第72話 その時、世界は白煙に包まれて



 ジルは動かなかった。

 座ったまま、ぼんやりと私のことを見ていた。

 その目は、眠たげなままだった。


 あーこれは……。

 魔王相手に中間ランクの『Ⅴ』では、効果が弱すぎたかな……。


 と、私が思った時だった。


「ひゃうあうえいとしいああろおおお!」


 突然、ジルが変な叫び声と共に空中に飛び上がった。

 私は戦慄する。

 ジルがいきなりキメたもの――。

 それはまさかのジャンピング土下座だった。


 漫画では見たことがあるけど、本当にやる人がいるとは……。


「ももも、申し訳ありませんでしたなのー! その威圧、その笑顔、会ったことはなくてもジルには理解できたなのー! まさか本当に伝説の大魔王様とは思わず、本当に失礼をしてしまいましたなのー! どうか怒りをお鎮めくださいなのぉぉぉ!」


 頭を地面にこすりつけて、ジルが叫ぶ。


 あれ。


 私、思う。


 これって効果がなかったどころか、効きすぎた……?


「別に怒ってはいないから、顔を上げて。ね?」

「は、はいなの……」

「えっと。いきなりごめんね? とにかく連れて行ってあげるから魔王領に帰ろ? ね?」

「わ、わかりましたなの……」

「ほら立って」


 促すと、ジルは私の様子を伺いつつ、おそるおそるに身を起こした。


 そんな様子を、冒険者のみんなは見ていたわけで……。


「――ファーさん、貴女は誰なのですか?」


 と、クラウスさんに問われるのは当然の結果だろう。


「ファー、おまえ、そこの魔族と知り合いなのか?」

「ファー殿、説明してほしい。これには、どのような事情があるのだ? 俺は、仲間と認めた相手に剣を向けたくはない」


 ラッズさんとゼンさんにも疑惑の眼差しを向けられた。


 私はテンパった。

 どう説明すればいいのか。

 わかりません。


 するとジルが怒りも顕に叫んだ。


「ええい! 静まれ! 静まれなの! このお姿が目に入らないのなの! こちらにおわすお方をどなたと心得るなの! 恐れ多くも伝説の大魔王! 闇の女王! ファーエイル様にあらせられるであるなの! ええい! 頭が高い! 控え――」


 あと少しのところで最後まで言い切れず、ジルはもごもごした!

 私がうしろから口を押さえたからです。


「あはは。えっと、これは、あの。友達の友達的な、あれでして……。決して怪しいことはないんですけれどもね……。ホントに……」


 我ながら言い訳が苦しい。

 苦しすぎて、私も最後まで言い切ることができなかったよ……。


 私が言葉を詰まらせていると……。


 兵士の隊長さんが、震えた指を私に向けて――。


「魔族……。こいつも魔族なのか……。やはり、その髪とその目は、闇の眷属の証明……。父上はエルフとか言っていたが謀ったのだな……」

「父上って……」

「俺の父は、この地を治める男爵! この俺に見つかったのが運の尽きだったな! ええい! ものども早く始末しろ! 魔族とはいえ、たかが小娘2人! 押し潰せ! 八つ裂きにしてこの地の平和を守るの――。ぎゃふ!」


 揃いも揃って、どうして時代劇なのか!

 私がツッコムより先に――。

 男爵の息子と名乗った兵士の隊長が、のけぞって倒れた。


「うるさいなの」


 ジルが指を弾いて、空気の球を飛ばしたのだ。


 兵士たちの間に動揺が広がる。


 やられた……。

 坊っちゃんがやられたぞ……。


 その動揺は、すぐに怒りへと変わった。

 マズイ……。

 斬りかかられるのは時間の問題だ。


「ち、ちがうの! 私は別に魔族でも大魔王でもなくって! ただの人間――と言えるかはわからないけどそんな感じなのー!」

「――残念です。ええ、とても。何を計画していたのか、聞かせてもらいますよ」


 ああ……。

 クラウスさんに剣を抜かれてしまった。


「ったくよぉ……」

「本当に違うというなら、その魔族を離して、大人しく投降しろ」


 ラッズさんとゼンさんにも、完全に誤解されたようだ。


 ジルを渡すことはできない。

 私も投降は嫌だ。

 だって、どうせ、牢屋に入れられて、尋問とか拷問とかされるんだろうし……。

 というか殺されるのか……。

 だって違うとは言ったけど、本当は闇だしね、私……。


 私が途方に暮れていると――。


 ボンッ!


 と、いきなり何かが爆ぜて、あたり一面が真っ白な煙に覆われた。


「なっ――!」

「煙玉ですか、これは!?」

「落ち着け! まずは防御態勢を取れ! 来るぞ!」


 ラッズさんたちの声が響く中――。


「こっち……! その子も一緒に……! 早く……! まずは逃げるよ……!」


 そう言って私の手を取るのは、シータだった。


「これってシータが?」

「うん。そう。とっておきの煙玉。こういう時に役立つよね、これ」


 私はどうしていいのかわからず――。

 シータに引かれるまま――。

 ジルのことも連れて、騒ぎの現場から走って離れた。


 シータは、迷うことなく近くの藪の中に入る。


「へへー。逃げ道は、ちゃんと確認してあるからさ。任せてよ。このまま丘をひとつ越えれば旧街道に入れるからさ、そこからどこにでも行けるよ。男爵領からも離れるから、追っ手が来るとしても時間はかかるしね」

「えっと……。助けてくれるんだ……。私たちのこと……」

「事情はわかんないけどさ、種族なんて関係ないしね、外で生きてきたアタシには。仲間を助けるのは当然でしょ」

「仲間って……。私、取り逃げしたことはないけど?」

「あはは! はぐれもの仲間でしょ! それに、そんな小さい子を殺すとか駄目でしょ。普通に考えてありえないよね」

「まあ、それは、ね……。ありがとう、助かったよ……」

「どういたしまして」


 転移魔法でさくっと逃げることはできたけど……。

 それだと完璧に私は、ラッズさんたちの前で魔族だと宣言することになる。

 逃げるのは同じだけど……。

 そうならなかったのは、不幸中の幸いだった。

 まだ、うん。

 ほんの少しだけ言い訳の余地はあるよね……。あってほしい……。


「不本意なの。ジルに命令してくれれば、あんなニンゲンども即座に皆殺しだったの。ファー様が逃げるなんて駄目なの」

「いいのー。私、無駄な殺しはしないからねー。ジルのことだって殺さなかったでしょー」


 ジルは不満を言いつつも大人しくついてきた。


 私たちはそのまま走って――。

 走って――。

 気づけば、森の中で、いつの間にか完全に夜になっていた。


 ただ、視界はある。


 シータとジルは夜目が利くというし、私も同じだった。


「ねえ、シータはこれからどうするの? 私たちと一緒に逃げちゃって……」

「あはは。アタシは平気だよ。普通にキャンプ地に戻ってシレっとしてるさ。アタシの顔なんて誰も見てなかったしね」

「……大丈夫なの、それ」


 最悪、投獄どころか尋問とかされそうだけど。


「へーきへーき。臨時雇いの作業員なんて誰にも気にされないよ」


 私たちは丘の上まで走って、そこで足を止めた。

 丘の上は少しだけ開けていて、遠くの眼下に古い街道を見て取ることができた。

 シータとはそこでお別れする。


「じゃあ、元気でね、ファー。また会えるといいね。ジルちゃんも」

「ハァ……。ニンゲンごときにちゃん付けされるなんて屈辱なの。だけど、おまえはファー様の仲間のようだから特別に許すの」

「あはは。ありがと」


「あ、そうだ!」


 私はアイテムBOXから金貨の入った革袋を取り出して、シータに渡した。


「これ、あげるよ。お礼」

「ありがと。って! え! 金貨!? しかも大量!?」

「うん。使って」

「これだけあれば何年でも遊んで暮らせるけど!?」

「無駄遣いはしないようにね」

「うわあ! やった! ――って、いいや」


 大喜びしてから、シータは息をついた。そして私に革袋を返してくる。


「どうして?」


 お金、大好きそうなのに。


「こんな大金を持って帰ったら、それこそ怪しすぎる」

「どこかに隠しておけば?」

「私、もらうより取り逃げることに生き甲斐を感じるタイプなんだよね。だからなんか、もらったら負けな気がする」

「えー。なにそれ」

「あはは! じゃ、そういうことで!」


 金貨を受け取ることなく、シータは行ってしまった。


「元気なヤツなの。ふぁぁぁぁぁ……。ジルは空腹で走りすぎて、眠くなってきたの。そろそろ落ちてしまいそうなのお」

「ジルは、もう少しだけ我慢して。すぐに帰るから」


 私は『テレポートⅩ』を使った。

 転移先は、魔王ウルミアの拠点。

 ジルとウルミアは友達だし、とりあえず保護してもらおう。


 転移先のテラスには、悪魔の執事さんがいた。

 私が現れても驚くことなく「ようこそおいで下さいました」と頭を垂れてくれる。


「この子のことをお願いしますっ! では!」


 私は我が家の部屋に帰った。

 時計を見る。

 時刻は午後9時を過ぎていた。

 遅くなるとは言ってあるけど、これは確実に怒られるヤツだぁ。


 私は『羽崎彼方』の姿になって、窓から外に出て――。


「ただいまぁ……」


 玄関から普通におうちに帰り直した。


 はい。


 お母さんに怒られました。

 遅くなるとは言っても、いくらなんでも遅すぎる、と。

 どうしてスマホの電源が切れているのか、と。

 10時までに帰ってこなかったら警察に連絡するところだった、と。

 ごめんなさい。

 今日だけはどうしようもなかったんです、本当に……。


 たっぷりと絞られて、私は部屋に戻った。

 私は1人になる。

 ようやくおわったぁ、という開放感はあるものの……。

 正直……。

 私の心は、とてもとても重かった。

 とてとてだ。


 私、異世界でもやってしまいました……。


 これで私、異世界の人間社会では指名手配犯かなぁ……。

 もう素では歩けないよねえ……。

 せっかく、リアナにシータ、ラッズさんたち、たくさんの人と仲良くなれたのに……。


「あああああああ……」


 私はうめいた。


 とはいえ死者を出さずに、ジルを魔王領に返してあげられたのは良かった。

 私は頑張った。

 それだけは確かなのだと思うことにはした。






※初めてギフトをいただきました! ありがとうございました!

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