第20話 閑話・ふたつの夜 現代世界編、異世界帰りの賢者

 出品者からの返信は早かった。

 質問を出した当日の夜の内には動画がアップされて、透明な石の中で渦巻いて動く赤い光を僕はこの目で見た。


「どうー? 本物だと思うー?」

「見た目だけならね。まさにこれは魔石だと思うよ」


 スマートフォンを横から覗き込んでくる彼女に、僕は愛想よく答えた。


 僕は石木セリオ。

 登記上の年齢は21。

 ネット配信とモデル活動を基軸に知名度と影響力を手に入れて、インフルエンサーとして成功して何不自由なく暮らす男。

 それは偽りの自分ではあるけど、そうして存在している者だ。


 そして今、僕が1人でのんびりとしていたのは、首都圏の郊外、町に加えて自然も見渡せる高層マンションの一室。

 いくつか所持している物件の内のひとつだ。


「なら奪うー?」


 そう言ってクスクスと笑う彼女は、いつ先程まではいなかった。

 不意に現れて、当然のように話しかけてくる。

 外見年齢は僕と同年代。

 ゆったりとした服を着こなし、明かりをつけていない暗い部屋の中、窓ごしの星明かりに髪を煌めかせる妖艶な女。


「それは慎重になった方がいいかな。なにしろ、この『石』は確かに魔石に見えるが、まだ本物と決まったわけではないからね。これくらいのものなら、フェイクなんて簡単に用意できてしまう時代だからね、今は」

「本物を知ってさえいれば、よねー」

「うん。そうだね。ただ、こうしたアイテムは多くの物語にも普通に登場もするから。たまたま偶然という線もあるかな」

「ふーん。その割には熱心に見ているわねー。異世界帰りの勇者様はー」

「僕は勇者ではないよ。『賢者』だ」

「ふふー。怒ったー」


 ほんのわずかに怒気を込めて訂正すると、彼女はクスクスと笑う。

 僕は、その態度に――。

 椅子から立ち上がると、魔力を励起させて忠告した。


「魔女エミネンス・クライ。前にも言ったけど、僕の『賢者』という称号は、何者でもないどころか地の底にいたこの僕が、かの御方から直接いただいた命よりも大切なものだ。僕はその名誉を守るためなら誰とでも戦うよ」

「失礼。訂正するわー。賢者様ー」

「ならいいけど」

「でも、そちらも訂正してほしいわー。私の名前はー、アーシャ・ミオルネよー」

「わかったよ。ミオルネ」

「アーシャ、で、お願いしたいわー」

「わかったよ。アーシャ」


 訂正すると、魔女――アーシャは満足するように、その唇を三日月の形に変えた。

 今のは、まあ。

 あまり好ましくはないけど、いつものやり取りではある。

 なので僕は、しつこくせずに話をおわらせた。


 僕は中学生の時に一度死んだ。

 だけど僕は死なず、異世界への転移を果たした。

 僕は幸運にもかの御方に拾われ、異世界で生きる権利と自由をいただき、魔法を始めとしたあらゆる知識を学び――。

 魔石の力を取り込んで、自らの存在すら理想へと変えて――。

 研鑽を重ねて、わずか20年という期間で『賢者』の称号をいただき――。

 それから400年以上――。

 さらに努力を惜しまず、かの御方のために働いた。


 だけど――。


 僕を生まれ変わらせてくれたその世界――『大帝国』は崩壊してしまって――。


 だけど僕は、かの御方の理想を果たすため――。


 すべての人種が幸せに暮らせる世界を目指して頑張ったけど――。


 殺されて――。


 何故か再び、現代日本に帰ってきた。

 しかも時間を巻き戻して――。

 殺される前の、夜の橋の下で暴行を受けていたその時に――。

 進化した容姿と、『賢者』としての力を所持したまま。

 残念ながら中身としては、普通の人間に戻ってしまっていたけど。

 異世界での僕は、自らの意志で魔石を体に取り込んで、屈強な魔人へと進化していたのに。

 僕は、救いようのない連中のすべてを灰に変えて――。

 異世界で進化した美貌を元手に、魔法については最低限の行使に留めて――。

 わずか数年の内に、現代日本でインフルエンサーとしての地位を手に入れた。

 今の僕は、いくつもの部屋や車を所有して、超高価なアンティークを並べて、人々から羨望される存在だ。

 正直、目立ちすぎたかな、とは思うけど――。

 やりたいことをやるためには、金と名がいる。

 それ故の必然でもあった。


「僕の目的はたったひとつ。異世界に帰ることだ。こちらの世界のことは好きにしていいから、協力を頼むよ、アーシャ」

「ええー。わかっているわー。と言っても、私も別にこちらの世界でしたいことはないけどねー。もう十分に好きにしているしー。どうせなら私も異世界に行ってみたいわー。私も魔女として300年を生きて、もうこの世界には飽きているしー。自分でいうものなんだけど、魔物や魔族との方が気は合うと思うのー」

「ははは。それはそうかも知れないね」


 アーシャとは数年の付き合いになる。

 異世界から帰ったばかりの僕に、アーシャが目ざとく気づいたのが始まりだった。

 最初はもちろん、こちらの世界にも魔術師がいたのかと、僕はそのことを知らなかったので大いに警戒したものだけど――。

 アーシャは隠すことなく、この現代世界にも魔術師がいて、魔術師たちの結社すら存在していることを教えてくれた。

 それは、『スカラ・センチネル』――単にセンチネルと呼ばれることの多い組織で――。

 この現代世界で、魔術の知識を独占的に支配しているそうだ。

 それ故に、世界中の政財界に強い影響力を持っている。

 僕も密かにいろいろと調べたけど――。

 『センチネル』は、自分達の権益を守るためならどんなことでもしてくる、極めて凶暴で危険な組織だとの結論に至った。


 ちなみにアーシャはモグリの存在だった。

 『センチネル』には所属していない。


 アーシャがいなければ、僕は次第に環境に慣れて魔法を大胆に使うようになって、やがて彼らに僕の存在は露見したことだろう。


 なのでアーシャのことは、異世界のことを話す程度には信用している。

 誰にも話せないというのはさすがに寂しいしね。

 アーシャは今のところ、僕の秘密を誰にも語っていない様子だ。

 少なくとも僕の『鑑定』スキルで見る限り、虚言や背信のステータスはついていない。


「でー、『石』はどうするのー?」

「もちろん落札するさ」

「ライバルになっちゃおうかなー」

「その時には、悪いけど」

「本気にならないでー。冗談だってばー」


 現代世界にも魔石は存在する。

 だけどそれは、異世界のものと比べて極めて純度が低かった。

 全体的にぼんやりと石の中に魔力が滲む程度だ。


「それでー。『彼女』の方はどうなのー?」

「んー。正直、わからないね……」


 アーシャが言う『彼女』とは、今、世間を賑わせている動画に映る存在のことだ。

 パラディン北川という男が偶然にも録画した映像――。

 そこには僕のよく知る、忘れるはずもない、何もなかった僕にすべてを与えてくれた、僕の価値観のすべての根源にある――。

 かの御方――。

 その至高なる御姿が――。

 何故か短パンにTシャツという現代着の姿で、確かに映っていた。


 かの御方は、すでに昇天されたはずなのに。


「聖騎士様は、念の為に狂ってもらっておくー? してあげようかー?」

「まずは会ってみるよ。日曜日に会議を開くそうだから、混ぜてもらうつもりさ。そこで実際の目撃者達から話を聞けば真偽は判明するしね。だから狂わせるのはやめておいてよ」

「わかったわー」


 僕には『鑑定』のスキルがある。

 人の心理状況は、それなりにわかるのだ。


「あ、でも、そうだなぁ……。まずないとは思うけど、この件に他の魔術師が関わっているかどうかを知りたいから――」


 僕はアーシャに、ちょっとした罠をお願いした。

 アーシャは快く引き受けてくれた。


「ちなみにー、ファーという名前に心当たりはあるのー?」

「んー。そちらは特に、だね」


 僕は肩をすくめた。


 ファーエイル。


 それがかの御方の名であることを僕は知っている。

 だけどそれは決して口には出さない。

 なぜならそれは、あまりにも不敬であるからだ。

 もしものこの件が、万が一、僕のような『異世界帰り』あるいは『異世界人』を誘い出すための罠であるのならば――。

 おそらくそれは、『センチネル』によるものなのだろう。

 僕はついに敵対するのかも知れない。

 しかしこの件が彼らの罠であるならば、何故、彼らがかの御方について知っているのかを聞かねばならない。


「もしも本人だったらー。私も忠誠を誓わせてねー?」

「それは本心で言っているのかい?」

「ふふ。賢者様にそれを冗談で言ったらー」

「ああ、許さないけどね」

「私もー、本当に異世界に行きたいのー。吸血鬼の血はー、この世界では重すぎるからー。だから本当によろしくねー」


 そう言って、アーシャは闇の中に溶けて消えた。

 それはアーシャのスキル。

 吸血鬼となった身だからこそ使える『闇渡り』という空間移動能力だった。


 アーシャは夜の世界であれば――。

 闇の世界であれば――。

 自由に泳げるのだ。

 反面、陽射しは苦手で、昼は不自由することが多いようだけど。


 アーシャが消えて、僕はスマートフォンに視線を戻した。

 ファーの名義では動画もあった。

 異世界ダンジョンとタイトルのついた動画だ。

 滑稽な動画ではあった。

 ぶつ切りカットの連続で状況の把握が難しく、しかも無駄にテロップが多い。

 人工ボイスのしゃべりも寒い。

 ダンジョンや魔物には、なんとなくリアリティを感じる部分もあるけど……。

 画面が暗くて、粗くて、細かい部分まではわからない。

 とはいえ、これはゲームの録画だと僕は断定していた。

 異世界と現実世界を仮に行き来できたとして、誰がいったい、その稀有な力を動画撮影に使うというのだろう。

 どんな目的があるにせよ、他に有益なやり方はいくらでもある。


 とはいえ、『石』と動画が、どちらもファー名義で同時期に現れたのは気になる。


 それは偶然なのか――。


 それとも、何かの必然なのか――。

 誰かの意図なのか。


 それは、わからないけど――。


 慎重な調査が必要だろう。


 僕は強い。

 現代世界の魔術師など、片手どころか指1本でひねり殺す自信はある。

 アーシャが相手でもそれは同じだ。

 だけど、僕は1人だ。

 どれだけ強くても、組織の力には抗えない。

 それに世界は広い。

 僕は世界のことを、すべて知っているわけではない。

 僕が知らないだけで、僕に匹敵する魔術師がいる可能性はある。


 たとえば時田京一郎――。


 僕が調べた中では、『センチネル』の中で20席しか存在しない第3階位『ウィザード』の称号を持つ唯一の日本人。

 直接に見たことはないけど、称号に負けない大魔術師だという。



 僕はスマートフォンをしまうと、窓の外に転移した。


 夜空の世界に浮き上がった。


 夜風を浴びながら郊外の景色を見下ろすのは本当に心地が良い。


 生意気だけど、自分が支配者になった気分だ。


 もちろん僕は支配者などではないけど。


 正体を隠して暮らす、ただの今をトキメク有名人だ。


 僕は顔を上げた。


 星空を見つめる。

 星がしっかり見えるというのは、人目が少ないことに加えて僕が郊外を好む大きな理由のひとつだ。


 星を見ていると、かつての異世界での日々を思い出す。

 輝かしい『大帝国』での日々だ。


 異世界と現代では、星の配置は異なる。

 別の宇宙ということだ。

 でも、その輝きは同じだった。


「――なあ、アンタンタラス。僕はまだ生きていて、こうして星を見ているよ。君はもうとっくに死んでいるだろうけど、約束は忘れていないよ。君には笑われていたけどね。僕は必ず、誰もが幸せになれる正しい世界を作るよ。今度は失敗しない。僕にもわかったからね。綺麗なものを作る時には必ず掃除が必要だって、さ」


 僕のかつての親友、アンタンタラスは理屈臭い男だった。

 かの御方の理想についての見解の相違で、よく討論していたものだ。

 それこそ400年以上の間。

 僕とアンタンタラスは、同い年の同期だった。


 僕達は長い時を共に過ごした。


 正直、当時は最大のライバルでしかなかった気もするけど――。

 ライバルと書いて友と読む。

 まさに、それだったのだと今にして思うのだ。


 アンタンタラスは、すべてがおわった『大崩壊』の夜、大帝都にいたはずだ。

 だから生きている可能性はない。

 それは、わかっているけど……。


「……また喧嘩したいものだね、我が友よ」


 僕はそれを、僕の魂を現す本当の名――『大帝国』の『賢者』イキシオイレスとして、願わずにはいられなかった。

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