第12話 閑話・3つの夜 魔族編、不滅のアンタンタラスは逃されて……。


 何故、私は見逃されたのでしょう……。

 それがわかりませんでした。


 私はアンタンタラス。


 今まで多くの人族を殺してきた最前線の魔族。

 私は人族にとって、まさに仇敵と呼べる存在のはずです。

 人族が私を倒して、見逃すはずはありません。


 なのに私は今、闇に潜り、闇の力を吸収して肉体だけは再生させ、人族の領土である北方大陸から魔族の領土である南方大陸への帰還を果たしています。


 私の固有技能――ギフトは『不滅』。


 どれだけ倒されようとも、私の存在は消えることがなく――。

 闇の中で再生を繰り返します。


 ただ、そんな能力にも例外があることを私は知りました。


 私は、かの御方に貫かれて――。


 闇に帰ることもできず、まさかの魔石にされました。


 人族と魔族の決定的な差異は、その身に魔石を宿しているかどうかです。


 人族は魔石を持ちません。

 故に、ごく一部の例外を除いて、魔法を使うことはできません。

 彼らが使うのは――。

 発想に魔力を重ねて行使する自由な力、すなわち魔法ではなく――。

 定められた呪文で定められた効果を発揮するだけの力、すなわち魔術のみです。


 魔族は魔石を持ちます。

 故に、強大な魔力をその身に宿すことができるのです。

 また魔石は魂の在り処ともなります。


 私の『不滅』とは、すなわち、魔石を体内に持たず、闇の中に隔離することで、決してその存在を失わないというものでしたが――。


 かの御方に、私の『不滅』が通じることはありませんでした。

 何故ならば、かの御方こそは、まさに闇。

 闇そのものであるのですから。

 すなわち、ダンジョンに現れたかの御方が、紛れもない本物である証です。


 私はそれに気づけず――。


 決して触れてはいけないものに、触れてしまったのです。


 しかし、私は許されました。


 私は魔石にされながらも破壊されず――。


 放置されました。


 呪縛を受けることすらなく、です。


 故に私は闇の中へ戻り、すぐに肉体だけは再生させることができました。


 そうして、帰ってきた。


 我が主たる魔王、永遠に幼き微睡みの姫ジルゼイタ様の元へ。


「ふぁぁぁぁ~。でも本当にぃ、アンが任務に失敗するなんて信じられないのお。ジルはまだ夢の中にいる心地なのお」


 玉座に座るジル様があくびながらに言います。


「何の成果もお届けできず、誠に申し訳ありません」

「それはいいのお。ジルが今期も魔王でいるだけの成果は、もう上げてもらったのぉ。あとはただの遊びなのぉ」


 ジル様は眠りの呪いに犯されている。

 常に眠気に苛まれています。

 その呪いは魔石にまで染みて、解呪することはできません。

 さらにその影響でジル様は成長が止まっており、年齢は79歳とすでに成人年齢たる50は越えているのに、その姿は青年期に満たないものです。

 今日もジル様は、紫色の髪にドレスが実によく似合う、精巧に作られた最上級の人形のように可愛らしい御姿です。


 しかし、ジル様は魔王です。

 魔族世界において10人だけに乗ることが許された――。

 支配者の称号を持つ1人です。

 眠りの呪いは、呪いであると同時に、ジル様に圧倒的な力を導いています。


 怠惰なジル様は、眠ると性格を豹変させて暴虐なジル様へと変わりますが、どちらのお姿も妖艶で優雅であり――。

 どれだけ見ていても飽きるものではありません。

 私はジル様に仕えている自分を心から幸せ者だと確信しています。


「それにたまにはアンも失敗した方がぁ、他の連中も喜ぶのぉ。今回はぁ、同じ国にぃ、ウルミア配下のフレインも行っているしぃ、あとはそちらにお任せでいいのぉ」


 今回の人間国家ネスティア王国への攻撃は魔王ウルミアとの共同作戦です。

 魔王ウルミアは、ジル様と同様に幼い姿で成長が止まっており、加えて同い年であり、その故もあってジル様とはそれなりに仲が良いです。

 正確に言えば、対抗心むき出しの魔王ウルミアに、ジル様が嫌がることもなく常に付き合っているだけではあるのですが。

 今回の件についても、私の計画をジル様から聞いた魔王ウルミアが、勝負だと言って強引に入り込んできたのです。


 魔王ウルミアの部下たる魔人フレインのことも知っています。

 主人を真似て、私に対抗心ばかりを向けてくる面倒な者です。

 種族的にも魔王ウルミアと共に竜人種であり、吸血鬼種である私やジル様との相性は、あまり良いものではありません。

 何故なら我々は、陰に潜み、陰から魔手を伸ばすことを好みますが――。

 竜人は常に武力による争いを好みます。

 水と油なのです。

 とはいえ、攻撃されたところで、私の相手ではありませんが。

 常に私は勝利して、ジル様に朗報を届け続けています。

 しかし、それはヤツが無能というわけではありません。

 私が有能すぎるのです。

 実際、ヤツは、私以外が相手ならば、それなりには成果を上げています。


 今回は、今度こそ私よりも成果を上げるのだと、かなり強力な魔物を連れて人間の領土に転移すると言っていましたが――。


「それでぇ、ジルよりも強い最強のアンを打ち破ったのはぁ、どんなニンゲンなのぉ? やっぱり勇者とかいう存在ぃ?」

「いえ――。人族ではありませんでした」

「ならぁ、もしかしてぇ、他の魔王の配下ぁ? 人族の土地で同族を襲うのはぁ、重要な魔王協定違反だからぁ、それなら面倒だけどぉ、抗議しないとだよねぇ」

「いえ――。魔族でもありませんでした」

「ならなんなのぉ?」

「はい――」


 私は、どうしてもかの御方の存在を口に出す勇気を持てず――。

 ジル様の前でためらってしまいました。

 ジル様が寝ている時であれば、暴虐のままに惨殺されていたことでしょう。


 そんな最中でのことでした。


「やっほー! ジルー、起きてるわよねー? 寝てても遊んであげるけどー。暇だから私からわざわざ来てあげたわよーって……。なんでアンタンタラスがいるの?」


 唐突に魔王ウルミアが現れました。

 友達ということで、ジル様は魔王城内へのウルミアの自由な転移を許可されています。


 ウルミアは頭に竜人の証である2本の角を持つ、赤色の髪を伸ばした少女です。

 ドレスを着たその美貌はジル様にも引けを取りませんが、残念ながらその態度は無邪気すぎて気品が足りていません。


「アンはぁ、負けて帰ってきちゃったところぉ」

「え? えええ? アンタンタラスが!? どこの誰に負けたの!?」

「それを今から聞くところなのぉ。ウルも聞くといいのぉ」


 ジル様があくび混じりに応えます。


 私はやむを得ず――。


 慎重に言葉を選びながら、勇気を持ち、ダンジョンでの出来事を語りました。


「アン、それは嘘ではないのねぇ……?」

「はい。ご覧の通りに私は殺されて、魔力は空の状態です」

「なのぉ……」


 話を聞いたジル様は、肩の力を落として、顔を伏せると――。


「寝るの」


 と言いましたが――。

 豹変して暴れ出すことはなかったので、完全に寝たフリです。


「どうしようどうしよう! それってアレよね、アレ! 万が一にもフレインが失礼なんてかましたら、フレインどころか私も消滅よね! いやぁぁぁぁぁぁ! 消滅はいいけど怒りを買うのはイヤぁぁぁぁぁぁ!」


 ウルミアは慌てふためいていた。


「フレインは早急に連れ戻すべきかと。今は静観するべきです」

「そ、そうよね……。インプを使いに出すわ。今回の勝負はナシってことで……」


 ウルミアが単純な思考の魔王でよかったです。

 私が思うのも何ですが、疑いもせず信じてくれるとは。


 かの御方は、今から1000年前に神の座を勝ち得、この世界から姿を消しました。

 まさに『大崩壊』の時です。

 それ故に『大崩壊』は起きたのか、『大崩壊』が起きて機会を得たのか。

 因果関係については、すべてが不明のままです。

 我々が知っているのは、『大崩壊』の時、かの御方が闇の神と成られた事実のみ。

 それについては間違いありません。

 あらゆる魔力の奔流が我らの文明を容赦なく破壊していく中、死を免れていた幸運な者達は全員が聞いたからです。

 闇の神ザーナスの誕生を認める、神々の宣言を――。


 かの御方は神と成るまでは魔族であり、10座の魔王を従えて君臨していました。

 魔王の中の魔王、大魔王。

 闇の女王と呼ばれる絶対の存在として。

 その『大帝国』の支配域は南北大陸を越えて、世界全土にまで及んでいました。


 ファーエイル・エイス・オーシ・セルファ・ザーナス。


 それがかの御方の名です。今ではそれそのものが最高位の闇の呪文であり、かの御方が闇の神と成られた揺るぎなき証です。

 かの御方の名は、現在では、私を含めた少数の上級魔族しか知りません。

 それはすでに世界の理の上に存在する禁断の知識なのです。

 一般に知られているのは、闇の神としての呼び名ザーナスのみです。


 私は今年で1500歳になります。

 『大崩壊』以前の世界に生きた、今では数少ない1人です。


 しかし当時の私は、『大帝国』を支える中央の上級官僚だったにも関わらず、かの御方とは仕事を共にする機会がほとんどありませんでした。

 よって、かの御方との思い出は、あまり多くはないのですが――。


 その尊き姿は、今でも覚えています。

 あれこそがまさに支配者。

 闇の化身。

 世界のすべてを統べる者なのだと、心の底から納得していたものです。


 ちなみに人族は当時、ゴブリンと同じ、ただの最下級の労働力でした。

 むしろゴブリンにも劣る力なき存在でした。

 しかし主はそんな人族にも権利を与え、平穏を保障されていました。

 人族は、その恩も忘れ――。

 『大崩壊』後の大混乱の中、我らの目が北方大陸から離れていたのをいいことに、いつの間にか国を作り上げて――。

 北方大陸にいた少数の魔族を謀殺しました。

 我が友イキシオイレスも、その時に人族に殺された1人です。

 イキシオイレスは、すべての種には未来を作る権利があると主張し、種に関わらず知識を授けていた愚かにして善良な者だったので――。

 彼らの未来のために殺されたのは、むしろ本望だったのかも知れませんが。

 なにしろ人族のために人族に適合した魔術という体系を組み上げ、人族に教え広め、人族に魔族と戦う力を与えたのは――。

 それもまた、他ならぬ我が友なのですから。



 ともかく、かの御方が、なぜか今、再びこの世界に現れたのです。

 私はそれを確かに見ました。

 目的は不明。

 私の計画は阻止され、しかし私は生かされました。

 それだけが確認できる事実です。



 ジル様もウルミアも、よく信じたものだと思います。

 これもこの私の忠臣の徳故だとするなら、嬉しいものですが――。


 フレインも信じてくれると良いですが……。


 私が十全であれば、今すぐにでもヤツのところに飛んで、ヤツを気絶させてでも強制送還するところですが――。

 残念ながら今は無理です。

 まずは少し休ませてもらうとしましょう。


 眠る前、私は思いました。


 もしも再び、かの御方に会えるのであれば、その時には聞いてみたいものです。


 何故、我々の『大帝国』は、一夜にして滅びねばならなかったのか。

 何故、我が友は、教え子達に殺されねばならなかったのか。


 たずねれば、私はかの御方の怒りを買い、今度こそ消されることでしょうが――。

 かの御方であれば、その前に教えてくれる気はします。


 真実を知って友に会いに行くのも、また一興だと私には思えるのです。

 何故ならば、あの暖かき日々は、もはや冥府の世界にしか存在しないのですから。


 ただ、そこまで思ったところで――。


 私は意識の途切れる刹那、その考えを最後にあらためました。


 ……そういうわけにも行きませんか。

 今の私には、蕾のように美しいジル様を愛でるという大切な使命があるのでした。



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