第75話 閑話・羽崎ヒロの楽しい夜の出来事
「できちゃうんだ」
あはは。
姉の軽口に、つい私は笑ってしまって、だけどすぐに表情を戻した。
私は羽崎陽路。
夜、部屋で勉強していたところ――。
ドアがノックされて――。
その相手は、まさかのお姉ちゃんで――。
今、2人で話している。
姉が私の部屋に来るなんて、本当に久しぶりのことだ。
姉は緊張した様子もキョドる様子もなく、平然とした様子で私に接している。
それどころか軽口まで飛び出すなんて……。
正直、目の前にいるのが私の姉なんて、ちょっと信じられなかった。
だって私の姉は……。
挙動不審で、自分に自信がなくて……。
何をやるにもトロくて……。
見ていると、正直、イライラしてくるようなタイプだったから。
今の姉は完全に別人だ。
いったい、何があって、どうしたんだろう……。
「ねえ、お姉ちゃん」
私は、今夜はどうしたのと聞きかけて――。
「――お姉ちゃんって、ファーさんとは昔からの知り合いなの?」
質問を変えて、たずねた。
姉が普通なのは、良いことだろうし。
「ネットでね。詳しくは言えないから、ごめんね。ファーさんのことは秘密なの。普通とは違う力を持っているヒトだしね」
「それはわかる。でも私とは会ってくれるんだ?」
「特別にね」
「ありがとうございます、って伝えておいてくれる?」
私がお願いすると――。
なぜか姉が笑った。
「なに?」
私が不機嫌になってたずねると――。
「あはは。ごめんね。ヒロは、やっぱりしっかりしているなと思って」
「そんなことはないけど……」
やっぱり、今日の姉は変だ。
まるで本当に年上のヒトとしゃべっている気がする。
「それでね、ヒロ。実はファーさんの方からも、ひとつお願いがあるんだけど」
「うん。なに?」
「当日には石木セリオさんを呼んでほしいの」
「……どうして?」
「会ってみたいんだって」
「……それって、もしかして、ファンとか、そういうのなの?」
石木さんは超イケメンだし。
「かもね」
姉が笑って答える。
「そうなんだぁ……」
私は正直、かなり残念な気持ちになった。
だって、うん。
会うなら2人がよかったし。
しかもファンなら、私なんてカヤの外に置かれそうだ。
「というのは冗談。安心して、ファーさんが会うのは、あくまでヒロだよ。石木さんの方がむしろおまけだから。彼とは先日の事件についての話がしたいんだって。石木さんが実は何かを見ていないかどうか、それが知りたいみたい」
本当に今夜の姉がおかしい。
良い意味でだけど。
私が密かに拗ねると、優しい笑顔でそうフォローされてしまった。
カナタのクセに生意気……。
私はつい、そう思ってしまったけど――。
「ちなみにこれも、詳しい話は聞かないでくれると嬉しいかな。ヒロが楽しく暮らすには知らない方が良いことだから」
「お姉ちゃんは知っているんだ……?」
「ほんの少しだけね。友達だから」
「そっか」
「私はほら、引きこもりの無職だから、秘密をもらす相手もいないし安全だしね」
「ネットがあるでしょ」
「そうだね。そうだったよ」
姉がまた笑う。
キョドったところのない、明るい笑顔だった。
本当に、どうしたんだろう……。
バカナタなのに……。
私は思いつつも、別のことをたずねた。
「そういえばお姉ちゃん、撮ってきた動画の配信はしないの?」
最近、姉は、動画撮影で夜遅くまで活動していた。
どんなものなのか気になる。
「正直、編集に悩んでいてね。停滞しているの」
「そっかぁ。だからゲーム配信もしていないんだね」
「まあね。って、ヒロ、私のゲーム配信なんて、チェックしてくれているんだ?」
「え」
「あ、違うの?」
問われて、私は焦った。
だって、うん。
実は姉の配信を見ているどころか――。
なんて、恥ずかしくて言えないし。
「まあ、いいけど。じゃあ、そういうことで、連絡をよろしくね。連絡がついたら私にも教えてくれると嬉しいかな」
「うん。わかった。すぐに知らせるよ」
話をおえて、姉が部屋を出ていく。
私は1人になった。
「はぁ」
なんとなく疲れて、私はため息をついた。
不快な時間ではなかった。
楽しくもあった自分の胸中が、正直、複雑ではあったけど。
「連絡、してみようかな」
私は早速、石木セリオさんに連絡を取ってみた。
連絡先は知っている。
彼のプライベートなSNSに、ダイレクトメッセージを送った。
内容はこうだ。
――こんばんは、羽崎陽路です。実はファーさんから、日曜日のことで石木さんと会って話がしたいの伝言を受けました。どうでしょうか。
石木さんは多忙な人だし、日曜日までに返信が来るといいけど……。
と思っていたら……。
なんと……。
即座に返事が来て私は驚いた。
ピコン。
とアラームが鳴って――。
――行きます。いつどこに行けばよいでしょうか? 明日でも大丈夫です。今すぐにでも出られます。
それは、思いっきり全力の了承だった。
「……さすが、わざわざ天使様後援会に来るだけのことはあるのね」
と思ってたら……。
なんと石木さんからボイスチャットの誘いが来た。
私はスマホでそれを受けた。
「はい。もしも――」
『羽崎さんは、ファー様と会ったのかい!? 僕を呼んでいるのは本当のことかい!? 冗談ならここで違うと言ってほしいのだが!』
「え。あ、えっと」
私は姉のようにどもりつつも、頑張って、
「多分、本当のことです……。私の伝言を受けただけなのですが、私の姉ですし、嘘をついても何もない相手ですから……」
姉が、私や石木さんに嘘をつく理由はない。
そもそも姉は、嘘や冗談で人をからかったりはしない人だ。
キョドっていても、優柔不断でも――。
姉は真面目で誠実な人だ。
『お姉さんは、ファー様とは知り合いなのかい!? いったいどこで!? いつ!?』
「ネットの友人らしくて……。詳しくは秘密とのことで。なので駄目なら駄目で……」
『もちろん行くさ! 君からの連絡なら十分に信憑性はある! ファー様……。ファー様……。ファー様……。ああ……』
石木さんは、相当、ファーさんに入れ込んでいるようだ。
恍惚の声が聞こえて――。
それがまたイケボで、色気があるので、私はスマホごしに照れてしまった。
『……しかし、ネットか。時代だね』
「実は私の姉、ネットでファーという名前で動画配信をしていて、名前つながりで知り合ったんだと思いますけど」
私は苦笑しつつ伝えた。
『それはまさかファー☆えいえいおーという子かい? 最近は異世界動画を上げていた』
「はい。まさにそれです」
私はうなずいた。
確かに姉は、最近、変な動画を上げていた。
異世界の景色とか、なんとか。
石木さんは、それを見たのだろう。
呆れられてしまったのか、返事はすぐにはなかった。
だけど、しばらくして――。
『ああああああああ。あああああああああああああああああああああ!』
という――。
またも色っぽい恍惚の叫びが聞こえて――。
私はドキドキしてしまったけど。
『そうかぁ! そういうつながりがあったのかぁ! ヒロくん、僕は今、感動しているよ! 感動を本当にありがとう!』
「いえ、私は何も……」
『お姉さんにも、よくお礼を言ってほしい! できることがあれば何でもするから!』
「あはは。そこまで言っていただかなくても――」
私は言いつつ、ふと思うことがあった。
「あのそれなら、ひとつ」
『何だい!?』
「実は、私の姉、ゲーム配信をしているんですけど――。最近、伸び悩んでいて――」
私は姉の配信のことを相談した――。
すると――。
『わかった! それなら任せておいてほしい! この話のお礼に、最高に勢いのある配信者とのコラボを組んでみせるよ!』
なんとびっくり、登録者100万人を超えるような人の名前を出されて――。
「あ、いえ。そこまでではなくていいので! むしろそれは駄目です! 姉がリスナーに叩かれて潰されてしまいますので!」
あわてて私は断った。
残念ながら、配信者にはヒエラルキーがある。
ヒエラルキーを越えてのコラボは、反感しか生まないものなのだ。
『……そうか。そうなると逆に難しいね。多くても登録者1万程度の子か。でも、なんとかいい子がいないか探してみるよ』
「すみせません。よかったらでいいので、お願いします」
『全力で探すよ! 任せてほしい!』
「……あはは。お手柔らかに、よろしくお願いします」
自分で頼んでおいて何だけど――。
大事にならなければいいけど……。
『あー、しかし! ああああああああああああ!』
「どうされたんですか?」
『いや。失礼。そういえば、ひとつ、困ったことがあった。僕は事情によって、先日の事件の町には行けないんだ』
「事件の町というと――。となりの市のことでしょうか。公園のある?」
『ああ、そうか。あの公園があるのは、ファー様の現れた市ではなかったね。そういえば』
「はい。待ち合わせは、一応、私の市の駅前――。先日、パラディンさんたちと集まったのと同じところなのですが――」
『それなら大丈夫だ。ははははっ! そうか! 考えてみれば、時田のヤツめ! 意味のない約束を持ちかけてくれたものだ!』
ともかく話はまとまった。
石木さんは、何が何でも来てくれるそうだ。
通話を切る。
「あはは。ヘンなの」
私は、まず笑った。
だって、うん。
完璧イケメンだった石木さんのイメージが、わずかな通話でがらりと変わってしまった。
さっきの石木さんは、完全におかしな人だ。
いったい、どこまでファーさんに惚れ込んでいるのか。
気持ちはわかるけど。
私は1人、クスクスと笑い続けた。
しばらく笑った後、新しい悩みを見つけて、うーんとうなったけど。
「……そう言えば、クルミにも言った方がいいのかなぁ。これ」
クルミは石木さんの大ファンだ。
こっそり会っていたなんてバレれば後で恨まれる。
どうしようか。
困った。
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