第37話 観察の賢者3(石木セリオ視点)




「まずは、名乗らせてもらおう。私は時田京一郎。『センチネル』に所属する魔術師。意味がわからなくはあるまい?」


 本当に僕は油断していた――。

 いや、それでも、周囲の様子には気を配っていたつもりだ。

 目の前にいる男は、いくら魔法を使っていなかったとはいえ、僕の知覚をすり抜けて目の前に現れているのだ。

 すなわち、只者ではないということだ。

 時田京一郎――。

 その名は知っている。

 魔術結社『スカラ・センチネル』において第3階位『ウィザード』の称号を持つ、世界に20名しかいないという大魔術師の1人だ。


 魔力は目の前で凝視して、ようやくわかる程度のものだが――。

 それは逆に精密なコントロールができている証左と受け取るべきだろう――。


「君のことは見たことがある。石木セリオ。有名なモデルだ。ローブ姿の女は、人間ではないな。闇に蠢く魔性か」


 時田が言う。


 僕は心の中で舌を打った。

 『異世界帰り』から数年、ついに現代の魔術師に存在を知られた。

 かの御方の存在を前に僕も焦っていたのか。


「じゃあ、私はこれでー。確かに私は魔性なのでー、貴方に関わるつもりはないのー」


 アーシャが闇に溶けて消える。

 文句はない。

 余計なことを言われても困るので、むしろいない方が良い。


 さて、どうするか――。


 僕は強い。

 自分の魔法には自信がある。

 だけど、それが完全でないことはわかっている。

 実際、僕は『大帝国』崩壊後の異世界で、いくら不意を打たれたとはいえ、ただのナイフの一突きで命を落としている。


「実は君とは、すでに一度争っている。『石』の落札で、ね。残念ながら金額を上げすぎたせいか出品者には消えられてしまったが――。アレはやはり本物なのかね。本物だとするなら、有り得ない高純度だが」

「残念だけど、何のことを言っているのかわからないね」


 オークションを実名で登録したのは失敗だったか。

 とはいえ僕の名は広く知られている。

 ハンドルネームとして付ける者がいたとしても、別に不思議ではないことだ。


「フ。それならばいい。あとは出品者から直接に聞くとしよう」

「個人情報を調べられるツテがあるのかい?」

「私にはね」

「――『センチネル』には、だろう?」

「安心したまえ。当然だが、他の魔術師には何も言っていない。まずはすべて、私が自分で真偽を確かめてからだ。――さて、私からも質問をいいかな?」

「聞くだけは聞いておこう」

「彼女は誰かね?」


 それがアーシャのことでないことは明確だった。

 それは間違いなく、かの御方のことだ。

 いや、正確には――。

 その姿を模した偽物だけど。


 僕が返事をしないでいると、時田は言った。


「異世界」


 と。


 そして、しばらくの間、僕と視線をぶつけ合った後――。

 時田は哄笑を始めた。


「ククク! ハハハ! そうか! 君は異世界の実在を信じているのだな! 彼女も石も異世界に連なる可能性があると踏んで調べに来ているのだな! ハハハハ! 実は私も同じだよ、石木セリオ君! 私も異世界は実在すると考えていてね、何故なら様々な魔術で未解明の自称が、そうすれば説明がつくのだよ! 君もそう思うのだろう!?」

「――ああ、そうさ」


 僕はうなずいた。


 時田の推測は、大いに外れている。

 何故なら僕は『異世界帰り』。

 異世界は在る。

 そのことを知っている者だ。


 しかし、時田ほどの魔術師をしても異世界の存在は推測でしかないのか。

 彼の言葉はすべて、ただの誘導の可能性はあるが――。


「では、死んでもらおう。異世界に近づくライバルは不要なのでね」


 急に真顔に戻って、時田は言った。

 どうやら本気のようだ。

 次の瞬間だった。

 時田が小さく指を動かすのに合わせて――。

 突然、何本もの雷撃が、空中から石畳の広場に降り注いだ。


「なっ!」


 僕は咄嗟に防御障壁を展開させた。

 ギリギリのところで間に合った。雷撃は障壁にあたって四方に弾け飛んだ。

 危なかった。

 まさか呪文の詠唱なしに魔術を放ってくるとは。

 しかも強力な。

 どうしてそのようなことができるのか。

 その理由は把握できた。

 時田が指にはめた、指輪による作用だ。

 指輪には低純度とはいえ、こちらの世界で手に入る魔石が埋め込まれている。その魔石に蓄積されていた力を解放させたのだ。


 とはいえ、それはいい。


 時田の行いには、そんなことよりも非難するべき部分があった。


「おまえは、無関係の者も殺す気か!」


 僕は叫んだ。

 そう――。

 広場にはパラディンたちが倒れているのだ。

 時田が放った雷撃は範囲攻撃であり、僕が障壁を広げて弾かなければ、確実にパラディンたちをも貫いていた。

 パラディンたちは、間違いなく雷撃には耐えられない。

 完全に殺人行為となる。


「知らんな。ただの自然災害だろう? 不運なことだ」


 なのに時田は悪びれた様子もなく、ニヒルな笑みを口元に浮かべた。


 僕は反論しなかった。

 魔術の存在は世間から徹底的に秘されている。

 それは知っている。

 どれだけ不自然でも、そう結論づけさせる力が『センチネル』にはあるのだ。


「しかし、瞬時に出したとは思えぬ強度の障壁だ。私と違って、魔道具を使った様子もないが――。セリオ君はいったい、どこの誰に学んだ、どこの流派の魔術師なのかね?」

「さあね」

「まあ、よかろう。いずれにせよ、これでおわりだ。――世界に広がりしマナ、赤き火の力よ、我が呼び声に応じて我が元に集い給え。古の言葉に即して形を成し、我が眼前を紅蓮の花に染め給え。――イグニス、イグニス、フロウス、スパーゴ」


 時田が詠唱する魔術が何なのかは、魔力の収束する具合でわかった。

 ファイヤー・ボール。

 火属性の爆発魔術を放つつもりなのだ。

 僕は障壁を前方に収束させて、その攻撃に備える。


 魔術が発動される。

 僕はそれを障壁で受け止める。

 火の玉が障壁で弾ける。

 それは、凄まじい閃光と衝撃だったけど、僕の障壁を破るには至らない。


 僕は確信した。


 このファイヤー・ボールの魔術が時田の実力ならば――。

 僕の敵ではない。

 適当に戦闘不能にさせて、尋問するとしよう。


 シュパパパッ!

 シュパパパッ!


 そこに機械と火薬の音が響いた。


「がっ! バ、バカな……」


 僕は自分の体が、真っ赤に燃えるのを感じた。

 一瞬、何が起きたのか――。

 どうなったのか――。

 理解することができなかったけど――。


 すぐにわかった。


 アーシャがいなくなって、晴れていく霧の中――。


「フ。魔術師だからといって、魔術だけが戦闘ではなかろう? 君の障壁は大したものだが、あくまで対魔用だ。見ればわかる」


 サイレンサーの付いたオートマチックピストルを手にした時田が――。

 その3点バーストで躊躇なく僕のことを貫き――。

 小さな笑みを浮かべていた。


「さて、しかし、射殺したとあっては現実味が過ぎる。そこで君には、とっておきの絶望をプレゼントしよう。喜んでくれよ、貴重品だ」


 時田がポケットから、小さな瓶を取り出す。

 コルクの栓を空けて、口を下に向けた。


 すると……。


 邪悪な気配に満ちた黒い泥が、足元に落ちて、広がる。


 がぁ……。

 ぐがぁ……。


 地の底から不気味な声が聞こえる。

 地面から腐乱した手が現れる。

 僕はそれを、必死に意識を保ちながら見ていた。


「ククク。君は、倒れている友人たちと共にグールに貪られるといい。世間を賑わす謎の猟奇事件となってくれることだろう。そして当分の間、この公園に世間の目を集めておいてくれ。その間に私は異世界の真実を知るとしよう」


 クソ……。

 どうして僕は不覚ばかり取るのか……。

 現代世界での優雅な暮らしに、完全に気持ちが緩んでいたのか……。

 異世界で僕は魔人だった。

 自らの意思で魔石を体に埋め込み、人であることを捨てていた。

 その肉体強度で、今も自らを信じてしまっていた。

 今はただの人間だというのに。

 いや、不覚を取るのは異世界にいた時も同じか……。

 本当に僕は――。

 ああ……。

 アンタンタラスの呆れた笑い声が聞こえる――。

 ヤツは本当にうっとうしかった。

 僕がごくごく稀に失敗すると、いつものことのように言ってくるのだ。


『だから言っているのです、君はお人好しが過ぎると。見通しが甘い。思考が楽観的すぎる。何より人を信じすぎる。いいですか? 物事というのは、疑うことから始めるべきなのです。信じることから始めるなど有り得ませんよ』


「……残念だけど、疑ってみてもこのザマさ」


 痛みと熱気の中、僕はぼやいた。

 回復魔法を使いたかったが、集中が途切れてうまくいかない。

 胸に手を当てると――。

 流れ出す熱い血を感じた――。

 ああ――。

 どうやら深刻な場所に弾丸は当たっているようだ――。


 それでは――。


 さすがに無理か――。


 でもせめて――。


 最後はお人好しに、聖騎士たちの盾にはなってみせようか――。

 僕は最後の力を振り絞って、疑って巻き込んでしまった者たちを守ることを決めた。

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