然の景色は同じだね。しかし、その虎は剣歯虎族――。我々の世界ではすでに存在していない種のように見えるね」
時田さんと根本さんは早くも分析モードだ。
「虎って……! おい、ヒロ、クルミ、ヨヨピーも危ねえって! 食われるぞ!」
パラディンはひたすらビビっていた。
普段は一番威勢がいいのにね。笑えるのです。
石木さんとアーシャさんは、虎には構わず落ち着いた様子で岩山を見ていた。
「これってー、動画に出ていた山よねー。セリオが知っているー」
「ああ……。間違いはない……。ここは僕の知る、北方大陸の北西部なんだ……。今は人間の王国があるというが……」
「ネスティア王国ね」
石木さんのつぶやきに私は補足を入れてあげた。
そう。
私が飛んだのは、ネスティア王国。
北の城郭都市ヨードルや水都メーゼからは離れた場所だけど。
むしろ王都に近い。
石木さんは、岩山とは別の方向に目を向けた。
アーシャさんもそれに倣う。
「遠くに町が見えるのー。大きなそうな町ねー」
「僕がいた頃と町の位置は変わらないのか……」
「住んでいたのー?」
「魔術普及のために、2年程度だけだけどね。苦労したものだよ。魔力のなんたるかも知らない無学の者たちに新しい力を与えるのは」
「じゃあ、ここで殺されたんだー?」
「いや。僕が殺されたのは、北方大陸の、もっと南側さ」
「ちなみに見えているのは、ネスティア王国の王都だよ」
私はそれも教えてあげた。
そう。
今日の見学ツアーは、ネスティア王国の王都に決めていた。
王都なら人も多いし、人種も集まるし、そんなに目立たないかなーと。
手持ちの金貨が、そのまま使えるのも大きい。
ついでにリアナの噂も聞けるかも知れないし。
暑くてだらけている内――。
3ヶ月も時間は空いてしまったけど……。
異世界の空気に慣れた後は、虎さんを解放してあげて、あれやこれやと王都へ入った時の注意事項を伝えた。
王都では、大きな声を出さず、私から離れず――。
大人しく見学しようね、と。
その程度ではあるけど。
ちなみに私は、王都の地理にはまるで詳しくない。
ただ、中央広場の場所は知っている。
以前に転移先登録のために訪れた時、そこだけは確認した。
広場から入った通りにはたくさんの市場があって、そこでは多くのお店が軒を連ねて多くの人で賑わっていた。
そのあたりを散策すれば、十分に楽しめるだろう。
広場からは大通り越しにお城も見えるしね。
「あと私はこれから髪の色を茶色に変えます。町では、お間違えなきよう」
私は魔法で髪の色を変えた。あと目の色も。
これだけで、かなり違うだろう。
ドレスは変えなかった。
あまり地味になりすぎると、みんなの目印にならないしね。
「お姉様、クズどもが攻撃してきた際には殺しても構いませんよね?」
「駄目です。無力化して下さい」
本気で言っていそうな石木さんに私は釘を差した。
「写真は……駄目なんですよね?」
ヨヨピーナさんが質問というか確認してくる。
「駄目です。異世界の写真と映像はカナタ専用です」
それについては事前に言ってある。
「配信はせず、個人用途では……?」
「駄目です。私の信頼を裏切るなら二度とお付き合いはしませんからね」
「了解しました! 決して撮りません!」
せっかくファーのえいえいおーチャンネルが上手くいっているのに、ここで人気配信者に異世界動画なんて配信されたら……。
私の弱小チャンネルなんて、泡と消えることは確実。
許されないのです。
「そういえば、お姉ちゃんは参加しないんですね」
ヒロが言う。
「カナタに団体行動は不可能です」
「あ、はい。ですよね」
私が説明すると、ヒロはあっさりと納得した。
自分で言っておいて何だけど、私は自分の評価の低さに心の中で泣いた。
「はいっ! 私も質問ですっ!」
クルミちゃんが元気に手を上げた。
「はい。どうぞ」
「セリ様とアーシャさんは、お付き合いしているんですか? 恋仲なんですか?」
異世界は関係なかった。
「ただの友人ですよ。恋愛関係にはありません」
「そうねー。種族も違うしー。私はー、こちらの異世界でー、魔族と恋仲になりたいわー。セリオとは良い友人でいたいわねー」
「そうなんですかっ! よかったです!」
クルミちゃんは感情がストレートだね。
次は根本さんが手を上げた。
「買い物は可能でしょうか? 異世界の品を持ち帰ることは?」
「それはいいですよ。お土産タイムは作ります」
「ありがとうございます。あと、では、異世界の権力者と会談を持つことは――」
「それは無理です。少なくとも人間とは」
「では、人間でなければ……? たとえば、魔族という者もいるとか?」
「魔族側であれば可能ですが、今回は連れて行きません。貴方が私から信用を勝ち得たら、その時には考えます」
「わかりました。誠意、お付き合いさせていただきます」
根本さんが高圧的な人でなくてよかった。
世の中には、俺は議員様だぞ! 俺の言う事を聞かないとは何事だ! と怒鳴り散らす人もいるみたいだしね。
そんな人なら記憶を消して即座に返したところだ。
「なあ、お姉様! 俺、異世界の女を口説いてみてもいいか? 異世界チャレンジ! 俺ならやれちまうと思わね? 面白そうだろ?」
「駄目に決まってるでしょ。蹴り殺すよ」
いきなり女遊びとか、シネと。
「そもそも言葉が通じませんよ」
石木さんが冷たく言う。
「はっ! 言葉なんてカンケーねーだろ! 俺はオランダから来た子と、ジャスチャーだけでオトモダチになったことがあるぞ!」
「あ、私、その動画見たことあります」
「ふふー。俺、すげーよな!」
「はい。すごかったです。本当にコミュ力が高くて尊敬しました」
ヒロがパラディンを褒め称える。
「楽しみだぜ、異世界の女! ぐはっ!」
私はパラディンの額を手のひらでつかんだ。
ぐいと力を込める。
「言うことを聞かないなら、このまま記憶を消して返すけど?」
「いたたたたた! 冗談! 冗談です! お姉様の言うことは聞きますからー!」
「はぁ。もう」
ヒロの前で他の女を口説いた話をするな、と。
というか、動画にしているのか。
そもそも天使様こそ私一筋という話はどこへ行ったのか。
まったく、ヒロこそ異世界でもっとマシな男を見つけるべきかも知れないね。
ともかく話はおわった。
私はみんなを連れて、王都の広場に転移した。
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